雑記 2014年2月


雑記 14-1 14-3

☆ダメヲタデムパ「オの起源」


2014/2/28
■言ト幸及

【訃報】ガンプラのパッケージデザインや開発・模型誌などに携わっていたキャラアニ社長・加藤智さんが死去 はちま起稿


■【重要リンク】ガンダムの罪【オの呪い】
弁護士,弁理士うつぼいわ の活動日誌 2012 11 30
ちなみに,ガンダムは,最初民間人であるアムロが,勝手に動かし戦闘に参加します。
これは,実は,極めて重大な犯罪行為です。

 そうか、ならば問題点を「差し替えるだけ」でいいや…ですむ話ではなく、これは物語の根幹である「重要なピース」です。これを成立させるために「ルール無用の世界」とされた結果として、「連邦は腐っており、ジオンはなぜか非難されない(一部では正義ですらある…その所業はアルカイダどころではないのに)」という独自の特殊な世界観が生まれ、これが宇宙世紀世界のルールとなっています(いや、ガンダムだけではなくオタク界自体にも…)。よってすなわち、たった一つを変えるという事は根幹レベルにおいての変更に繋がり、全シリーズの設定破綻、ストーリーの崩壊を招いてしまいます(具体的には、МSに鍵と認証システムを付けてしまうと「お約束の無断出撃」が一切できなくなる等)。

「機動戦士ガンダム」から見える日本人の甘えの価値観 アゴラ
戦場という状況下にありながらも、「説得」と「自己犠牲」を示すことによって、戦争を止められると信じており、物語ではそれが成功してしまう。しかし、日本人以外の人々にとっては、戦場の行動として、理解不能な行動だろう。この死んでも構わないという論理は、明らかに日本的な「美意識」だ。(中略)
満州国建国の謀略を進めた石原完爾には、民族間が素朴に理解し合えるという感覚があった。しかし、それは現実には機能しない。ガンダムの主人公は、撃ち殺されるのが、本来の戦争状態だ。

日本人の神話へと変わってきた「機動戦士ガンダム」 アゴラ
「機動戦士ガンダム」は、すでに製作にはたくさんの人が関わっていて「神話大系」になっている。たくさんの人が関われば関わり、支持されれば支持されるほど、ユーザーの求める「神話」的な性質が強くなる。
(中略)
一方で、ニュータイプ思想は、日本の神話になるにつれ、感覚的に理解さえできれば、お互いが主観的にわかりあえる……察することができる……といった、日本独自の「甘え」的な性質が強くなる。

 ラスボス、もとい本質は「日本」だというのか…。

ガンダムのOVAはジオン賛美の糞ばかり・・・ 32

↓よけいなおまけ
雑記11-10-13 ガンダムHAGE 第1話 (主人公射殺)
雑記14-01-02 ガンダーオレジン 第2話 (アムロ逮捕)
アンオフィシャルズ-6(11-12-4) ガンダー強制自爆装置(アムロが見つけていじける)


■連邦とは何か
機動戦士ガンダム 連邦の盾、アメリカの盾 - 逆襲のジャミラ
それらあの時代の子ども番組を俯瞰してみたとき、ぼくが共通して感じる印象は、悪=大日本帝国、正義=アメリカの構図だ。アメリカというと語弊があるかもしれないので、それぞれ、戦前と戦後に言い換えてもいい。

 2009/11/06の記事(多根氏の「ガンダムと日本人」の出る一年前)。


■『大学紛争戦士トミダム』

 連邦…大学側、日本政府及び同盟国アメリカ
 ジオン…全学運
 シャア…通常の三倍の火炎瓶を投げる。最後には原爆を入手してバ○ダイ連邦へのテロを敢行。


■つ

 待てよ、無断出撃や命令違反(&殴り合い)はそもそも古代の十八番…地球連邦も「さらば」からダメ化してたか。「地球(日本)=ダメ(だからテロで倒しちゃえ)」は松本作品っぽくもあるけどルーツは何だろ…直接的に「悪」だと、原作版ライダー、タイバニ後半、サムメ(以下略)



2014/2/27
■更新がヌルすぎですみません

文化人「ガンダム/富野関連」リスト リストと呼ぶには全く足りませんが、「こういう物が必要なんだ」という主張として。
ガンダム軍事経済本リスト 重複すれども、科学と同様に「カテゴリー分け」の必要性があると感じたので。
 あとついでに、PC愚痴とTV愚痴とフリーウェアを増補。


■きょうひごと

○いやむしろ、ガンダム以外の懐かし物(キ○肉マンとか色々)がなぜか沈んだままで、新しい物も出てこないため消去法でガンダムが浮上したという所か。ただ、かつての脳内予測では、ガンダムは種爆死でブームが終焉して「復活ドラクエブーム」に王座を譲るはずだったなぁ…(←全然ダメだなあ俺よ)。
○「ガンダムとは、OSである」…って言うと何だか奥が深そうな感がするなあ。



2014/2/26
■【Gの】きょうのひとりごと【呪い】

 「影ガンリスト(白)」に、「ガンダム言論史上における最重要テキスト」を一冊追加。ちなみにここから、ハハンさては、そのうち作るであろう「森の中の木のガンダム本リスト(影)」の最重要黒遺物は『(〜中略〜)ガンダムに義戦なし!?-――戦場ドラマの夢と難問(アポリア) 浅羽道明』(←長い)であるのは間違いないな、とお気づきになられた方は…いないか。ただ、「リストの毛色が何となく違うなあ」とお感じの人はおられそうな気もするので、小瓶を太平洋に流す如くの解説を少々。

 実は以前、虫の本質を調べようと思い立ち、「虫の事は虫に聞くのが一番確実だろう」と直接虫に聞いてみた事があります。しかし彼らの発言は、驚いた事に全ての虫がまったく同じでした。
 「腹減った」「メス〜!」「腹減った」「メス〜!」「腹減った」「メス〜!」「食った、ウマイ、でもまた腹減った…(以下無限に略)
 なお「虫語翻訳」には、以前に空き地でいじめられていた半ズボンの小学生を助けた際にもらった「翻訳蒟蒻」を使いました(確かその小学生と一緒にいた青いタヌキのキグルミから受け取った気がするのですが、その辺りの記憶がなぜか良く思い出せません)。


 ガンダムはガノタにとってだけでなく、オタクにとっての「常識」、「OS」であり、存在すら気づけない「空気」の様な物となっています。そして私はガノタであるがゆえに、「ガンダムとは何か」を真に語る事が残念ながらできません。
 歴史文献には「当たり前の事は語られない」という原則があります。人は己の姿を己の目で見る事はできず、「無くて七癖」の如くに自らの問題点も自覚困難です。自らの加齢臭臭いや自分の部屋の臭さは本人にはわかりませんし、「街の臭い」はその街の住民に聞いてもムダです。「日本の良さ」を真に語れるのは、日本と外国の双方に住んだ事のある人のみです。

  ガンダムが実は「語られていない」事、すなわち「ガンダム文化が(宗教のごとくに)閉じている」事をなぜ私がこうも問題視するのか。「Gの呪い」とでも言うべき「ガンダムの功罪」の「罪」の部分が一挙に噴出したのが、昨年のヤマトとハーロックだと思います。ハーロックは問題点がわかりやすく、脚本にダメ出しするプロデューサーの不在に「逆シャアの思想が総括されていない」事にあると考えますが(詳しくは昨年10月の雑記参照)、ヤマトの場合は問題点が見えにくくなっています。オタクはオタクであるがゆえに、それを空気の如くに感知する事ができません。

  「平成ライダーが勝ち、ウルトラが沈んだ理由」は多くの人が言っており、意見もおおむね一致しています。しかし「ガンダム一人勝ちの理由」となると、言論界は押し黙ってしまいます(「富野が偉大だったからだ」では、イデオン他の売り上げとの天と地の差を全く説明不能であり、他のスタッフの偉大さでもまた然り)。誰かがラッセンの如くに「ガンダムとは何だったのか? ─消費とアニメを越えた「先」』(民迷書房)を上梓でもしないといけないのではないか…とすら思います。

 ところで、「ガンダムの20周年時以降のブームを生んだのは誰か?」について、私と意見が同じガノタを前世紀より不思議と一人も見た事がありません(だからこそ「最狂サイト」を自称している訳ではありますが)。その人物とは、大アニメ監督にして昨年には主演声優デビューまでをも果たしたあの人です(笑)。ちなみに二番目はカトキ氏でしたっけ…まさに身も蓋もありません。ただし現在は状況が無論違いますので、第一はガノタ(ミクと同じ構造)、第二はバンダイという所かと思います(バンダイ自身は言えないセリフでしょうね…売れなかったキャラの部門を批判するのと同義なので。ただしユーザー側からは「ガンダム以外は愛が足りないナ」と見えるのですけど)。

 ア、何だか異論が多そうだな…「いやオルフェ千葉だろ」とか(ボソッ)。


■個人用メモ

 戦闘力、30。
 「たったの5か、ゴミめ」・・・と言われると多分きっとカッコイイ。

 ところで、サイト名でエゴググるとRSSやらなんやらとゴチャゴチャとヒットするのですが、プロフィール欄からリンクしているページ以外は関与していませんのでよしなに(ン、魚拓が消えてるな…もしかしてオワコン?)



2014/2/25
■備忘リンク

Twitter pikachiu_taro 先週の ガンプラは自由に〜”ツイートが伝言ゲームみたいになっ .... 川口名人曰く。
「年の取り方がわからなくなった社会」と「コミュニケーション能力」 熊代亨 もふもふ。



2014/2/24
■空白の35年
unlimited blue text archive オープニングスキル
スキルが蓄積されて今のレベルに達したような気がしていたが、大間違いだった。今も昔も出来る人間はいきなりいい物を作っていたのだ。(中略)
時系列に沿って連続で見続けていると富野監督の絵コンテがいかに斬新でかつ的確かという事を思い知らされる。「メカンダーロボ」「ギンガイザー」「バラタック」等と比較して見れば、とても「ザンボット3」がこれらの作品と同年に制作されたものとは思えないだろう。

「種」「種運命」「○○ガンダム」等と比較して見れば、とても「ガンダム」が35年前に制作されたものとは思えないだろう。

 ・・・海に流された8年前の小瓶を見つけた様な感じです。



2014/2/22
■リスト更新

リストのリスト
影のガンダム本リスト(白)

 ちなみに今回入れなかった本↓
『駄美術ギャラリー』(現代美術二等兵):馬場秀和ブログ
 これを入れてしまうと、芸能人等のエッセイで薄く、もとい軽く触れているのも入れなくていけませんので…。


■改変の呪い
クライアントよ、お前の依頼の大変さを思い知れ!これが「デザイン修正」だ! gori.me(ゴリミー)
もしあなたがデザインを発注したり依頼する立場なのであれば、ただ「差し替えるだけ」だと思っていることがデザイナーにとってどれだけ大変なことかを一度考えた方が良いだろう。

もしあなたが懐かしアニメをリメイクしたりする立場なのであれば、ただ「変更するだけ」だと思っていることが元作品の根幹構造をどれだけ破壊するかを一度考えた方が良いだろう。


■きょうのやまと

コスモクリーナーを売り渡したヤマト2199 院長の独り言
 むー、毒大気(ガミラス植物)でも本質的には変わらないと思いますが(地球が戻るのにどう考えても数十万年かかるが、海面を赤いコケでも覆っていた事にすれば一年で充分)、今になって思うと「惑星の寿命設定」は根幹でしたねぇ…としたり顔で、見た目は綺麗な表層の下の有様を横目につぶやく082かな。


■ガンダムのヒットの理由は謎

 ・・・とバンダイの上の方が言っているのを時折目にするのですが、良〜く考えるとコレってサンライズには言えないセリフです。ここは「富野氏他のスタッフのおかげ」と言わねばならない所だと思うので…。
 しかしまあ、「誰もわかっていない(理由を言えない)」というのは、なかなか凄い事だと思います。無論私にも、20周年あたりにぶり返す事は読めたのですが(っていうかその程度誰でも読める)、今も持続している理由はわかりませんし、わかると言う人も知りません。


■先日の反論募集中

 「いやガンダムは文化的に認められているぞ!」との反論がありましたら御教授を頂けると、当サイトのリストも充実させる事がてきるのでララァも喜びます。



2014/2/20
■ラ、ガ、宗

 ラッセンの美術価値ゼロとされていますが、それはクラシックCDの棚にAKBや声優ソングを入れて「全く売れないから音楽価値ゼロだ」と言うのと同じです。ヤフオクに出せば、購入額よりも落ちはしますがちゃんと値段は付きます(数例しか見てませんけど)。理由は無論、美術マーケットで完全排除されている顧客層が、そこにいるからです。

ラッセン ガンダム 海物語 新興宗教
社会(権威)の反応 美術界は無視。 実はほぼ無視されており、文化的価値を正しく認められていない。その証拠に、書店の棚に宮崎論や押井論はあれど富野論は無い。 無視。 言うまでもなく。
一般大衆の反応 フツーにインテリア。 国民的偶像だが全貌を把握する者はいない(というか不可能、ミクと同じ)。 パチンカーに人気のアレ。 言うまでもなく。
オタクの反応 無視。 絶大。 無視(アニメ版除外)。 言うまでもなく。
ファンの外部への興味 美術に興味は示さず、ラッセンファンがラッセン以外の絵を買う事は無い。 他の映像作品に興味を示す事は少ない。ガンプラファンはガンプラだけにしか興味が無い人が多い。 ?(少なくともアニメに興味はあるまい) 言うまでもなく。
ファンの懐 巻き上げられる。 自主的に消費。 巻き上げられる。 言うまでもなく。


 結論…ガンダムは新興宗教である(よって私の居場所が無い訳だ)。
 とはいうものの、乱暴すぎるというか物事を単純化しすぎているきらいがありますし(タコツボ化は何もガンダムだけに顕著な物ではなくオタク文化全体に見られる)、本来の私の認識は↓です。


■ガは紅白歌合戦の小林幸子である

 もしくは寅さん。何も変える必要はなく、してはならない。ガの小林幸子化を嘆くのは、紅白の存在自体を嘆くのと同じであり無意味。



2014/2/19
■ラ

 あ、先日喉につかえたまま出なかったイメージが出ました…郊外のお城みたいなモーテル、オーナーは土地成金のハゲオヤジで総金歯、豪華なギリシャ露天風呂もアリ…という感じです(20世紀の恥部もしくはこの世の地獄)。
 待てよ、ヤンキーなら「海ものがたり(パチンコ版)」と繋がるはず…そういえば「海+ヒロヤマガタ=つり球」というラインもあったな。


2014/2/18
■【アート】100年後にも、【芸術】

 残ってるとカッコイイ芸術。
高松和樹 距離感主義 DDN JAPAN
下天を漂う少女の抜け殻 エトリケンジ DDN JAPAN

 残ってるとハズカシイオタク芸術。
Twitter yukiya1993 買ってしまったよ…。 9700円の36回払いです。
 さては「智・感・情」で接触した村上が疎遠になったので痺れをきらしたか?…脱臭化のベクトルが↓と似てる気もする。

 残ってるとイヤな大衆芸術。
『ラッセンとは何だったのか ─消費とアートを越えた「先」』のレビュー 原田裕規 (中村佑介さん) - ブクログ
[読書] ラッセンとは何だったのか? ー 消費とアートを超えた「先」  aguila o sol
 HDR写真との類似だというのか。

 残ってるか否かは天使が決める限界芸術。
現代美術二等兵 ワニが死んだときに迎えにくるヤツ
美術家は実は企業家でした。 規制することに合理性・発展性



■ラッセンは宗教画なのか

ラッセンについて2 カジュアルアートは現代の宗教画か?トーマスキンケードを見て|美術作家 白濱雅也の関心事
ラッセンについて考え始めた。|美術作家 白濱雅也の関心事
 私の感覚では、アロハシャツ、パチンコ、週刊誌の広告、夜の商店街、お菓子売り場、etc...の様な雑多なイメージで、つまり「現実(=地獄)」。ただ愛好者者にとって無論地獄ではなく「イルカクジラはキティちゃんの進化形」くらいに見えていそうな気もします。ここで美術の常識をひっくり返して、「実はラッセンではなイルカクジラが主役」だとすれば、良く似たパチモンでも受け入れられるはずですが、もし仮にそうであるならばこれはオタク教と似た構造です。
 ゴッホのひまわりを見て「ひまわりは美しいわねぇ」とか「このひまわりはきっと美しかったんだな」と言う人はおらず、鑑賞者がそこに見る物は無論「画家自身の内面」です。しかし「お台場大仏」を見て大河原や富野の名を出す人は多くとも、それを作った工芸社の名は出す人すらほとんどおらず、人々が見ている物は無論架空世界に実在する「本当のガンダム」という神様です。


ラッセンは「宗教画家」であり「インサイダーアーティスト」 - Ohnoblog 2
ヤンキー、ニューエイジ、ラッセン(そしてアート‥‥) - Ohnoblog 2
 長岡秀星といえば、ストブラ後期OP『Fight 4 Real』のジャケには頭を抱えたオイラです。しかし、大野氏が大河原氏に触れられるとは…。小松崎氏が「あえてやってるレトロ」という文脈で再発見されたのは電気のジャケあたりからで、同じ文脈に大河原氏(もうつぶやかれないのか…)が乗ったのは、ソニーのガンダム劇場版VHSボックスを経て、音楽系フリーペーパー…だったかな。
 ところで話は逸れますが、高荷氏の系譜から小松原師を切り離して「レンブラント→ロックウェル→(藤田嗣治の戦争画)→高荷→ロボ箱絵師全員」と私が見るのは奇説にも程があるとは思いますが、「横山宏と小林誠は別物」っていう感じ…と言えばわかる方も多少おられるかもしれません。


■WM的電画

felix ip。蟻速畫行 Robot Illustration by Reza ilyasa
 何故にタミヤ? (ふとシャーマンという単語が頭をよぎる)。




2014/2/17
■【モニタは】ブルーライト害悪説はトンデモ【安全】

「ブルーライト」の正体とPCメガネの効果 - Miuran Business Systems
  そ、そうだったのか…(←082相変わらずの情弱だな)。


■ガビフリンク1・もふもふ

ガンダムビルドファイターズと「子どもにガンプラを売る意味」 - シロクマの屑籠 もふもふ。
 ネットでは子供の声が聞こえないので何とも言えませんが、オサーンのツボは実に上手く突いてます、特にラル萌え。大会編からも展開がわかりやすいです…ってそんなの誰でも言ってるか。一応予言的な事としては「Gガンフォーマットは当たる!」とかだいぶ前に言ってた気も若干しますが、まんま原えりすん氏の受け売りです(←082ダメだな)。
 なおところで、「082はガチガチの考証オタなのに骨董無形なGを評価して、マジメな美少年系ガンダムには理解を示さないのか?」と思われていそうな気もするのですが、それは単なる082理解の不足です。


■ガビフリンク2・ギロギロ

昨日のガンダムビルドファイターズで、名人に負けろと思ったのは、私だけでしょう... - Yahoo!知恵袋
「ガンダムビルドファイターズ」について質問です。 スタービルドストライクガン...
ガンダムビルドファイターズに否定的な人はどこら辺がだめなんでしょうか -  入れ忘れ。
 アニメ、家なき子レミ について質問です! レミはフランスで暮らしていたからフラ... 無関係ですが。



2014/2/16
■更新

Rainy-4 御蔵出し。
オマケ-04
fg - リボルテック バルキリー第四〜第六形体 ほぼ使い廻しですが。


■【衝撃の】ガンプラジオラマの頂点【黒遺物】

Twitter arakichi1969 【ガンプラネタ】中学生の頃にこのコンペ作品を見た時の衝撃。い ...
3D LAND - モザイクコレクション

「ストリームベースは実は5人いたんだ」
「どういう事だ?」
「福崎敬師と土井眞一は、ストリームベースだったんだよ!」
「な、なんだって〜!!」


3D LAND
 全ては見ての通りです。『アニメージュ増刊 3D LAND』(徳間)は1983年4月25日発行、『ガンダム神話』は1995年6月9日、この間はわずかに12年。
 関連→雑記 2013年6/24
 この「PROJECT」こそが、現在に至るもガンダムジオラマの頂点だと思います(私が言っても説得力がありませんが、最初に紹介したツイート一つで充分でしょう)。私にできる事は墓を掘って神棚に祭る…もといアップする事だけですが、頂点に触れずしてガンプラ文化が語られている現状を打破すべく、第一次ガンプラブーム末期にトリをとった金字塔、メルクマール、伝説としての権威付け…もとい「歴史的評価」を行うのは年寄りガノタに課せられた使命です。歴史の黒き影に今も眠りし、悲劇のモデルスター達に幸あれ。


 初出は『アニメージュ1983年11月号』。


 この二枚は商業誌媒体には未公表の物(082お宝コレクションより)。福崎氏は90年代末頃より完成品工房を構えられ、良くWFで見かけました(今はすっかりフィギュアの人)。また、土井氏もモデラーとして御活躍でおられる様です。

 そして「PROJECT」の魂は、今も消え去る事なく受け継がれています。
T-ROOM - PGガンダム ジオラマ完成!
 こ、これだけの物が311で…無念。


■【MSは爆発だ!】ガンダムジオラマに不足している物【赤く塗れ!】

今泉明治美術館
作り人知らず独白録
 スケールモデルで萌え…もとい燃えを追及されておられます(「フランクリン炎上」が特にすごい!)。

 今のジオラマの定番である、森の中のザク、朽ちたザク、静かに佇むMS…という物は、ハウ・トゥ・ビルド・ガンダム2(中心は無論ストリームベース)がベース、指針にあると言えます。ただし、ハウ・トゥがハウ・トゥ2に進化した際、ミリタリーに寄った事によりすっぽりと抜け落ちてしまった物がありました。一つは「SF映画的、特撮的要素」で、こちらは福崎氏や土井氏が持ち込む事に成功します。しかし、もう一つの「ジムの腹を裂くシャアズゴ」の様な「アクション要素」は、受け継がれずに忘れ去られていきました…が、テレビランドと模型情報で息を吹き返しかけた事があります。

 模型情報1984年7月号、9月号より。アニメジオラマ史における特異点と言える、パウダーを使用した特撮です。名古屋のプロモデラーとプロカメラマンによる物で、モデルは松波広明、小出好郎、撮影は桑原博、新間立一郎(しかしまあ、プロは氏名をこうして表示できるので助かります)。無論素人では真似したくてもできませんが、もしもこの方向性が進化していたら、今のガンプラジオラマシーンはおとなしい盆栽チックな光景とは全く別の物になっていたかもしれません。そういえば以前には、RCガンダムやサーベルを振り回す玩具等がありましたが、今はそういったのはすっかり消えてますねぇ…。


■変化球ジオラマ

8作目テープアートジャブロー - ガンダムアート製作秘録 ランナーガンダムの中の人。
絶句するほど凄い!浜松駅に降り立った『ガンダムジオラマ』のクオリティが高くネットで大絶賛!| ^^ 秒刊SUNDAY


■山下サスケ

Twitter ikuto_yamashita 蟲師のれんず婆ちゃんみたいな可愛い着物童女描いてみるぜ!とカ ....
 □リータ・グランマ。

 ↓あ、神姫入れ忘れた…。


2014/2/15
■5年前のチョコは萌えられるか?


 ニセ…もとい無関係のメ力娘(エレクト□・□リ―夕02)も含み7年以上前で、白獅子のみが4.5年前。猪口少女らよ今は眠れ、いつか『ハイエンド系とは何だったのか? ─オタクとアートを越えた「先」』(民迷書房)をロスジェネ世代の論客が上梓するその日まで。


■ヤマトの罪は俺の罪・補遺

若王子(卿)のblog 宇宙戦艦ヤマト2199 オマージュ入れ過ぎ問題
2199について・6(つぎはぎのシーンとパクリ)・・・加筆しました - momoのブログ
2199・・・イジメのにおい - momoのブログ


■PSつ

○毎度「ガンダーだのブローニングだの外道だなあ」と自分で思います。ただし「機動歩兵」にはオトナの事情により「パワードスーツ」(バンダイの商標)も「宇宙の戦士」もありませんが、これを外道という人はいません(あたりまえ)。
○センチのPSを最初に華奢に感じた要因は、無論リキッドストーンと冨士神。私は関節部を最重視するため、鉄の服というより萌えガンプラに見えた訳です。
○そうだ、鉄のPSをいつかグッスマの中の人がきっと…。
○(神)「お前が湖に落とした車は、このヴェネーノか? それともガヤルドか?」 (木こり)「いいえ、カウンタックです」
○そもそも宮武氏の中ではこうだろうし宇宙の戦士 パワードスーツ(アニメ版) - 240もけいてんさんの写真 - ホビコム、加藤
氏はこうかパワードスーツ デザイン改 6 加藤直之のブログ…もはや完全な別物。時間がすっかり止まっているのが「オヤジ文化
老人文化」の証かな。



2014/2/14
■5年前のチョコは食べられるか?


 中身は果たして…?(冷蔵庫には入れてません)。

 やっぱりヤバそう…されど削ってゴマかし、

 気にせずパクリ、わりと薄味でしたがおいしく頂きました。こんなの全然問題ナッシング…と強気なのは理由がありまして、実は12月下旬に生まれて初めて牡蛎に当たってます。火を通すのが足りなかったためか冷蔵庫の中で1日放置したせいか(←するなよ)、ひたすら嘔吐(この時点では平熱)。翌日ヨーグルトを食べてもまたも嘔吐、熱を測ると38度でしたが、この後はわりと楽になりました。しかし体が苦しい時は妄想すら全くできない(脳が何も考えられない)ので、あぁ健康は大事だなあ…と改めて思った次第です。


■【ニセ色紙】これは曝さざるをえないな【シャア】

Twitter yoshi115t どう見ても偽物の安彦良和さんの色紙が21万で落札されてるんだ ....
絵画館 人気漫画家 安彦良和 ペン画3号「機動戦士ガンダム」肉筆 - Yahoo!オークション - ヤフオク!. こっちは流れた模様(わかってて吊り上げ?)
絵画館 人気漫画家 安彦良和 ペン画3号「機動戦士ガンダム」肉筆 - Yahoo!オークション - ヤフオク!. あぁぁぁっ…。

 出品元の評価「良い…9571、悪い…0」を得る事は並大抵ではないので、「GINZA絵画館」が至極まっとうな絵画ディーラーである事を疑う余地はありませんが、オタク的にあまりにも残念すぎます。真贋を見分けられる人は少なく見積もっても日本に推定50万人はいるからです(オリジンの2011年での公称部数1000万÷20)。いや単行本を持っておらずとも、多少絵心のあるオタクなら誰もがわかるレベルです。という訳で老婆心ながら、今後オタク方面に手を出すのは控えられる事をおすすめします(…と、富山の銀座に向けて念派を送る)。

↓オタクじゃなくても容易にわかるレイ (ン、ならばなぜ落札…本人の別のID? それともマジで…?)
ほみや ぶろぐ 貞本義行直筆サイン色紙がネットオークションに!?

↓オタクでもわからないレイ (トレースは流石に判別不能)。まあ多少絵心のあるオタクなら、時間をかければ普通に作れるかと。
エヴァのキャラデザを担当した貞本義行の偽サイン色紙オークション出品について、公式サイトが警告を発する - GIGAZINE

↓良く分かりませんが一応。
ヤフオクウォッチ ヤフオクにサイン色紙を「偽物です!」と言って出品する人出現


■物語ではなく「フェチ」こそが本質

Twitter 1_o_4_Ace dアニメストアで「うみねこのなく頃に」を観てるんですが、もう ....

unlimited blue text archive 漫画は何を表現しているのか−フェティッシュに関する考察−
だから、漫画を実写ドラマ化した場合はもう完全に別物である。ストーリーやキャラクター設定を拝借しても作者のフェティッシュは移せない。(中略)
漫画は物語を伝える為のツールに過ぎないと見当違いの事を抜かしていた俺はとんでもない愚か者であった。このある意味下世話な「よう、あの女どう思う?」みたいなフェティッシュの告白が漫画の醍醐味だと、今は思い直している所なのである。

 このある意味下世話な「よう、あの戦艦どう思う?」みたいなフェティッシュの告白がオタク作品の本質だと、今は思い直している所なのである。
 今年見つけた中で最もおすすめのサイトです。


■トミノ芸術

TOMINOSUKI / 富野愛好病 富野由悠季とフランス映画 および映画の娯楽性と芸術性について

■ミード・アート

シド・ミードとガンダムスレ - ふたばちゃんろぐ(may)
 そのうち消えます。



2014/2/13
■知恵袋の戦士「ガルドロキ03」さん

ヤフーが産んだ荒らしの腹パンだが、奴が徹底して小心者で臆病であるのはもうわか... - Yahoo!知恵袋
戦闘シーンに合うテンションあがるBGM教えてください ドラクエ以外でお願いします -
tubemateを現在でも使ってる人はどれくらいいるんでしょうか あと何故YouTubeダ...


■オタクなバルキリー

JAPAN三, ズバット・バルキリー 庵野秀明
「レモンピープル」で連載された庵野秀明氏の「匍匐前進」の第1回は「劇場版マクロス回想録」。ズバットカラーのバルキリーがカッコ良いです。 #macross KINネコ@週末大洗人の投稿画像


■高荷ギャリア立体(厳密には出渕版)

Twitter waruviora #30thWM祭 ....


■【高荷】まとめサイトはあまり貼りたくないがこれはリンクせざるをえない【石橋】
★グッとくる箱絵を教えて(;´Д`) ★ ログ速
609 : HG名無しさん 投稿日:03/01/14
箱絵(というかプラモデルのパッケージというプロダクツ)としてver.kaは優秀だと思う。
逆にどんなに手が込んでいてもHGUCはダメ。

615 : HG名無しさん[sage] 投稿日:03/01/15
HGABシリーズがこけたのって、箱のダサさが半分くらい有りそうだよね。

647 : HG名無しさん[sage] 投稿日:03/02/20
1/100イージスガンダム…鬱




2014/2/12
■機動の歩兵

Y-SYstem Review  『千値練 1/16機動歩兵』
 今まで「何か貧弱だなー」と思ってましたが、会場で実際に触ってみると評価は一変、玩具として燃える完成度でした(あとゴーグも金属関節でズッシリと燃え)。
いかさまのページ 裏リスト 『がんばれ!宇宙の戦士』
 ↑主題歌。


■ゴーグ

さとうげんのホームページ 昭和のメカニックデザイン
【日記雑記】超久しぶりの更新w? 実は……|ぷっつんまんの独り言
Twitter abfly 安彦良和が手がけた和製ロボットアニメの名作『巨神(ジャイアン ....
 いまいち萌えないゴーグ色。それはきっと脳内妄想色…っていうかイラスト(当時の)です。


■【珍論】オタク大阪起源説 〜オタクの母は関西人〜【妄論】

 「オタキングはオタクの母親だったんだよ!」「な、なんだって〜!!」

オタク学入門 ●ガレージキットブームの発生
しかし80年代のはじめ、日本中のオタクが大阪に生まれなかったことを悔やんだ時期があった。
その当時、ガレージ・キットの本場は大阪だったのだ。

 「DAICONフィルム→WF開始(ゼネラル・プロダクツ)→ガイナックス」という栄光のオタキング史を俯瞰すると、ふと妄想が浮かびました…「オタク大阪起源説」及び「オタクの母はオタキング説」です。ただし、なぜに「オタクの母は大阪おかん」なのかの理由はなく、ただの勘です。

 「関西史観」及び「ガイナックス史観」で歴史を眺めれば、オタク創作物の元祖は「DAICON アニメ」です(あとギャルゲは「プリメ」)。王立の本質は「東京を夢見て一旗揚げんとする田舎者」、第三新東京市は「閉じた郊外(ニセモノの東京)」の閉塞感…といった所でしょうか。なお厳密には、ガイナックスは大阪(厳密には大阪芸大)と山口と鳥取と新潟の混合だと言えます(とはいえ「東京ではない」というのはあくまで私の主観にすぎませんし、「田舎者」とレッテルを付けている様で何だか申し訳ない部分もありますが)。

 一方、「オタクの父」にあたるのは、前に説明した「大伴→ぬえ」の流れであり、オタクが実際に生まれた場所も無論、東京です。マクロスから感じるのは東京の匂いです(厳密には横須賀に中華街と神奈川を連想する点が多いが、いずれにせよ第三次産業しか描かれない)。ついでに押井もジブリも都会のインテリです(ジブリの描く田舎は都会人から見た幻想の田舎にすぎない)。ただ、なぜに「おたくの父は東京おとん」なのかの理由はなく、これもただの勘です。

 ・・・しかし自分で言ってて、大阪起源だの、岡田は母(女王)だのと電波もほどほどにしろという感もありますが、「かつて大阪に生まれなかった事を悔やんだ模型の人(年寄り)」に限定して、納得頂ける部分も若干あるかと思います。オタク論は世に膨大にあれど、こういった言説を不思議と見ないので(模型の人口の重さは「当日版権」を検索ワードに調べるとわかります)、ウェブに一つぐらいあってもバチは当たらないと思いテキトーに書き殴りました悪しからず(毎度いーかげんだなと思われるでしょうが、いまだにはてなブログ界隈からただの一度たりとも言及が無い弱小サイトの戯言と聞き流して頂ければ幸いです)。



2014/2/11
■【珍論】ワンフェスディーラーの「あがり」は、プロモデラーではなくメーカーの社長【奇論】

○海洋堂は職人・創作者集団である以前に「大阪商人」であり、WF創始者である岡田氏もまた然り。
○コミケの漫画サークルの「あがり」は、漫画家であり出版社の社長ではない(Tムーンとニトロ+の大出世は「紙媒体」ならありえない)。
○コミケのエロゲサークルの「あがり」は、エロゲ見本市企業ブースである。
○オタク模型界で最初に「あがり」に達したのは、ヒゲのマックス社長(店長や会社員が社長になるのは「あがり」に含まず)。
○「冬フェスや 新興メーカー(つわもの)どもが 夢の跡…Qべえお願い、フィギュアバブル再来のため中国の人件費を元に戻して!」

 本屋さんが出版社を目指す例は、あまり耳にしません(紀伊國屋は出してますが数で勝る文教堂やブクオフは手を出してない)。ですがガレキの黎明期である80〜90年代においては、マックスファクトリーを除き「模型店がガレキメーカーを兼業する」という流れでした。模型誌に広告を常時載せている所が副業として通販や直取引を始め、それがだんだん大きくなっていきます。90年代に入ると、模型問屋によるガレキメーカーの取り扱いが拡大し、地方のフィギュアメーカーが衰退していきます。そして0年代になると、同人臭バリバリのディーラー出身と思われる新興メーカーが雨後の竹の子の様に出現してフィギュアバブルを謳歌しますが、10年代まで続いた所はわずかでありまさにギャンブル、倒産せずとも枯れる様に机が小さくなるのを見るのは忍びない物があります(おそらく嫁をもらって上手く退いたのは希有な例かと…いやまだ嫁フィギュアを売ってるか…って何だか人身売買みたいだな)。という訳で、この辺の情報を上手くまとめて『ガレキメーカー栄枯盛衰記』を上梓するとビジネス本として売れる…かはわかりませんが何かの役には立つかと思います。

 ところで今回のタイトル、ガレキ界に馴染のない人は「モデラーとは贋作作家の事である」と同じくらいの衝撃がある気がするのですが、どうなんでしょ?
 そう言う私自身、暴論だよなあ…という感もあるのですが、「モデラーよりもディーラーの方が本質だ(商いの方が創作よりもウェイトが高い)」という視点は今まで無かった、もしくは希少ではないかと思います。しかし所詮は「ちゃうで、そないな事あらへんわ」と言われたらそれまでにすぎないものの、「本質が実際にどちらであるかよりも問題を提起する事の方が重要であろう」と判断しました(8年前に転売ネタを書いた時点で、コミケは「サークル、スペース」、ワンフェス等では「ディーラー、ブース」と言葉が異なる理由は、コミケとワンフェスの商売に対する考えが逆だからだ…とまで考察していたものの、あと一歩及ばず)
当日版権ガレキの転売は違法か?

 またそれとは別に、「コミケのあがりは本当に漫画家なのか?」という疑問もあります。作家と編集者の関係は、実は動物園の動物と職員の関係にすぎず、編集者の方がヒエラルキーが上なのでは?という疑問がここ十数年(具体的には「ピュアガール問題」以降)頭にこびりついています。少なくともエロでは「商業は名前売り程度、稼ぎは同人」が常態の様ですし。
 アナログイラストレーターの地位はCGの出現で下降し、イラストレーター自体もネット、特にピクシブによって絶賛インフレ状態(無論別にピクシブが悪いと言う訳ではなく、単に時代の流れによる物です)。そしてモデラーの地位も、3Dプリンタという「黒船」が既に到来している事は言うまでもありません。


■オタクアートの元祖はナディアではなくボーメの「アニス」

中原浩大展「自己模倣」の話題を中心に - Togetterまとめ
 な、なんだって〜〜!!

旅の途中…西日本編(3) - 現代美術と骨董のお話
 『アニス・ファーム ver.4』は 1/5 ソフビ 1,940円(他にキャスト版もあり)、1990年中頃。
 『ドリームハンター麗夢』(レム)は 1/6 ソフビ 3,000円、1989年。



2014/2/10
■ユキニモマケズ、


 ツメタサニモマケズ、フトコロノサムサニモマケズ。一時過ぎの撮影で、四半世紀通った中で最も遅いダメダメすぎる入場時刻です(電車の遅延はせいぜい20分程)。


 まずは企業ブースへ。ザガーン!…カンゼンヘンケ-ガッタイハマダァ?(-∀・ )っ/凵⌒☆チンチンネルネル


 主戦場のアマブース。服というよりロボ…。


 鉄人は30cm程の参考展示。相当お久しぶりの侵略ロボ子はラインが違うので最初気づきませんでした。

 
 立体塗装プリンターか…いくらするんだろ?


 アート系集合隔離ブースより。


 最後は再び企業ブースへ。あっという間に閉会時刻、ボーシメガネの方乙彼様。


 終幕張。


■つ

○最大規模のディーラーは毎度グッスマックス連合な訳ですが、ステージは毎度〜都合により削除〜…どうかグスマの鉄製PSの中の人が出世してメカロボメーカーになりますように(無理言うな)。
○マックスと言えば、ダグラムは明らかに採算度外視の社長の趣味路線…は今に始まった事ではないものの需要があるのか謎です。「メカfigma」とかを起ち上げて、ザウエルやゴーグやザ・ム―ンをねじ込む方が…ぶつぶつ。
○海洋堂がどーも君か…もうゲリラじゃないのかな…とケチはつけても「売れない」とは決して言わぬ082かな。
○次の夏は艦これ一色…はサルでもわかる…これもガルパン同様全く予測できなかったダメな082。



2014/2/8
■「あ」の色、「萌え」の色

 
 関連 2009年5/17 ■検索で遊んでみた


■キャラの未来
オタク界隈という“ガラパゴス”に、“コミュニケーション”が舶来しました - シロクマの屑籠
i04
アニメキャラ達がテレビの向こうの世界で芸能活動していて結婚したり二世を生んだり。

p_shirokuma
 面白いですね、アニメキャラの一人歩きって。ただ、これが実際に起こっている場面は既にあると思います。その代表が、スーパーロボット大戦シリーズで、あれはバンプレストが企画する形で、「芸能人のようにキャラクターがバラエティやってる」感が濃厚だなぁと思ってます。

 それだ!(←6年遅い)


■エリートオタク主義の沈降

 「濃いのがオタク(ガイナックスフォーラム)」、「通の目を持つのがオタク(オタキング)」というかつての定義は、その裏に「薄い奴はオタクにあらず」という意味を孕んだ「エリートオタク定義」とも言えます(なお、「濃さ」がオタクならマニアも学者も研究者も同様にオタクであるはずで「濃さの質がどう異なるのか」を解明する必要がありますがここでは扱いません)。しかし、薄い者はオタクでないとは私は思いません。これが定義ではなく、「濃さを求めるのが良きオタクへの道である」といった目標ならば、(「知識を得る事が学生の本分である」の様に)全くその通りだとは思いますが。

 では、世の中には濃いオタクもいれば薄いオタクもいるのに、一体なぜその定義がなされたのか? あの時代にパソコン通信をしていた人は基本的に、高価なPCを所有し駆使できる者のみでした。すなわち経済的に裕福であり、かつ知的先駆者…すなわちエリート(受験という知識競争を勝ち抜いた人達)です。また、当時の画像処理性能(基本16色)では「絵描き」も「モデラー」も「フィギュアコレクター」も、そのオタク力を誇示する事は困難であり、ネットが「知識勝負の場」となったのは必然でした。

 もしも偉い学者が「知識を多く持つのが人間である」と定義したら、未開部族、スポーツ選手、芸術家、宗教家、資産家、労働者その他諸々が一斉に反対するはずです。そして人間の定義を巡って、「愛と幸福を求めるのが人間だ!」、「いや富だ!衣食住こそが人間の基本であり、洞穴の中で知識も幸せもあるものか!」とケンケンガクガクの論争が続くでしょう。では、学者はどう言えば角が立たなかったのか…無論、「知識を多く持つ者が学者である」とだけ言えば良かったのです。あるいは「人間は知識を追及すべきである」でもいいでしょう。
 要は、岡田氏が最初に「通の目を持つのが我々エリートオタクだ」としていれば問題はなく、その十年後に嘆く必要もなかったはずです。ただし、「オタクが通の目を持つのだ」というハッタリは、「政治的(オタクの外交官、オタクのプロデューサー、オタク解放軍の総指揮官的)」には実に的確だったと思います(氏はオタクのネガティブ面を語りませんでしたが、「おたくのダメさ」も充分に知っていたはずです)

 タイムマシンで、明治時代の大学教授が現代にやってきたら、まず日本の大学の数の膨大さを知って大喜びするでしょう。ですが、次に平均的な大学生の実態を見たらおそらく「全く今時の大学生は…」と嘆く事と思います。いかに学ぶ環境(受け皿)が完備されようとも、肝心の人間の脳ミソの性能及び、人口におけるバカとリコウの割合は、100年程度で変わりなどしません。
 岡田氏が「今のオタクは消費するだけの存在、オタクは死んだ」と嘆いたのは、傍から見れば単なる「啓蒙失敗宣言」にすぎません(あと他に、昔は豚…もといピラミッドの底辺が可視化されていなかっただけじゃないの?というのもありますが)。氏が思い違いをした(あるいはわかっていてあえて嘆いた)原因は、おそらく「初期SF界はピラッミドの頂点しか存在しなかった」事によると思います。SF作家は頂点のエリートであり、従ってSFファンもエリートである。よってSFをあまねく啓蒙し、十字軍の如くの進撃で他文化を駆逐し人類全てがSF化されれば、世界の頂点にSF者が君臨する世界は救われて地上天国が訪れるはずだ…という、ピラミッドの歪み(?)がもたらしたエリート志向(思考)の産物かと。

 さて、SF国にとって最大の敵は、他国ではなく「内部のバカ」」及び「ニセモノ(エセSF、特にロボットプロレス物)」の存在でした。自らの集団のエリート性(優勢SF遺伝子)を保つためには、それを阻む者をガス室送りにし、厳しい入国試験を設けて新参者を簡単には入れない様にするのが一番です(そういえば、どこかの島国も移民困難だと言われてますねぇ…)。そして入国試験の「読んだSFを書け」との問いに、「ガンダム」とだけ書くたわけ者、もとい哀れな子羊、もとい超ビギナーが続出しました。千冊書かなければ合格すら及ばないというのに、よりにもよって…。でもって、そんな選民主義バリバリの国がその後どうなったかは皆様御存知の通りです。そして、歴史は繰り返す…
 「♪ロックがもう死んだんなら、そりゃロックの勝手だろ」 (ハイロウズ)

 タイムマシンで、戦国時代の武士を江戸時代のお城に連れていったら「お主らは宮仕え(サラリーマン)か! 武士の本分は戦う事にあるのじゃぞ、アァ嘆かわしい…サムライはすでに死んでおる!」と嘆くでしょう。しかし無論、これは時代が変わったというだけにすぎません。ならば、オタクの価値が「濃さ(知識や物の所有)」である時代が終わったのなら、一体何が新たなる価値だというのか? その答えは簡単で、今の人々が最も欲しがる物です。すなわち「いいね!」の数とか、フォローの数とか…モノや知識よりも、コミュニケーション力と評価(人気、他者からの承認)が上位にあります。

 では、タイムマシンを未来に向けた時、オタクは一体どうなっているのか? そこではおそらく、地域間戦争「オタク1.0(東京)対ヤンキー2.0(地方)」、世代間戦争「ニートタイプ(非所有主義)対オヤジタイプ(所有主義)」を経て、オタク1.0は絶滅しているでしょう、私も含めて。
ご存知でしたか 日本人の9割がヤンキーになる 1億総中流の時代はよかったなぁ  賢者の知恵 現代ビジネス [講談社].


■オタクからの脱却(お菓子からの卒業)

 「岡田氏は本当にオタクなのか?」という疑問を良く目にします(で、「萌えのわからぬ者はオタクではない」「オタクというよりマニアじゃネ?」「普通に文化人でしょ」…と展開)。まあその辺は「オタク定義」の問題なので興味は無いのですが、ガイナックスは「王立の企画書」においてオタク自身のネガティブさを洞察し、オタクからの脱却を唱えて(というより叫んで)います。クリエーターがそんなテーマを企画書で表明したのは多分これが初めてでしょう。庵野氏の反オタク芸風への転向はエヴァの途中で芽生えたというのが定説ですが、何の事はない元からの社の姿勢だったのです。そして庵野氏は、社内からのオタク追放を推し進めたとも言われ、実際に作品もオタクからズレてサブカル寄りが増えていきます。しかしこれって、AV女優がタレントに転身すると必ずプロダクションが躍起になって(〜検閲により削除〜)と何だかそっくりですが、もしかしたらオタクを誰よりも突き詰めたが故に、オタクの暗黒面もより深く見えたのかもしれません(と、希望的推測)

 80年代、OVAを主な実験場として「オタクの可能性と限界」が提示され、よりはっきりしたのは「限界」の方でした。で、これを反省してガイナに続くクリエーターも「オタク自己批判(否定)」を始めるはずだ…と私は踏んでいたのですが、予測は思いっきり外れました。ただ数少ない例外として、ケーキの中に猛毒を忍ばせた物もありますが…2011年4/30 ●『二次元少女まどか☆ニジカ』第九話
 「食糧をいかにして手に入れるか」に腐心した時代は今は遠く、口を開けて待っていればベルトコンベアーで大量に現れる砂糖菓子。それに群がり「どれを食べないか(切るか)」を自慢げに語り合う養鶏場の鶏達…いや豚か、ブヒブヒ。

 「♪ポテトチップもガソプラもいつまで経っても止められない」…ガビフEDの菓子もとい歌詞、実に的を射ています。



2014/2/7
■御大、SF大会を語る
TOYS UP! Yoshiyuki Tomino 第四回 広すぎる部屋
 富野由悠季
〜そのドアを護る彼らの、特権意識が横溢した態度に呆れたものだ。その傲慢な態度に、アマチュアでしかなかったオタクたちのやることが、次第にプロフェッショナル化していく経緯というものを読み取ったわけで、それ以後、よほどのことがなければ、その種の集まりに顔を出すことがなくなった原因になっている。一九八五年のことである。
 以後、一度だけ招聘に応じたのは、時代の変化を知るためだったのだが、会場は広くなりますます盛況になっているのだが、明らかにファンやオタクを食い物にする組織者の顔があって、それが洗練された商売人であればいいのだが、子供のまま大人になってしまった集団の集まりという顔が見えてしまって、どうにも馴染むことができない。

 ガノタが洗練された映像の受け手であればいいのだが、子供のまま大人になってしまったガンプラ好きにすぎないという実態が見えてしまって、どうにも受け入れる事ができない。


■オタクの定義十選

中森定義以前の「おたく」(※定義ではない)

『オタク学入門』
「マクロス」がきっかけで「オタク」という呼び方はあっという間にオタクたちの間で広がった。コミケと呼ばれる同人誌即売会にくるような、初心者のファンたちまで「オタク」「オタク」と呼び合うようになった。同時に、自然発生的に「オタク」と呼び合う人々を「あいつら、オタクだから」と十把一絡げに差別する言い方も生まれた。
 だから、この頃にはすでにSFファン同士はお互いを「オタク」と呼ぶのを止めていた。「オタク」という言葉は、まずオタク自身の中で差別用語になったのだ。

Twitter masyuuki 中森以前に「ちょっと困った人」くらいのニュアンスで「おたく君 ....

 証拠となる一次文献がいまだ発掘されていないため、定義には加えません。

「大人になりたくない者」

おたくの研究――総論 漫画ブリッコの世界
江冶ソン太(1983年12月号)
 「ぼく達おとなになりたくない」
 さる有名マンガ系ミディコミのヘッドコピーだが、この一文は実に的確にマンガマニアの本質を言い表している、といえよう。
 いずれにせよ、人間誰しもモラトリアム期間のまま一生をすごす、ということはできない。

 いずれにせよ、人間誰しもニートのまま一生をすごす、という事はできない。
 いずれにせよ、人間誰しもアニメキャラを嫁にして一生をすごす、という事はできない。
 ・・・以前の繰り返しになりますが、これぞまさに本質かと。

●「子供の精神のままで経済力を持つ者」

日本人はなぜオタクとなり得たか (3) - ITmedia LifeStyle
子供の精神のままで経済力を身につけた者が、オタクの本質であるとも考えられる。

 オタクこそが、人類の未来の進化形(ニュータイプ)たる「幼形成熟(ネオテニー)」の具現化だというのか。

●「特定の分野にしか関心が無く社会的常識に欠ける人(広辞苑)」
オタクの意味についてです。 最新の広辞苑でオタクと調べると何と書いてあるのです... - Yahoo!知恵袋
【朗報】「マニア」と「オタク」のわかりやすい違いが話題 クソワロタwwwww スコールちゃんねる ~2ちゃん おもしろ ニュース~

●「リアルに幻滅した者」(※定義ではなく拡大要因)

【「おたく」の終焉】第2回:おたくの市民権の獲得〜おたくの拡大と多様化〜 SUGATA RESEARCH(マーケティングリサーチ )
この様な「おたく」の拡大の基層とは何だったのだろうか。それは若者の抱える社会への閉塞感、リアルへの幻滅だったと考えられないだろうか。経済の低迷、就職難や社会での競争の激化など、満たされないリアルへの反動としてバーチャルを求めたのではないだろうか。
それはあたかも、鎌倉時代、末法の世で人々がこぞって大乗仏教に傾倒していったことと似ている。どちらも厭世的な気分に端を発し、バーチャル(アニメ・極楽浄土)に傾倒して行くのである。
【「おたく」の終焉】第1回:おたくの発生〜そもそもの「おたく」とは?〜 SUGATA RESEARCH(マーケティングリサーチ )


●「受け皿的消費者」←「濃い人(旧)」

原えりすんの電気オタク商品研究所 2005/11/26 オタクの歴史論
 この頃パソコン通信が業界人の間でもてはやされるようになりました。(中略)
 その中でガイナックスもステーション/フォーラムと呼ばれるエリアを構えていました。(中略)
岡田斗司夫氏の言うところの"カルピスで言うと「原液」を通り越して、箸が立ちそうなぐらい濃くなってしまった”状態となったのです。http://netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/priodical/mayoimichi/TVBROS1.html
 この場所で、ローカルですが、かなり明解なおたくの定義が生まれました。
「濃い」「薄い」かです。

■オタクの現状
「オタク」とは受け皿的消費者側を指す言葉なのです。(中略)
 消費者としてのオタクはどこへ向かえばいいのか?これは簡単です。
「自分の好きなことに本気になる」

 このおたく自身によるオタク定義は、岡田氏が唱えていた「通の目」と本質的に同じと言えます(海洋堂のガレキスピリッツにも似ています)。

●「革命戦士」(旧)

岡田斗司夫のいうオタクとはオタク解放戦線の同志 メカAG
オタクの本質は戦うことではない。

 オタクが連帯を有していたとも言えた時代もありました。民族の結束は、常に外部からの危機と共にもたらされます。岡田氏の言う「連帯するオタク」は、オタク=コミケ民族、すなわちコミケを中心とした「ドジン王国」として実在していたと思います。マニアの場合、切手マニアと天文マニアの間の接点はゼロですが、オタクには共通の聖地、バベルの塔たる「有明」が存在しました。本来ならば他ジャンルに興味を示さないはずのオタクが連帯した最大の理由は、言うまでもなく宮崎事件のバッシングです。しかし戦争に勝利した後、コミケの神が消えた年に岡田の(幻想の)オタク王国も消え(バベルの塔は崩れたのではなく言語が混乱しただけ)、同時に「民族の絆」も消えて、オタクは本来の姿へと戻りました。

●「蒐集家」

岡田斗司夫が感じた違和感の正体 メカAG
オタクというものの本質を極限まで刮げ取っていくと、最後に残るのは「コレクター(蒐集家)」としての性質だ。(中略)
情報蒐集の方が本当の楽しみだから、情報をたぐり寄せられる手がかりが沢山詰め込まれている作品が「オタク向き」の作品なのだ。

オタクとは情報の蒐集家である メカAG
オタクが蒐集するものは活用されない。模型やフィギュアはおろか知識でさえ活用されない。彼らにとって知識は所有していること(もしくは所有していることを自慢すること)に価値があるのであって、極端な話「裏情報」というレベルが貼ってある空っぽの箱でもいいわけだ。

雑記 2014/1/18

●「不均衡さ」

大澤真幸「不可能性の時代」(2008) - mokoheiの読書記録帳
「情報的な濃密性と意味的な希薄さとの間の、オタク固有の不均衡が生ずる理由は、ここにある。オタクたちが最も苦手としていることは、自分たちがやっていることを、より包括的なコンテクストの中に位置づけることである。有意味性は、常に、「それ以上のコンテクスト」を背景にすることで、弁証される。だが、オタクたちが関心を示している、アニメならアニメ、ゲームならゲームといった特定の領域が、すでに普遍的な世界、ひとつの宇宙であるとすれば、彼らにとっては、より包括的なコンテクストはあってはならないし、またあるはずもない。つまりは、外へと通ずる窓はないのだ。こうして、外部の包括的なコンテクストへの一切の参照を欠いたまま、内部の情報を徹底して精査しようとする慾望だけが、無限に展開することになる。」

「つまりは、ガンダムの外へと通ずる窓はないのだ。こうして、外部の包括的な映画作品コンテクストへの一切の参照を欠いたまま、MSの型式番号情報を徹底して精査しようとする慾望だけが、無限に展開することになる。」
《オタク》は 他者性を避けているか(1 3) 哲学のQ&A【OKWave】

●「キャラクターで妄想する者」(※定義ではなく「道」)

OTAPHYSICA(オタフィジカ)オタク道
 漫画を読むこと、アニメを見ること、ゲームをやることは、誰にでもできる。しかし、そこから一歩進み、その物語のキャラクターを使って別の物語を脳内で展開しはじめた瞬間、人はオタクになるのだ。(中略)
 オタクは、外から与えられたキャラクターを受け取って、より面白い方向に転がすことはできる。しかし、魅力的なキャラクターそのものを産み出すことはできないのである。オタク的能力のみに優ったオタクがそのまま作家になると、お約束しか出てこない。二次創作にしかならないのだ。それでは、別のオタクにとって妄想のしがいのある作品は生まれてこないだろう。創作者には、何らかの意味でオタクを超えることが要求される。

 ガンダム知識のみに優ったガノタがそのままガンダムを作ると、お約束しか出てこない。河森や庵野は、何らかの意味でオタクを超えることを要求されたのだ。

●「虚構世界のみに生きる幼児退行した者」

Open ブログ ◆ オタクの定義と本質
だから、何かをなすことが本質ではなくて、何かをなせなくなることが本質だ。
 では、なぜ、何かをなせなくなるのか? なぜ、社会生活をまともに営めなくなることだ。
(中略)
 現実と妄想の区別がつかなくなったあげく、虚構の世界にのみ生きる人々。それが、オタクである。(定義)
(中略)
「オタクの大好きなテレビゲームなどのせいで、ひきこもりになる」
 しかし、これは、話が逆である。正しくは、こうだ。
 「現実逃避をするように、精神的退行を起こしたせいで、オタクになる」(中略)
「二次元の女の子の方がかわいい」
 などと言い出すのは、根本的に狂った見解だ。それは「甘いものだけを食べていたい」という、幼児の発想であり、退行した精神の発想だ。

 「なせない事が本質」という視点。やはりオタクは「狂人」なのか…。

余計なオマケ「三次元を拒絶する者」

雑記 2013/4/21
 「人が猿にしか見えないのは、美意識が生物的に間違った方向に特殊進化しているだけなんだよメーテル」(←言い訳)



2014/2/6
■「大伴の遺伝子、MSVの夢」
アニメック『機動戦士ガンダム大事典』(1981)p78
(富野)「どうしてSF知識を得たといいますとね、あんまり人に話したくないんだけど……14、5年前の少年マガジンとかサンデーのなとか知識、百の図鑑とかよくやってましたよね、僕はいまだにあの当時のファイルを大切に持ってるんです(笑)

大伴昌司 - Wikipedia
アニメ監督の富野由悠季は『少年マガジン』の図解特集をファイルにしてここからSF知識を得たという。

 ガンダムの影に潜む「少年マガジン」。

野地秩嘉『エッシャーが僕らの夢だった』新潮社(1996)
p63 評論家の立花隆は雑誌『諸君!』(文藝春秋)の一九六九年九月号にオピニオン・ルポと題して『少年マガジン』は現代最高の総合雑誌か」という文章を発表している。このなかで、氏が個々の企画として内容を評価しているのは「巨人の星」でも「あしたのジョー」でもなく、大伴が作った記事である。

p65 大伴と一緒に働いた田中利雄はこんなふうに思い出を話す。
「寝ないんですよ。夜中の一時過ぎないと仕事を始めない。こっちがうつらうつらすると猛烈に怒る……つきあいづらい人でした。一度、あんまり頭に来て、地下鉄のホームで後ろから背中を押してやろう、と思ったことさえあった。けれども天才でした。ほんものの天才でした。あんなに博識な人とはその後も会ったことはない。僕はその後『テレビマガジン』という雑誌の編集長をやったんですが、その時に、ああ、今やってる仕事のやり方はすべて大伴さんから教わったんだな、と思いましたから」

p70 (内田勝)「大伴さんのことは忘れられない。梶原(一騎)さんも忘れられない人だが、梶原さんのことは作品を通して理解している人が大勢いる。しかし、大伴さんの才能をほんとうに理解しているのはあの時代に一緒にいた僕らしかいないんだよ」

 その遺伝子は「テレビマガジン」に受け継がれ、そして「ボンボン」へと続いていく・・・。
 なお未所持ですが、荒俣 宏『奇っ怪紳士録』(1988)に、「ウルトラの父大伴昌司」との章…あぁ下剋上。
 しかし大伴氏の私生活の記述を追うと、理解不能の何かがある様に感じます。どうもオタク的というよりも「奇人的」というか…もしくは100年後の未来人がタイムスリップしてきたという感じでしょうか。


■CMやゴミの様な物が重要なんだ!

 大伴氏は周囲に「何故にCMごときを入念にチェックするのか?」と呆れられ…もとい不思議がられていたそうですが、その意味がわかるのは「オタク」だけでしょう。
 「しまった、若い頃に録画中のCMカットなんかするんじゃなかった…CMの方こそがむしろ重要だったのに! あとガンガルに岡崎ガンダムも! それからボンボンにSDマガジンも・・・泡沫設定こそが貴重な史料なのに!」と私が自らのふがいなさに気付いたのは、遅まきながら90年代末頃になってからです(ダメだなあ)。


■「オタクとは、中二的退行(対抗)非モテ文化に耽り続ける(依存する)者である」(082第二定義)

 先日の俺定義「本末転倒」は、「大澤真幸定義(不均衡さ)」の劣化版にすぎないとも言えます。また、オタクの定義というよりも、単に「方向を間違えている、無駄な事をしている(人生の無駄遣い)、つまりバカ」とでも言う所につき、ダメな人、ニート、ヤンキー、果ては国家までをも含んでしまいます。また、旅行にスポーツ、更にオトナ的な「パチンコ、競馬、タバコ、酒、女、風俗、ファッション」といったオタクとは無縁そうな物も然りです。

 そこで加えた別定義ですが、要は「いい歳にもなってアニメを見てる者」、もっとぶっちゃけて言うと「萌える者」という誰もが言ってる事にすぎません。当たり前の内容である以上は差別化のためディテールをややこしく凝る他ありませんので、「中二的(思春期前期的)退行」という別の定義を設け、ロック等を切り離すため「非モテ文化」としました。「依存」というのは「ギロチンさん定義」からで、「没頭による社会性、一般性からの逸脱」という意を含みますが、蔑称の側面は削りソフトにしています(私は「語源原理主義」はとらないので…とはいえ「退行」があるのでしっかり毒入りですが)。
 ここで「子供的」としなかったのは、戦隊やプリキュアを見ているオタクはネット上では多く目にしますが、モノホンの子供番組を愛好する猛者は案外少ないと思われるためです(円盤が売れていない)。ちなみに深夜アニメの男主人公は、いかに□リ物であるといえど基本的に高校生であり(「ろ○きゅーぶ」「ズヴィズダ」他)、「みつどもえ」の様に完全な小学生視点の物はさほど多くはありません。ただし主人公の年齢が決定的という訳ではなく、マジンガーの主人公の年齢はガンダムよりも上ですが、オタクが圧倒的に好むのは作品内容がオトナ的なガンダムです。

 オタク文化の初期には、はれブタの武蔵小金井君の如く「あえて変人の道を行く」、つまり「わざと子供的な物を選択する俺ってマイノリティでイケてるじゃん!」というスタイルがありました。そこで持ち上げられた物は、ウルトラセブンやガンダムの様な「子供向けのベールを被った青年向け作品」が主であり、本来の子供向けアニメは多くが無視されました。この理由は、アニメがサブカルチャーというより、マジョリティの大人文化に対抗するためのカウンカターカルチャーとして受容(需要)、消費されたためだと思います。

 しかしそれは、「いい歳してあえてアニメを見る」というのではなく、単なる大人化(卒業)の拒否にすぎません。中二病(旧定義)的とでも言いますか、「子供が大人っぽい物に憧れる」のが延々と続いているというだけです。ガンダムから他のロボットアニメにはまる人は多くいても、その奥にある「ネオレアリズモ」や小津のファンになったという話はとんと聞きません(水は低きにしか流れない)。
 そもそも深夜アニメの幻想の「高校生活」に憧れるのはリアル高校生ではなく、リアル中学生か、もしくは精神年齢が中学レベルに退行した大人のみです。青春時代を後からほのぼの思う物…ではなく、単に時間が停止しているにすぎません。永遠に歳をとらぬピーターパン・ガキオヤジ達のバベル(竜宮城)に、幸あれ。



2014/2/4
■「オタクとは、本末転倒の指向(嗜好、思考、試行、至高)の事である」(082定義)

 ウルトラの映像よりも怪獣図鑑、ガンダムの映像よりも年表設定やセンチュリーの方が、本末転倒でオタク的。
 ウルトラの映像よりも怪獣ソフビ、ガンダムの映像よりもガンプラの方が、本末転倒でオタク的。
 人間ドラマよりも、メカや爆発やパン○ラにこだわる方が、本末転倒でオタク的。
 アニメ作品(物語)より同人誌(アニパロ)、作品論(本質)よりも型式番号論(泡沫)の方が、本末転倒でオタク的。
 アニメを代表する絵にテレビマガジン(幼児雑誌)の挿絵をあげる082は、本末転倒でオタク的。
 三次元より二次元、大人の女性より幼女、仕事より趣味、実体験より仮想(妄想)の方が、本末転倒でオタク的。

 以上、大事な事なので、何度目なのかわかりませんが繰り返しました悪しからず。


■第二のオタク(オタクリエーター2.0)は「ぬえ」である論

 オタクの元祖は「大伴昌司」氏であると良く言われます。無論こういった事は「オタクの定義(#1) 」をどこに置くのかによって変わるはずですが、「いや誰某じゃないか?」というツッコミも聞かないため、以後はこれを前提とします。氏がいつ頃からそう呼ばれていたのかは不明ですが、90年代前半までは「おたく」は蔑称に等しかったため90年代半ば以降かと推測します。つまり「おたくの元祖」ではなく、「オタクの元祖」だと思われますが、例えカタカナのオタクであってもそこには「語られないネガティブ面」が潜んでいる様にも思えます(#2)。しかし、後世の我々は「その人(恰好や内面のオタクっぷり)」ではなく「その仕事」を見る事しかできないため、「オタクとは、オタククリエーターの事である」とし(あくまでここのみの定義)、「元祖オタク」は「第一のオタク」であると考えます。

 ところで、「初のオタク作品は何か?」がとりざたされる事は少ないのですが、オタクが作った物ならば当然それはオタク作品のはずです。とはいえ、流石に初仕事でいきなり「オタク作品初出現」という事も無いでしょう。という訳で、誰もが知る氏の代表作こそを「オタク作品第一号」と呼んで差し支えないと思います。

 それでは、第二のオタクは誰か? 「二人目のオタク」ならば、普通に考えて大伴氏の弟子筋(の怪獣博士)等と考えられますが、「第二のオタク」、つまり「オタクのナンバーツー」の意味を含ませた場合、私は「ぬえ」が該当すると思います。これは青井邦夫氏によるつぶやき「ウルトラにおける大伴氏と宮武氏のガンダムでの動きが似ている」がヒントですが(以前にトゥギャらせて頂きました)、「怪獣図鑑」と「ガンダムセンチュリー」には、以下の共通点が存在します。

○二次創作、つまり同人的なスタンス。
○重大な裏設定(カラータイマーの三分間等)を勝手に考案。ちなみに「メガ粒子砲」は宮武氏の造語(脚本の松崎氏の背後にうごめく黒い影…)。
○制作者からは嫌われた。(安彦氏はセンチュリーにおける宮武氏の起用に苦言を呈している)。
○必要以上の「過剰な濃さ(革新的かつ圧倒的)」を有し、ファンの大きな支持を受け「聖典」となった(ある意味下剋上)。

 とはいえ、センチュリーは怪獣図鑑の単なる進化形(悪く言えば二番煎じ)でしかないとも言えます。「第二のオタク」の称号を得るにふさわしい「第二のオタク創作物」とは、言うまでもなく初のオタクテレビアニメ「マクロス」です。大伴氏が「オタクリエーター1.0」なら、宮武氏は1.9、河森氏は2.0にあたるかと思います。ただし、マクロスは商業オタクアニメとしては初ですが、非商業作品も含むなら、元祖と呼べる物はその前年の「DAICONV OPアニメ」です。ちなみに岡田氏は、「オタクの発生点」をはっきり言明はせずとも、ここであるとほのめかしています(あぁやっばりね…という感じですけど)。

 それでは、第三のオタクは誰か? 第一と第二の違いとして、「同人的スタンスの増加」があります。という事は、第三のオタクは「アマチュアでありつつ、プロを凌駕する作品を創りし者」が該当するでしょう。また、第二において新たに「オタクでありつつもオタクからの脱皮を目指す(オタクのネガティブ要素を否定する)」という傾向が発生しており、第三オタクではこれがより強化される物と考えられます。という訳で、ガイナックス及び庵野氏が該当すると思うのですが、第三ではなく「オタクリエーター2.9」ではないかという感も多少あります。

 それでは、第四のオタクは…皆目わかりません。ここまでが「1.編集(裏設定解説)」、「2.メカデザイン&裏設定解説→オタクアニメ」、「3.同人アニメ→メカ、エフェクト作画→オタクアニメ」という流れなので、「オタクリエーター4.0」の出世コースは「同人萌え絵→ニコ動→オタクアニメ」がそれっぽい気がしますが、プロにはならず同人どまり(つまり特定不能、個人ヒーローの時代の終焉)という感も多分にあります。

(#1) オタクの定義として、「○○オタク」という用法(単なる「マニア、○○狂」の呼び換え)は除外しています。例えば、「手塚は映画オタクだ」「宮崎は兵器オタクだ」とは良く言われますが、「手塚はオタクだ」「宮崎はオタクだ」と呼ばれるのを耳にする事はありません。

(#2) 氏のネガティブ面(外見や仕草、プライベートの奇人っぷり)を妄想するのもどうかはと思うのですが、付随情報にこそ本質が含まれる事は良くあります。例えば、後世の人が「宅八郎」のタレント的活動(つまり顔写真や動画といった物でのみ伝わる生理感覚的イメージ)を排除して、氏のライターとしての仕事のみに触れた場合、「普通のサブカルライターじゃネ?」としか思えないかと。




2014/2/3
■WMは一日にして成らず


2011-08-18 自称米子のプロモデラー
 開田裕治画伯のオリジナルロボット(「宇宙船」創刊号、100号、120号)。WMの源流は海外のSFイラスにある事は以前メカ・ロン-3 ウォーカーマシンで述べましたが、それらを直接目にしていた人は少なかったのではないかと思います。とは言え、直接には知らずとも「クリエーターの目を通したアウトプット」を多くの人が受け取っていた事は御覧の通りです。

 WMの系譜がほぼ絶滅した、もしくはマイナーなままなのは、日本のロボットデザインの進化系統から外れているためだと思います。ちなみにこれと良く似た出現、および絶滅の仕方をしている物として、アナライザーがあげられます。御存知ヤマトのパン○ラ担当要員…もとい、北米神話のR2-D2に確実に影響を与えたと思われる偉大なるロボ。
SWキャラのルーツ(2)/R2-D2|作家集団Addictoe オフィシャルブログ

 WMは結局、この国には根付きませんでした。ですが日本を遠く離れ、ED-209という息子を残しました。そして現在、アバターや第九地区といった作品で、その子孫達が元気な姿を見せてくれます。日本特撮界の水子の如き、開田ロボの子供たちにカンパイ(完敗)。


 (船長)「アナライザー君も一杯やるかね…ん、いつもと違って見えるが気のせいか」。
■0128■ 550 miles to the Future.htm (■0127■ もおすすめ)



2014/2/2
■更

愛用ふりーうぇあ

■混沌の中の幻実(リアル)

メカ戯言「戦闘メカ ザブングル」-2 ちょい更新。(4/20リンク修正)

 設定の混沌。しかしリアリズムの基軸が作品内に存在しえない以上、やれ本質だのリアルだのヘッタクレも無く、問題はいかにして妄想・逃走して混沌(ナンデモあり)より解脱するか。巷に横山風な足し算のアプローチは多くなされど、そこに世界観と刺し違えて自滅も辞さぬ小林的な毒牙はいまだ見かけず。第一の難題は手探りの中30年前に片づけ、その次の問題も4年前にほぼ終えた。されど手の中は相も変わらずカラッポで、そしてこの後も多分、何もない。


■WMの本質は高荷画伯の「休息」にある

06 juin 2011 Le Dino Bleu.htm
 仏語ですが機械翻訳から察するに、ありがちな設定紹介のコピペ、もとい翻訳だけではなく文化的で奥が深そうな批評もある様です。そして注目すべきは、載せているイラストがギャロップタイプ(※絵は左端が欠けている)を描いた高荷義之氏の「休息」(ラフは出渕氏)と、「オープントップ・クラブの設定画」である点です。後者については意図不明ですが、前者のギャロップに対しては私も同意、まさにベストの選択です…ただし「ザブングル的」にではなく、「ウォーカーマシン的(&世界観的)に正しい判断」ではありますが。
 この絵は、要求される「公式画の代表」からは遠い所にあります。公式サイトやアニメムックにおいて、これを選択したら多分怒られるでしょう。ギャロップは劇中においては、MSで言えばアッガイの様なショボイ脇役メカにすぎません。更に、「ガンタムを紹介したいので画像を一枚選べ」と言われて、「テレビマガジンの挿絵こそふさわしい」と言う人はいないでしょう(普通に考えて、設定画、御神体写真、映画一作目の安彦ポスター…といった所でしょうか)。上のサイトを運営するフランス人に、もし初出の雑誌自体を見せたら、おそらく「これは5歳児向けの物じゃないか!」と仰天する事と思います。

http://may.2chanlog.net/image/may/138/56/86/1385686645378.jpg 巨神(クローバー)(11) ←そのうち消えます。
 http://may.2chanlog.net/b/res/230708579.htm←元スレ、そのうち消滅。
高橋蔵書 ar_takani 砂塵(1)
Toysdaily 玩具日報 - Powered by Discuz! Board 移送(2) 休息(7) 出撃(3) 奪回(8) 襲撃(9) 前線(10) 砂塵・加筆版(1改) 激突(6)  みんな走れ!(14) 戦闘メカ ザブングル(12)
特務機関<福猫飯店> 帰還(4) ん、ボナパルト&ロックウェル?
TigerRoll, rocketumbl 高荷義之 Yoshiyuki Takani 移送(2)
JAPAN三, 高荷義之の検索結果 御大(15?) ※マクロスはアートミックの鈴木氏につき注意。
アニメキャラのイラスト 自称米子のプロモデラー 大上ダンバインの作例を覚えている物は幸せである。


 ・・・と解説はしてみても、本質云々の理由を文章で語ってはいないので、「ザブングルの本質はスパロボにある。理由は無い」と返されたらハイそれまで。いくら「言葉は不要、リンク先の絵を見ればわかるでしょ」と言った所で、見てわからなければそこでジ・エンドです。
 同じオタクでも、男と女の間には越えられない深くて暗い溝があります。オタク歴の無駄に長い私でさえ、深夜のホモアニ…もといBL物を見ても、何も感じられません。こういった物は勉強すればわかるという類の物ではなく、見る側にそれを受容する感性(やおい適正、ロリ属性、etc…)を元から持ち得ていなければ永久に理解不能です。
 私がここで言うWMの本質とは、「男の子の魂」「鉄の空気」というべき物なのですが、高荷ファンの女性がラスカルさんの他に存在するのか疑問ですし、そもそも男性であっても「んー萌えないなー古臭いし」としか感じられない人は多いかもしれません。実際に私自身、氏の師匠にあたる小松崎氏の絵の中に、上の世代の人の目には見えているであろう「未来」を感じる事ができません。また、私が今の若い人のメカ絵を見て「萌えはあるけど燃えがない、技術はあるけど魂がない、あぁ昔は良かった…」と愚痴るのは無論、頭の堅い年寄りの典型的なお約束。若い頃は「オヤジ世代は達は何で手塚やビートルズで時間が止まってるんだろ?」と思っていたのに、今では自分が…(ヤレヨレ)。

 話は変わりますが、その昔「VF−1」という同人誌がありまして、マスターファイルはそのフォーマットのまんま延長です。ガンダムにはセンチュリーとMSVがあり、バイファムはパーフェトメモリー、ドラグナーも詳細なメカムックがありました。ですがザブングルはそれに類する物がないため、いまだに未開の荒野状態です(型式番号すら後付けされてません。ただ個人的にはWMには自動雑誌フォーマットの方が向いてるかと。試乗レポートとか中古ディーラーの宣伝とか…)。
 とはいえ、ザブングルにセンチュリーの様な「聖典」が無いのかと言えばさにあらず。ビジュアル面においては、石橋氏、高荷氏、出渕氏、そしてバンダイが「リアル」の名のもとに妄想の翼を広げていました。ですが、そういった過去の「リアルタイプ設定」を発掘して聖典(正解)と崇拝するガノタ的行為は、本質から外れていると思います。なぜならば、WMのプラモに込められていたメッセージは「自由に作れ!」だったからです。

 WMのプラモとは、「キャラクタープラモが元ネタから遊離し、自由になる事が可能なのか?」という実験でもありました(ただし元作品の色や形は無視しても「世界観」はあくまで尊重につき、アオシマのトンデモ化とはベクトルが全く異なる)。しかし、その結果は…雑記 2008/7/24(時代に早すぎた…というのはみっともないベタな言い訳ですが、今もまだその時代が到来しているとは言えません)。
 そしてΖガンダム後半において「ファンは設定の混沌(バーザムの様な)にどう対応すべきか」という「問い」が新たに突きつけられ、モデラーが出した答えであり総意は「カトキ版」でした。その本質は何度も言う通り「萌え」です。しかし「小林版」というもう一つの答えも存在しました(90年代に一旦絶滅)。これを突き詰めていくと、最終的に小林版イデオンのデザインから導かれうる全く別のストーリーを逆算する様な、母屋を乗っ取るどころか神の領域への侵犯というテロリズムに行き着くはずですが、そこまでする人は見当たりませんし、今後もおそらくいないでしょう。

 混沌とは…いや作品とは、創り手が受け手に投げかけた「問い」である。正解の無い答えを出し続ける呪いを受けし我が同族、回し車のネズミの如き砂場の中のオタクに、幸あれ。




 zakki 
14-1  2014  14-3

G_Robotism