雑記 2010年 11月




☆ダメオタデンパ『オはオタクのオ』


2010/11/30
●黙祷




●神はかく語りき

 神は常に真理を口にする。いや、神が口にする事が真理なのだ。
 『東大工学部の皆さん、ロボットの開発なんかやめましょう!!』
 周囲は一瞬静まりかえり、歓声が起こる。神はまるで何かへの嫌がらせでもしている様に叫ぶと、私の後ろで誰かがボソッとつぶやいた。
 「ま、奴隷(ロボット)ではなく人造人間(アンドロイド)であるべきだな・・・」
 後ろの席を振り向くと、いかつい顔の男が一人。どうやら、肩に乗せているシロクマ(?)のぬいぐるみに話しかけている様だ。神の言葉はなおも続く。
 『核研究者の皆さん、ガンダムに積めるような核融合炉なんて作れません!!』
 「ま、ガンダム自体は実現しないが、パワードスーツに積めそうなサイズなら一般市民も作れる。さしずめリングコロニーの人工太陽って所だな・・・」
 神は、何を言っても常に賞賛と拍手に包まれた。そして神の演説はクライマックスに達した。
 『宇宙科学者の皆さん、コロニーは人間工学では作れません!!』
 「ま、この地球が人間工学で作られた訳ではなかろう。ガンダム型コロニーなら実現性はないが、近未来ならリング型を小惑星帯に運び、遠未来なら金星かタイタンを地球の傍に・・・あといきなり言い出した軌道エレベーター、30年遅いよ」

 神の主張自体は、極めてわかりやすかった。これらは全て「ガンダムは実現しない」という事であり、すなわちガンダムが嫌いだと言っているのである。しかし、それにもかかわらず人々は熱狂し、『ジーク・神!、ジーク・神!』と歓声が大きく響き渡る。
 「されど、エデンを追われし我々が約束の地へ至る道は遠い・・・さてと、帰ろうのんちゃん」
 男は立ち上がり、いそいそと去っていった。その顔はまるで妖怪輪入道を思わせ、気味の悪い声はトラツグミ(ぬえ)の様でもあった。(未完)


●黒き影のマユゲ
これがプロフェッショナルの仕事と生き様、マクロスの河森正治監督が語る「アニメーション監督という職業」 - GIGAZINE
河:「いっせいのせ!」で見せたら両方とも逆関節系を描いてきた(笑)僕は二本足の逆関節系だったんだけど、向こうは四本足だったんで。四本足がアニメで出来るわけないだろって話。
氷:四本だと大変だね(笑)
河:それで僕が競争で一応勝ったというありがたい話です。でも勝ったんですけど企画が通らないんですよ。僕は当初のコンセプト通りの良いものができたと思ってるんですけれど、持っていく先々で断られるんですよね。人型メカじゃないから駄目だと。
(中略)
河:軍隊のサイズでいったら主人公が毎日ブリッジにいくなんてまずないですよね。そういうことあんまりやらないとか。戦闘中に敵味方でお話しないとか。
氷:だんだん一人の監督の(笑)
河:戦闘中に敵とお話って「これギャグ?」と思ってた。
氷:最初話してなかったんですよね。
河:だんだんお話増えていきますね。何でお話が増えるかっていうと、お話をするとね、尺が楽なんですよ。
氷:そこが尺を持っちゃう(笑)ドラマがそこで発生するから。
河:それをやらないわけですよ。やらないで何とか作る。失敗してもいいやってひどい言い方なんですけども。他の作品でうまくいったやり方すると、自分がうまくいったわけじゃあないじゃないですか。

黒082:「いっせいのせ!」で見せたら両方とも逆方向の妄想を書いてきた(笑)僕はデストロイドの格闘と巨人と人間とのコンタクト物というハードSFだったんだけど、君は戦闘機戦とアイドルとラブコメだったでしょ。ハードSFがオタクに受けるわけないだろって。
白082:ハードだと萌えないからね。
黒:そこで僕が一発ぶんなぐって一応勝ったという話です。でも勝ったんですけど妄想が受けないんですよ。僕は当初のコンセプト通りの突飛なものができたと思ってるんですけれど、見せる先々で嫌われるんですよね。バルキリーが出ないし、歌うアイドルも三角関係もないから駄目だと。
(中略)
黒:科学のレベルでいったら主力機がキャノピー剥き出しはまずいですよね。そういうこと一切やらないとか。戦闘は銃撃戦だけにしないとか。
白:だんだん一人の監督の(笑)
黒:デストロイドよりも装甲が強力って「これネタ?」と思ってた(一応電力で装甲を強化してる裏設定がある様だけど)。
白:当初はデストロイドも活躍するはずだったんですよね。
黒:だんだんバルキリーだけになっていきますね。何でバルキリーが増えるかっていうと、バルキリーを出すとね、オモチャが売れるんですよ。
白:そこが人気を持っちゃう(笑)需要がそこにだけ発生してるから。
黒:それをやらないわけですよ。やらないで妄想する。貶されるに決まってるだろってひどい妄想なんですけども。元のマクロスでうまくいったやり方すると、自分がうまくいったわけじゃあないじゃないですか。




2010/11/29
●出張報告

 デジカメを持ってくのをまた忘れたものの別段不要で、殿堂ファイトはぬま氏初優勝。
 帰りに依ったアキバの海洋堂では、今週水曜限定で透明エイリアンとの事・・・要は未塗装品でつね。
http://tokusatsurevoltech.com/series001_clear/


●あ、

 はてブ見つかった・・・相変わらずのオイラ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/usobandai.blog55.fc2.com/blog-entry-1.html
 どうやればちゃんと調べられるのか、いまだにわからないナア・・・。



2010/11/28
●バンダイ批判専門サイト発見

ガンダムと嘘と株式会社バンダイ
 うひゃあ、なんという怨念!しかし2年も前からありながら、突っ込み一件のみ、トラバはスパムが一件、はてぶも被リンクもない孤高っぷりにシンパシー。ただ多少否定的なバイアスが強い様にも見えますが、他人の事は言えないか・・・ムニュムニュ・・・という訳で、フォロー&突っ込みを少々

「ガンプラからガンダムブームが起こったのか?」
 無論、否。経済面ではガンプラブームの規模が大きいものの、あくまでガンダムブームの発端は再放送&映画化。されどそういう声があるという事は、小学生層においては「ガンプラから入った」、すなわちアニメは見ても難しくてわからない、もしくは見ていない人が多かったのかもしれない(事実ではなくとも個人にとっては真実)。

「ガンプラブームは約束されていたのか?」
 微妙だが、否。バンダイの運が良かった先見の明であり、その素晴らしき選択眼はベスト・メカ・コレクションの堂々たるラインナップを見ての通りである(ムサイが妙に早かったり、ゴッドマーズの敵メカは誰得・・・)。
http://www.plastic-models.net/best_mecha_collection_list.html

「生産調整は本当にあったのか?」
 否(バンダイ側の言い分ではあるが、おそらく事実)。増産は金型を増やせば可能であったが、検討されたものの結局行われなかった。理由は、当時の金型は職人の手に依存しており「複製してもどうしても同一にはならない」というリスクがあった事による(「韓国生産版1/144ガンダム」は唯一の複製)。まあ確かに悪名高い「たま○っち」の出荷調整が記憶に新しいものの、当時のバンダイはまだ健全であった(と信じたい)。

「DVD音声問題」
 公式には一切不明。ただガンダムだけが取りざたされるが劇パトも同じく新録されており、こちらは「声優の著作権(隣接権)」による物だと理由が明かされている。

「マーチャンダイジングをちゃんとしているのか?」
 当然しているはずで、だからこそ御大は新作から抜かれるのだ。ガンプラオタと富野信徒の比率は、昔も今も連邦とジオンの国力差以上なのである・・・起てよ信徒!ジーク・トミノ!!



2010/11/27b
●東海村 足を向けては 寝られない

↓あ、面白そう。
11/27(土)19:00〜『オタク大賞R9 キャラクターモデル30年史』: 模型の王国 & 模型塾 サポートページ


 で本題ですが、一応自分もあんぜんなトリウム炉にだいさんせいです、いますぐにつくるべきです。まず最初に、一号炉は富野氏が住んでいる新座市の地下200mに建造するといいと思います。その次はお台場か秋葉原、その次は横浜の・・・そうですね、ウチのまん前でもいいですよ、大きな川もあるし。

 で結局、「自信はあるが地震もある」・・・〜終了〜
 自身の中では今も、広瀬隆(東京原発計画は「誉め殺し戦法」と同じで上手いアピールだったナ)とトンデモとオカルトと恥ずかしい過去がいっしょくたに、放逐しきれずに脳内でくすぶり続け、時折こうして電波を発するのだ。
 耳元で白い自分が「都会に生きている事は罪であり、この国に生まれた事自体も原罪なのだ」と囁くと、その一方で黒い自分が「多数の幸福のための少数の犠牲は止むを得んよ。大体この町の渋滞がひどい原因は、一軒の家が保証金吊り上げ目当ての立ち退き拒否で、道路の拡張が何十年もストップしてるせいだしなあ」と理屈をこねる。

 「あーぁ・・・・誰が誰を責められるこの生存競争〜チェルノブイリには行きたいねぇ♪」

 ・・・と歌う自分に「今どき尾崎にブルーハーツかよ」と突っ込みつつも、バブルの狂乱の中に消えた「反原発ブーム(恥ズ)」を、かつての学生運動の如くにオヤヂ世代の黒歴史として封印し続けるのはいかがなものか、とふと思った。(未完)



2010/11/27
●「エコだよ、 それは!」

坂本龍一と富野由悠季がクリエイティブを語る。シンポジウム「『エコ+クリエイティブ』から生まれるイノベーション」開催【コクヨ株式会社】 - 【松竹】玖足手帖【映画】

 所感つらつら。
「エコ問題」・・・武田邦彦と山本会長のどっちが正しいか問題ですね、わかります・・・自分にできる事はただ、「焼け石に 水滴垂らし 祈るだけ」。

「エコイノベーション」・・・「我々の萌え文化と、高性能オナホ…もとい発電システムを輸出して世界中をモエオタク化し、100年かけて地球人口を半分に減らします。これこそが人類が生き延びる唯一にして最善の方法なのです、父上」。「それはエロイノマスターベーションの間違いではないのか、ギレンよ・・・」

「トリウム」・・・ガンダムはトリウムの夢を見ません、モビルスーツが見るのはトリチウムの夢(種は除外)。宇宙世紀に原子力など石油ストーブがあるのにわざわざ薪をくべるが如きかな、一体マ・クベは何であんなものを・・・。でも最近になって「ソリウム(=トリウム)」の台詞をタネに、ガンダム世代の原発関係者が御大に近寄るのを見るのは何だか微笑ましくもあり。

「太陽エネルギー」・・・「トリウム原発で100年持たせる、その間に太陽光発電」と御大は言いますが懐疑的なオイラ。
太陽光エネルギーの利用とその限界
自然エネルギー技術の限界
 ショウは女王に「毒をもって毒を制す・・・戦いが終わった後で、全てのマシンを廃棄します」と奇麗事を述べた。両陣営共に全滅し虫一匹しか残らぬ運命を知る由も無く…(「正戦士バンダイン」より抜粋)。

「ローマクラブ」・・・そういえば「西暦2000年の地球」っていうのもありましたねぇ。

『コズモ82 サイエンス・マガジン』ユニバース出版社(1982年)
「『西暦2000年の地球』の虚偽を斬る 世界人口は足りない」スティーブン・バードウェル(FUSION誌編集長)
 計算すると、最低でも約100億人の人口がないと核融合への転換がうまくいないことを示している。核融合技術に必要な分業、高度に訓練された人間の数、そしてこの水準で生産にたずさわる人々が要求する高い生活水準は、人口が増加して初めて成り立つのである。(p49より)

 30年前は核融合発電の実現は目の前でしたが、21世紀中の実用化すら無理っぽい・・・(でも開発予算削るな与党)。

 「融合炉 できる時まで 炉で発電」(072心の句)。


●カノッサの屈辱「オタク教の成立と発展」

黒倉庫
 '95年の怪文書より('92年版の改訂)。「してること 今も変わらず 進歩ゼロ」。



2010/11/26
●萌えとガノタとデータベース
週刊金曜日ニュース≫ ブログアーカイブ ≫ 萌えアートを斬る!(アライ=ヒロユキ)
 東浩紀は「オタクたちは、物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」(『動物化するポストモダン』)と、現代のキャラ萌えと呼ばれる消費行動を分析する。(中略)
 当の東浩紀だが、彼は高橋コレクション展は批判したが、「破滅*ラウンジ」は誉めている。彼は美術展というより、表現の新しいムーブメントとして評価しているようだ。

 082は「ガノタたちは、物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある設定(データベース)だけを淡々と消費している」(『静物化するワーストガノタ』)と、ガノタの設定萌えと呼ばれる消費行動を嘲笑する。
 当の082だが、彼は村上のココちゃんは否定したが、「萌えアート」は生温かい目で見ている。彼はそれを美術というより、アートの死後における新しい遊びとして評価しているようだ。


偽造批評-トレース・クリティシズム- - feces whitely
 アニメ史において初めてデータベース空間を構築した作品といえば、機動戦士ガンダムである。
〈ここで、ファン活動によるガンダム史構築の話が語られる〉(中略)
 現に、「ガンダム」と言った場合、作品につきまとうイメージやファンの傾向はどちらもMSを志向する数が圧倒的に多数派であり、本来の作品としての評価は、残念ながらほとんど見当たらない。
このようなキャラクターの自律化・派生作品の乱発は、同時に機動戦士ガンダムという物語としての革新性・神話・豊穣さを解体していく行為でもあったのだ。

 現に、「ガンプラ」と言った場合、模型につきまとうイメージやファンの傾向はどちらもMSを志向する数が圧倒的に多数派であり、本来の作品としての造形(ジオラマ、キャラクター)は、残念ながらほとんど見当たらない。
このようなキャラクターモデルの一極化・派生ガンダムの乱発は、同時にガンプラの模型としての革新性・神話・豊穣さを衰退させる行為でもあったのだ。


 うーん、相変わらずイマイチか。私のパロ化(↑緑の文字を使用)でマトモな出来と言えるのは雑記05-03-15の更科氏の文章(月姫をチネルに置き換えた物)の改変のみで、以後このレベルの物はただの一つも作れていません。とはいえそれとて原文と比較参照できなければ単なる猿マネ以下のコピペでしかなく、該当の萌え雑誌を持っている人がウチの読者層に多いとも思えません。更に「ガンダム萌えの袋小路」に至っては使用元のサイト名すら不明(既に閉鎖)という始末です・・・。


偽造批評-トレース・クリティシズム- - feces whitely
〈実はモブをよく使ったのが手塚治虫である。富野由悠季は元虫プロ出身であり、彼のコンテを初採用したのは何を隠そう手塚先生なのである。〉(中略)
 同時に、モブはアニメーションの中においてリアリズムを宿した記号として動く特性も持ち併せている。ようするに写実的なのだ。それは背景としての要素を持つからだが、それだけにデフォルメされがちな主用「キャラ」とは相容れない。よって萌えアニメにおいてはモブは描かれないか、極力排除される。

 よって非富野ガンダムにおいてはモブは描かれないか、極力排除される。

 余談ではあるが、082の立ち位置はガンヲタと富野信徒の境界線上にあると言えよう。一見082は御大をオモシロがってヲチしているだけにしか見えないが、その妄想には信徒的な批評性を含有させている(ただし含んでいるだけであって批評自体には無論ほど遠いのだが)。例をあげるなら、御神体を撮影した画像である「踊る異邦人と白き偶像(旧題・ガンダムと踊るドミニカ人)」においてガンダムを背景化して「モブ」を主体としたのは、無論ターンエーに罵声を浴びせたガンヲタ(MS萌え至上主義者)及び非富野ガンダム続編への批判に他ならない。


●日本人は既に仏教徒である
日本人の宗教嫌い | iwatamの個人サーバ
日本人の宗教嫌いの理由ははっきりしている。ここで言う「宗教」は「カルト宗教」とイコールだからだ。(中略)
我々日本人は、仏教徒である親や先生などからこ ういう考え方を学んだ。だから仏教徒なのである。俺の親や先生は仏教徒じゃなかったと言うかもしれないが、彼らは仏教徒であるその親や先生から考え方を学 んだのだから、やっぱり仏教徒なのである。我々は、仏教が当たり前だった時代のいろんな考え方を、伝統という名前で取り入れている。日本にいる以上、「日本の伝統なんか知らない。自分で独自に考え た」なんて言っても信じてもらえない。そうやってものを考えられるようになる前から、繰り返し聞かされてきたはずのことだからである。

我々オタクは、手塚教徒であるクリエーターの先達からこ ういう表現方法を学んだ。だから手塚教徒なのである。

 目からウロコの指摘。特に有名なサイトではない様ですが、まさにスーパーサイヤ人級の切れ味です。



2010/11/25
●時間よ、とまれ

見たことない圧倒的な空間表現、2次元の域を超えた映像作品「Rip Curl 」 > 映像 ||| アート×現場
 未来の静止画。既視感があるのは、CGで散々見てきたせいか・・・。

●珍獣達の饗宴
Togetter - 「【UST】富野由悠季×坂本龍一×枝廣淳子対談+村上隆がTLに降臨 #kokuyo 「クリエイティブから広がる可能性」」
富野 「インターネットにあるのは便所の落書きのようなひどい表現ばかり。だけれどもそういった極端な表現だからこそ、それが積み重なることで新しい神話が生まれるのではないか。」

Togetter - 「2010/11/16KOKUYOシンポジウム「『エコ+クリエイティブが起こすイノベーション』」
この対談は、出会いようのないはずの不思議な生き物2頭が出会っちゃったみたいな感じだなあ

 よみにくいナ・・・これが未来か。


●うひゃーバナーが電波だよララァ・・・

 降伏の科学ときたか・・・ページ下の他のリンク6コ全部そのテでアハハノハ、宗教ネタに走ると案の定これです。しかしまあ、ちゃんとしたエセ科学批判ブログでも、グーグルアドセンスには当のトンデモが・・・というのを一体何度見たことか。ま、嫌ならアドを解約すればいいだけなので別に同情はしませんが、ウチの場合はサイトを閉じるしか選択肢がありません・・・(語句をアルファベットにしてしまう手はあれど、現実的ではないですし)。

 ちなみに新興宗教といえば、80年代のオカルト誌には「ニュータイプス・ユニバース」などとゆう宗教団体の広告が良く載ってたり。しかしガンダム教がホントにできたら「ガンダム指輪のニュータイプ波動開運パワーで彼女をゲット!」という感じでしょうかね。ただモビルスーツをいくら信仰してもモテも開運とも一生サラサラなのは私の存在が証明しているので、できれば「アムロペンダントで年上のごフ人に可愛がられてインド人の彼女もゲット!」くらいにしておいて下さいお願いします。



2010/11/24
●ガンダム像とヤノベ

ガンダムとヤノベケンジ(改題加筆2画像追加):彦坂尚嘉の《第41次元》アート2:So-netブログ

Long Box - ブッカー賞作家のオタク紀行
 ひ、ひどいよカントク!(w
 しかし、一度でも富野由悠季のインタビューを読んだことがある人間なら、ここで彼がきわめて「らしい」返答をしているだけであることもまたよくわかるはずだ。実際にインタビューした経験のある人間ならほとんどのひとが訳される前の言葉やその口調まで思い浮かべることができるだろう(w
 この後もカントクはいたいけな少年とブッカー賞作家の夢(思い込みともいう)を踏みにじりまくり、作家は絶望のズンドコに叩き落されることになるのであった。



●ガンダム像は仏像なのか
「岡田斗司夫のひとり夜話」 Vol.1 P205〜
 みんな写メ撮ってるじゃん。こういう風に。でねえ、この風景どっかで見たことあるよなと思ったんだ。で、何かってとこれもね、偶然、同じような時期に行ったんだけども。(鎌倉の大仏写真。場内笑い)。(中略)
 こういうのみたらねえ、十分宗教的なものとしても扱えるなという様に思ったんだ。ガンダムを。(中略)
 ガンダムも御利益作っちゃえばいいと思ってんだよね。(中略)
 みんながこんなに写メ撮ってるってことは、ありがたいものを今見つつある瞬間なんだ。宗教みたいなものが成立しつつある瞬間だから、えー、ガンダムを宗教にしちゃうのがいいんじゃないかと思うよ。
 世界中で20億人が信者になって、みんながお布施をあげて富野さんに好きなアニメ作らせてあげればいいんじゃないかな。

宗教化するガンダム - チダカツon the weBLOG

ガンダム少女http://photohito.com/photo/208022/
 人があってこそが生まれる物、それがドラマ。「禿がそんな絵を撮るものかよ!だから人間とからませないとダメなのっ!」・・・とのたまいつつお気に入りの拙作2009年8月24日(タイトルは「ガンダムと踊るドミニカ人」)の様な絵を探せども見当らず。


 ガンダム像に今後、若返ったり背が伸びたりお金がたまったり彼女ができたりする「御利益」が生まれる事はないだろう。ニュータイプに解脱する悟りを与えたり人類の進むべき善き道を啓示する事もなく、ただ立ち尽くすのみ。しかし、ガンダムは太陽の塔の様に孤独ではない。

 「燃え=萌え論」にしたがえば、ガンダム像の本質はアイドルである。
 idolを訳せば「偶像、聖像」、「邪神」、「誤った認識」とあるが、ここで述べるのは日本語のアイドルだ。
 記念撮影だけでなく、巨大なカメラで黙々と真剣に撮っている人達の光景は、まるでカメラ雑誌主催のグラビアアイドル撮影会の如し(以前に遊園地でたまたま目にした所、妙に高齢化していて苦笑した)。
 松戸の原寸大の時には、ガンダムを撮影している人はかなり少なかった・・・遊園地のハリボテを撮影する人を見ないのと同様に。しかし、お台場では違った。私はそこに「アートの終焉(敗北)」の光景を垣間見た(いや正確に言うならば、その数日後に原寸大ヒートホークの前で思い知ったのだが・・・)。
 撮影とは、それ自体がクリエイティブなアート行為である。しかし、美術館はこれができない(撮影は禁止されており、わずかなシャッター音一つで、警備員がすっとんでくる)。テレビと同様に「見るだけ」の受動的なメディアである。そしてコミュニケーションさえもそこにはなく、日本の美術館はどこもがお通夜の様に静まり返っている。私には、美術館という形式自体が既に古くなっており、そこに鎮座せしめるアート自体も終わりを迎えんとしている様に思えてならない。

 ガンダム像の拝観には入場料などは要らず、かといって人畜無害な街中のブロンズ像やオブジェとも違う、資本主義の権化。それは新たなるアートの光を指し示す物なのか、それとも滅びの尖兵か。
 いや、単に日本に遅れて生まれてきた最初のポップ・アートであるというだけなのかもしれない。

「誤」の技法 08「ポップアート」

 ちなみに滅びた後の光景は、多分こんな感じだろう。「美術館行こうよ・・・で、何描く?」

×過去ワード・・・「模型、本、テレビ、ウェブサイト、アート、コミック、アニメ、映画」
○未来ワード・・・「レゴ、アッセンブル、ツイッター、ピクシブ、同人誌、ニコ動、撮影」



2010/11/23
●「小さな人たちに見せる絵にうそがあってはならない」

日曜美術館 私は虫である 画家・熊田千佳慕(ちかぼ)の世界
 今月28日に再放送されます。しかし、こんな人がいたとは・・・(←相変わらずの不勉強)。

『熊田千佳慕の言葉 私は虫である』 団塊バカ親父の散歩話-ウェブリブログ
 僕の人生は、70歳がルネッサンスで、花開いた。それまでは泥水の中にいるような人生(笑)。八十代の時は、もう本当に青春でした。でも普通、その歳を過ぎたら、いつ死んでもおかしくありませんから、見落としたものがあったら大変だと、もう一度よく庭を見直してみた。そうしたら、花びらとか葉っぱの上にある見えないものが見えてきて、僕の絵が細かくなったんです。

 人生のサナギ期間は70年、80代が青春也。


 海洋堂「ファーブル昆虫記」(2005年)より。


 サナギの殻を追加、これがホントの神造形。


 蝶力招来!(SICイナズマン)



2010/11/22
●【山頂の】失われた青年期【岡田】
「岡田斗司夫のひとり夜話」 Vol.1 P160〜
 「少年が青年になる」(略)が『ガンダム』のテーマです。(略)富野由悠季のテーマはこれしかないからです。(略)
 青年とは何かっていうと、「悩む人」です。これが『ガンダム』の、というよりは、成功した富野作品は必ずこういう話になってます。
 どうやって少年は青年になるのかと言うと、「心に傷を引き受ける」ことで青年になります。
 何か取り返しの付かないことをして、その痛みを引きずりながら悩むということが富野由悠季が考える青年の条件であり、これは1960年代〜70年代前半の青春像です。だから『ガンダム』を理解しようというか、外堀を埋めようと思うとですね、同時代より少し前ですね、富野さんがおそらく青年から大人にやったであろう青年映画を見てみて下さい。例外なく全員悩んでます。悩むのが青年です。(略)
 続き→2010年8月13日
 僕らは、子供でいつか大人にならなきゃいけないと思ってますよね。僕ら思ってるんですよ。いつの間にかこれ(青年)を忘れていて。
 このプロセス(「心に傷を引き受ける」)なしになれたら一番幸せだと思ってる。
 もしくはいつまでもこれのままでいて、いつかこういう風になれればいいなと思ってて。
 こんな悩むばっかりのこんな時期なんかない方がいいと思ってるんですね。
 ここら辺が、富野さんが不幸な所です。

オタキングex ひとり夜話「ガンダムを語ってみよう!」
 音声が公開されているのでリンク先をどうぞ。内容については、私が今まで知るガンダム論の中で最強です(←082の言う事なので毎度アテになりませんが)。

河合隼雄『日本人とアイデンティティ 心理療法家の着想』講談社α文庫(p202〜212より)
 近代社会においてのみ、青年期の葛藤が存在するのだが、それは、若者達が既成の体制やイデオロギーに対して、何らかの新しいものをもちこもうとして、そこに新旧の対立が生じ、したがって、青年に葛藤が生じてくるのである。それでは、どうして現代の青年たちが静かになってしまったのか、あるいは、青年期が消滅してしまったのか。
 青年期消滅説と似たものとして、青年期平穏説などというのもある。現代の青年期は平穏であり、青年はもっぱら既成の知識や技術などを習得するために専念している、というのである。そして、このような青年期の平穏さは、イデオロギーの終焉という現象と大いに関連していると考えられる。青年は反抗の武器としてのイデオロギーをすでに捨て去ってしまっている、と考えるのである。
 「イデオロギーの終焉」ということは、アメリカの社会学者、ベルが同名の書物を出版し、(中略) これから要求されるのは、実証的、科学的知識であり、専門的、技術的な能力であると述べている。

 しかし、現代の青年たちは、それほど実証的、科学的知識のみを大切と考えているだろうか。「あっけらかん」として、ただ勉強しているように見える青年達の心の深部には、不安や疑問が内在しているのではなかろうか。(中略) 現代の苦悩は、その科学の知に対しても疑問をもたざるを得ないところに来ているという点に存在している。(中略) 科学の知は、主体を客体から切り離すことによって成立しているために、科学の知のみに頼って世界を見ようとしても、そこに自分という存在を入れ込むことができないのである。それをきわめて象徴的に示しているのが、人間の考えた科学ということが人類を滅亡に追いこもうとしている事実なのである。(中略)
 イデオロギーにしろ、宗教にしろ、いつも善を主張する。あるいは、科学は常に「正しい」ことを主張するか。しかし、それは何らかのものを無視し、除外することによってこそ成立している体系ではなかろうか。現実にどうしても存在している悪や邪を、どのようにして全体のなかに組み込めばいいのか。(中略)

 われわれが主体的にこの世を生きてゆこうとするかぎり、われわれは自分自身をそのなかに入れ込んだ体系をもたねばならない。自然科学の知は確かに有用であり、何らそれを否定する必要はないが、われわれはそれをイデオロギーの代替品とするような錯覚をおこすのではなく、自分という主体をも包みこみ、自分と世界との有機的なつながりを与えてくれるもの−−−筆者はそれをコスモロジーだと思うのだが−−−を見出すように努めねばならない。
 イデオロギーや自然科学などの体系が、何かを切り離し、排除することによって、その整合性や正当性を守ろうとしたのに対して、コスモロジーは、すべてを入れこむことによって、すべてをかかわりあわすことによって、ひとつの全体性を形づくろうとする。それは、善も悪も、正も邪も、多くの対立と矛盾を内包するものとして、言語的に体系化することは不可能であり、何らかのイメージに頼らざるを得ないものである。己を含み、世界を含む、全体的なイメージをつくりあげることが、コスモロジーの形成である。(中略)

 コスモロジーは、その形成に相当な時間と体験を要すると言わねばならない。(中略)
 いずれにしろ、その準備期間を経た後の、本当の勝負は中年にもちこされると見るべきであろう。最近になって、「中年の危機」ということが大いに注目されたり、青年期の自殺が減少し、中年期の自殺が増加してきているのも、このことと大いに関連しているのかもしれない。
 ともかく、大人は青年の反抗が弱いことを慨嘆する必要などないのである。

 初版は冷戦まっただなかの1984年。
 学生運動の終焉と共に消えた「青年期」は、案外意識の水面下でずっとくすぶり続けているのかもしれません。
 今日の脳内BGM→昌人_人 歌詞-かしこい僕達by真島昌利



2010/11/21
●オタキング、ガンダム教を語る
「岡田斗司夫のひとり夜話」 Vol.1 p211
 僕は小乗、みんなは大乗なんだ。みんなは大乗だから、グッズ買ったり新作見たりすれば極楽行けるんだ。俺は小乗だから、ガンダムを考えるという修行が解脱への道なんだ。(場内笑い・拍手)
 そうすると富野さんのテーマだと僕が言ってる「少年から青年への悩み」ってのも「ああ解脱するためには悩まなきゃなあ」小乗ガンダム。で、小乗仏教の特徴として「そんなの仏教じゃない。そんなの仏教じゃない」って風に否定して、ガーッと固まることだから俺たちに向いていると。

ITコーディネータの徒然日記 岡田斗司夫氏の語るガンダム
 自分の記憶力の無さは相変わらずとしても、調べ方が甘かった・・・(何やってんの俺)。という訳で岡田氏に感謝(ペコリ)。ついでに当サイト開設当初にコピペした名文「ガンダムはオタクのディズニーランド」を書いた名無しさんにもペコリ。


●ファーストと浄土教
いわゆる大乗仏教全般が自己の救済の放棄につながらないのは何故ですか。 - BIGLOBEなんでも相談室
シャアは自分の若さゆえの過ちを認めているのです。けれども、その過ちを認めたくないと思っている自分がいるということにも気づいている。これは非常に浄土教的な反省法です。(中略)
外側をいくら取り繕おうとも、心の中では違うことを考えている。シャアの言葉を借りれば、「外ではいくら反省しているような顔をしていても、心の中ではそれを認めようとしない自分がいる」ということです。このような心持では悟りなど開けるはずがない。この絶望的とも言える人間の闇の部分への凝視が浄土教の出発点となります。

 そうだったのカー!


●ガンダムと母性
河合隼雄「母系社会日本の病理」講談社α文庫(p66より)
 母なるものの宗教は、母と子の一体性をその根本においている。そこでは、すべてがひとつとなって、主体も客体も、自然も人間も、善と悪とさえも区別がなく、すべて救われるのである。すべてのものが仏になるまでは、自らは仏になることなく救いの道に専念するという菩薩の姿は、その原理を見事に象徴化している。

「母性信仰富野の病理」
 母なるもののニュータイプ教は、ララァの魂との一体化をその根本においている。そこでは、すべてがひとつとなって、アムロもシャアも、アースノイドもスペースノイドも、連邦とジオンさえも区別がなく、すべて救われるのである。すべての人類がニュータイプになるまでは、自らはダイクンを名乗ることなく戦いの道に専念するというシャアの姿は、その原理を見事に象徴化している。


母なるもの 河合隼雄「明恵 夢を生きる」
 本来的に母性原理に従えば、すべてはひとつであらゆる対立は超えられてしまうわけだが、そこまで徹底してゆくと人間は言葉を失ってしまう。いろいろと分割し、分類するから言語表現が可能となるのであり、従って、言葉に頼って説明しようとするかぎり、ある程度の父性原理の使用は避けられぬことである。

仏教と女性 河合隼雄「明恵 夢を生きる」
 大乗仏教になって、母性原理の強調がはっきりと認められるが、その大乗仏教が日本に渡来するときに、日本に古来からある地母神的な母性崇拝がその受け容れに一役買ったので、わが国の仏教においては、母性の尊重ということが強く前面に押し出されてきたのである。

母なるニュータイプ 「御禿 監督を生きる」
 本来的に母性原理に従えば、ニュータイプはひとつとなりあらゆる対立は超えられてしまうわけだが、そこまで解脱してゆくと人間は言葉を失って人類保完計画のLCLの海に溶けてしまう。いろいろと境界線を引き、対立するからドラマ表現が可能となるのであり、従って、言葉に頼って演出しようとするかぎり、ある程度の戦闘場面の多用は避けられぬことである。


ガンダムと母性 「宇野 ディストピアを生きる」
 大乗ガンダムになって、母性原理の強調がはっきりと認められるが、その大乗ガンダムがVガンダムに発展するときに、富野に本来からあるマゾ的な女性化願望がその構想に一役買ったので、Vガンダムにおいては、母性の呪縛ということが強く前面に押し出されてきたのである。

シャクティから碇ユイへ----アニメ地母神の系譜を振り返る(汎適所属)


河合隼雄 中沢新一「ブッダの夢」(p56より)
「『銀河鉄道の夜』の母性と父性」
河合 つまり、非常に厳しい父性もあの中にずっと入ってるんですね。(中略)ところがね、『銀河鉄道999』という漫画は完全におかあちゃんの話になっています。
中沢 『風の谷のナウシカ』もそうじゃないですかね。
(中略)
中沢 僕はインドとかチベットへ行ってはじめて観音様の像を見てびっくりしました。苦行僧なんです。(中略)全体に観音といったら男性なんですね。
河合 日本に来て変わる。

 やはり日本自体の病理だというのか、ララァ・・・。



2010/11/20
●ゼータガンダムと仏教
黄金の仔牛〜サトウナンキBlog 機動戦士Zガンダム論 混沌と葛藤、境界線の哲学
この物語では、厳密な境界が無い所に「境界線」を引くと言う心理が、戦争の原因として提起されている。
(中略)
物事を固定的に見るなと言う事だ。「縁起」で説明したように、対立関係を二つに分けて、その片方に組するのは誤りなのだ。これを「中道」と言う。仏教哲学の「縁起」「中道」と言う概念がもたらす現状認知の方法が、人の革新として求められている事なのである。

 境界線、それは巷で流行りの「自分は特別だ病」患者の大好物。
 「ニュータイプ」と「オールドタイプ」
 「日本人」と「中韓人」
 「若者世代」と「オヤジ世代」
 「勝ち組」と「負け組」
 「モテ」と「非モテ」
 「オタク」と「パンピー」
 現代社会、特にネットの中は日々「二元論化する世界」へと向かっている。
 それが原理主義に至る罠だとも気づかぬままに・・・。


 あと、これを突っ込むのは若干気が引けるのですが、アスペルガー症の人達が一般人を指す時に使う「定型」という言葉にも同じ引っかかりを感じます(ちなみに私のアスベル指数は35なので、ハーフベルガーという所でしょうか)。
 なお、ゼータガンダムの様に境界線を自ら引くのではなく「元よりはっきりと引かれている」物としては、思い浮かぶのは石ノ森ヒーロー、スタトレのデータ少佐やオドー、ポケモンのミュウツーといった所でしょうか(テーマは大抵「普通でないこの自分とは何だ?」とのマイノリティの自己探求)。



2010/11/19
●小乗ガンダムと大乗ガンダム
佛教とガンダム: 非人称芸術研究室・糸崎公朗ブログ3
その違いは小乗仏教が『ガンダム』だとすれば、大乗仏教は『Zガンダム』以降のガンダムシリーズに例えられるかも知れない。そして日本には中国経由で『Zガンダム』以降のガンダムシリーズだけが輸入されて、「これこそがガンダムである」と千数百年ものあいだ誤解され続けていた・・・(中略)
大乗仏教にはいろいろな種類の仏が登場し、それも『Zガンダム』以降『○○ガンダム』の種類が数え切れないくらいに増えたのと似てるかも知れない。 いやガンダムに限らず、ウルトラマンも仮面ライダーも、日本のそういった番組は大乗仏教的に発展する。(中略)
対して旧約聖書の「神様」は、絶対の唯一神であるからキリスト教になっても、イスラム教になっても「神様」の数が増えることは絶対にない。 それが向こうの番組にどう影響してるのかは知らないが・・・

 「大乗ガンダム、小乗ガンダム」という語を十年ほど前に見かけた(多分「G20」あたり)のをふと思い出したので、現在誰か言ってないものかとググった所、唯一見つかったのが何と先月紹介した芸術家のサイトでした。
 「東洋に宗教戦争が少ないのは多神教だから」とは良く聞きますが、イラク戦争以後の現在においてオタク文化と宗教の関連性は研究する価値のあるテーマだと言えそうです。

 なお、該当記事へのコメントに「エヴァのあり方がユダヤ教的」とありますが面白い指摘です。エヴァこそまさに聖書の如く「原典に一文字一句付け加えるべからず」。続編はありませんし(できない)、外野のオナニー後付け設定の類も非常に少なく、ノベライズも番外編のANIMAがあるのみ。小説版が無いなどメディアミックスの元祖角川にしては考えられない事ですが、監督は企画時より出さない(出させない)事を決めていました。理由はおそらく、ナディアの時にガイナがメディア展開をコントロールできなかった事の無念による物でしょう。

Togetter - 「東方の消費構造と宗教性」
おのおのの信者がそれぞれの信仰対象(神様、仏様、聖人)に信仰を仮託しつつも最終的には創造主としての唯一神の元に統合されている、というのは実在する多神教や多神教的一神教と似た構造を持っているのではないか、と。

Togetter - 「「東方の消費構造と宗教性」読者反応への補足」
イメージとしては再編よりは新生だなぁ。倫理観がぶっ飛びすぎててまさにカミーユ・ビダン状態だというのはわかる。オウム真理教の手口ということだなあ。記号とフェティッシュの融合ね。富野由悠季は上手くやったもんだ……

Onatter - 「ガンダムの消費構造と宗教性」
おのおののガンダム信者がそれぞれの信仰対象(MS、キャラ、設定)に信仰を仮託するも、創造主としての唯一神トミノの元には統合されていない、というのは実在する仏教や仏教系新興宗教と似た構造を持っているのではないか、と。


Onatter - 「「ガンダムの消費構造と宗教性」無反応への補足」
イメージとしては再生よりは複製だなぁ。世界観が増大しすぎててまさにゆっくり霊夢状態だというのはわかる。ビックリマンシールの手口ということだなあ。消費とコミュニシーションへの誘惑ね。バンライズは上手くやったもんだ……



2010/11/17
●珍しく前売りなぞ買う


 沈没を見届けるのはオタクの義務か。


●補足の補記(1)

 スペースリングが占星術における「地球記号」を立体化した物だと気づく。
 関係ないが、ジオン国章には地球と月を除く全惑星の記号が含有されている。
 どのみち3基合体型トーラスは軸無し構造なので超遠未来限定か(アースリング絶滅してたり)。



2010/11/16
●神なき国のガノタ

 黒き「ヒゲ抗争」から十年、教祖は幸い生きのびる事ができたが、珍獣として檻の中で無効化された。
 今はもう、その爪が人々をえぐる事はなく、その吼え声を畏れる者もいない。
 失われし昭和のオヤジ「星一徹」の後継者文化人の一人。
 「内に篭るな、外を見ろ!」の一喝も、ありがたいお説教として安全に聞き流され消費される。
 真に受け止めれば、「好きな事や気持ちのいい事をするのがなぜいけないんだよ!」という反抗くらいあるはずなのに。
 そして人々は自身が何者であるのかを問う言葉すら持たずに、偶像(ガンプラ)を片手に念仏を日々繰り返すだけ。

 「ジーク・ジオン!」
 「ジーク・バンダイ!」
 「ジーク・ガンダム!」

 OTAKU・・・それは、居心地の悪い異物を排除する完成されたシステム。
 人はそれを宗教とも呼ぶが、この世界に神はいない。

妄想補足-4
アンオフィシャルズ-4



2010/11/12
●【壁の向こうから】借りれども 減らないそれが ブクマかな【拝借リンク】

【社長日記】西崎義展さんのご冥福を祈ります - オタキングex公式サイト
 体は痩せても太っ腹、先週立ち読みで読んだ部分を座って読み返せようとは・・・。

細切れにされた文章 | iwatamの個人サーバ
 どんどん浅くなっていくネット世界への深い考察。

創造性のダークサイド:心理学研究 | WIRED VISION
 むう、褒めたら伸びるというのは大昔から良く聞くのですが。



2010/11/10
●不沈艦よさらば


 手前は2年前のタイトーのプライズ(35センチ)、後ろはザッカPAP、電気ローソクはダイソー。


●今日の防具


 「"Slash Dog" (assemble borg SONIC SLASHER+TRI STRIKER)」
 6日に組んだ5形体のうちの4つで、残り21形体はデカブツ↓を撮り終えた後に何とかする予定です。



2010/11/9
●今日の斡旋古


 「"Variant Striker(S)" (assemble borg TRI STRIKER + SONIC SLASHER)」
 ライダーを透明マンからソニックさんにチェンジ、スカスカが気になる車体後部を適当に組んだ武装で穴埋め(股関節と肘を8ミリWに変更。ハンドル基部を6ミリWに変更(ここは長さが要るものの、全ジョイントを2体のみでまかなうため止む無く差し替え)。透明マンのヘッドバイザーは余剰となり残念(はめると穴を通らない)。

 武装は非固定、右肩とハリガネで接続。

○黒バックはやはり難しいのだと判明。
○新型6ミリと6ミリWは、強度が多少上がっているものの分解してしまいやすい(容易に戻せるが分解癖が付いてしまう)。なかなか上手くはいかないものだなあ・・・(大型リボ球の方はため息が出るほどの精密構造で、なるほどマネできない訳だ)。
○はめにくい穴が多く、要ドライヤー&プライヤー。
○限定版クリヤーオレンジの大パーツは、透明度が低いため映えがイマイチ(テールランプのみ通常の透明度)。ノーマル版も低いので、おそらく強度か成形性かコストの問題で透明度の低い材質を使わざるをえなかったのだろうと推測。



2010/11/8
●今日の斡旋古防具


 「"Variant Striker" Motorcycle mode (assemble borg TRI STRIKER + revolver joint)」
 上手くいかなかった部分をチマチマと修正。
○横幅を詰めるため、いくつかのストレートジョイントを削って棒状に改造(←反則
○後輪カバー部の接続を6ミリWから8ミリWに変更、胸部装甲へと移動可能に(←初歩的なジョイント選択ミス
○脚部をガニマタ変形させるため、フットレストを股関節に移動(←最初にやっとけ



 残る問題は武器で、超空間からオレンジ色のペンチが出現・・・という訳にも無論いきません(肩に長物を付け足すのがやはり適当か)。


 Rideroid モード時は、「ナイト・オブ・ハリケーン」の別称でも呼ばれる・・・今夜はハ(以下略



2010/11/7
●トはトマ損のト

 
 地元でやっていた原平展の最終日に駆け込み。果たして超芸術はアートの王様(便器)を越えられたのか、未来人に問う。


●今日のオモチャ


 マウンテンサイクルよりトライストライカー(WF限定カラー)を発掘、早速スラッシュフットを本来想定していたボリュームへと変更。どこまで変形できるかはまだ不明です。(11/8 開封前画像追加)


 公式形体はもっとカッコいいのですが、説明書は見ずに4時間かけて作成。車体前部のパーツがうるさく横幅を取りすぎている点と、右膝の飛び出た棒がネック(右下腕と操縦桿は供出中)。胸部には操甲を被せたかったのですが挫折。ちゃんと立っている様に見えますが自立はできません。


●ガはガノタのガ

ガンパラ雑記−3 多少ついか。

問い・・・「ファーストガンダムの次に何を見れば良いのかを答えよ」
 A・・・「ゼータガンダム」
 B・・・「イデオン」
 C・・・「名作映画や演劇」
 D・・・「種や00」
 E・・・「萌えアニメ」

 Aと答えた大多数の方はガノタに向いています、良かったですね。Bと答えた少数の方はブロガーに向いています。Cを答えた若い方はまずいないと思いますがアニメ監督に向いているかも。DとEは(以下略)。


●主人公の身分

2001年・・・「貴族」
スタトレ・・・「エリート」
SW・・・「王族元王族の農民
アトム・・・「優等生児童」
ヤマト・・・「モーレツ社員野球部キャプテン
ガンダム・・・「オタク生徒」
エヴァ・・・「ヒッキー予備軍」

 この先の未来の事はわかりかねますが、まず間違いなく「女子高生→JC→小学生→園児→乳児」となり、その後は・・・世界が滅ぶのでもうありません。


●それでも082は後に生まれる方を選ぶたった一つの理由

 10年前では抜きにくい。
 20年前で抜くのは至難の業。
 30年前ではおっきすらしない。

 オ○ニー一筋歴31年の目から見れば、過去とはすなわち暗黒時代。未来人がうらやましい・・・。



2010/11/4
●弾リンク

404 Blog Not Found:それでも私はなるべく後に生まれる方を選ぶたった一つの理由


●082が選ぶ今年のアニ損三曲

 「AB!」OP。しかしお話の崩壊ぶりを見届けるのは辛かった・・・(←じゃあ見るなよ)。
 「ぬら孫」ED(前期)。80年代アイドルソングチック燃へ。
 「生徒会の一存生徒会役員共(12/22修正)」ED。妙にオサレでここだけシャフトかと思った。ちなみに卒業後を描いた続編があり、「おとなの1ページ心理学」という一風変わったタイトルです。ウソです。

 ・・・ヲタクでごめんなさい。

↓近場では上映が終わってたため初めて入ったブルク13は音響が私好みで良。下の本屋も大きくてナイス(←関係ない)


2010/11/2
●『REDLINE』観た

 《第55次元・アトラク領域》である。《アポジモーター》はある。《画》は無駄に非常にある。《音》はあるが《声》はない。《ストーリー》はない。
 毎度の脳内妄想↓
 ごく普通の惑星で開催(不穏な地下組織がある噂アリ)、路上での各レーサーとの駆け引きを普通にじっくり描き、途中地底人の妨害も切り抜けるも、最後は包帯姿で「次はやるぜハニー」と地平線へ。

 映像は大変意欲的でしたが、バース(80年代OVA)の如きドタバタ暴走ぶりに、リアリティ主義者で保守的なオイラは置いてけぼりでした。



  
10-10  雑記   10-12

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