雑記 2010年 10月




☆ダメオタデンパ・田中


2010/10/31
●−存

[2930] ミクロとマクロを同列に見る──【田中一村 新たなる全貌】展を観て : 日刊デジタルクリエイターズ

■武&山根の展覧会レビュー 特別編 画家よ生きてくれ! クリエイティヴ・レイバー(芸術労働者)宣言/武 盾一郎 : 日刊デジタルクリエイターズ



2010/10/30
●【モモ】robbert barronはいない【萌喪】
WEBアニメスタイル しなりおえーだば創作術 第60回
 最近、韓国では、ミンキー族と言う言葉があるらしい。
 大人に変身して色々な職業になるミンキーモモにひっかけて、色々な職を転々とする若い人たちの事をさすらしい。
 つい先日も、フランスに行っていた義理の妹からのメールに、ニースで見たミンキーモモのTV画面の写真が添付されていた。
 そのタイトルには、シナリオ robbert barron と書かれていた。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を書いた脚本家に robbert barron なんて人はいない。

第177回
 で、今、不景気だからかもしれないが、通常のギャラより数万円上乗せして、買い取り契約書にサインさせて、脚本家から著作権を買い取ろうとしている会社がでてきているらしい。
 正直言って、「脚本家の著作権買い取りはダメ」は30年以上昔に解決したつもりの僕としては、今頃その話が出てくるのかと、いささかびっくりである。

第103回
 だが、富野氏の「映像の原則」が、参考になる本である事は確かだ。
 富野氏のコンテに対する考え方は、僕にとってはとても役に立った。
 ただ、ふと思うのは、富野氏は、脚本家運が悪いんじゃないかなあ、という気もしたのである。
 違っていたらごめんなさい。
 ひどい脚本に頭にきて、自分流に絵コンテで変えちゃうんじゃないですか。
 誰が書いた脚本も、数分台詞を聞くと、富野流を感じてしまうんですね。

 あと、55回の「オタクの街」が実に何とも・・・パパン抜きの3作目には是非。



2010/10/29
●『バベットの晩餐会』


 老人が集まって食事をするだけの地味な映画。1987年のデンマーク作品で、最近まで存在すら知りませんでした。
 しかし「富野が選んだ洋画10本」にしてパヤオ監督も推薦ですよ、奥さん!・・・という訳でシネコンを全国巡回していたのがようやく近場に回ってきたので拝見、てっきりガラ空きだろうと思っていたらほぼ満席で、大半は御年を召された方でした(まさか老人コミュニティでマイマイの如くの布教が行われているとでもいうのか?)。
 内容は中学校の体育館で見せられそうなというか、実は半世紀前の古典ジャネ?という感じで教科書的で無駄がなく、わかりやすいよパパン。まあ前半は多少退屈でも後半に盛り上がって最後しんみり、あぁ人生の幸福とは何なんだろうメーテル・・・。

アレクサンドリア図書館【DVD】『バベットの晩餐会』
 他の富野信徒のレビューは見当たらず。
 DVDはアマゾン中古で35,000円ですかそうですね(レビューはオチのネタバレが多いので見ない方が吉)。


●電動バ○ブのアム□

 上はジ・オリジンの終了後に連載予定の「ガンダム・ザ・テヅカ」・・・ウソです、田中圭一『神罰』より。操縦席が一体どこなのかはあえて言うまでもありません。
 「いつの日か 空からガンダム 落ちてくる」(082心の句)



2010/10/28
●備亡リンク

死んだ人は生き返る」の独り歩き - 上田亮の只今勉強中
 そうだったのカー!



2010/10/26
●出張報告


 今年は参加サークル14と多め。初参加のクラップスDPさんの白い紙そのまんまという割り切り具合が逆に新鮮です(このコンセプトでもし色を付けるなら、黒一色、蛍光ピンク、英字新聞、スプリッター迷彩あたりでしょうか)。


 第4回○動ファイト一回戦敗退マシン「原子力ロボ(お約束ロボ改)」をファイト後に改造した物で、自らもクルクル回転。
 お茶会参加後は、リバティと虎とドンキに寄って帰宅しました。



2010/10/22
●さんりおはじまったな

【裁判】 日本のサンリオ、ミッフィーをパクる?…オランダ企業が告訴★2 | 601 | 2ちゃんねるキャッシュ表示 | 2番街.net -α-version
 ニュースサイトはすぐ消えてしまうのでこちらに。



2010/10/20
●痛いつぶやき

Togetter - 「村上隆@takashipom氏の警告 「芸術で飯を食いたいなら、自分探しなんかやっている場合じゃない」」
 オタク界で飯を食いたいなら(以下略



2010/10/19
●うんちく

谷口直人 (NaotoTaniguchi) on Twitter



2010/10/18
●グフっと更新

Gouf-ora


2010/10/16
●孤人のための書評サイト
フリーライター・石井政之の書評ブログ : 2010年04月 『「私」を生きるための言葉』泉谷閑示(研究社)
 僕は、この世間の破綻を歓迎する者である。なぜならば個人と個人の対話が始まるからである。



オタクは社畜と闘うのか、ドンキホーテのように 考えるための書評集
オタクがリアルビジネス社会と戦えないとしたら、マンガがこの世界を言語化し、解明し、解決するツールをもたないからだ。マンガはただの空想物語をつむぐにすぎない。リアル世界を解明し、解決する手段である言語の世界を構築しない。オタクは武器をもたないがゆえに戦えない。




2010/10/14
●村上ツイート

Togetter - 「村上隆@takashipom氏の警告「日本の美術業界(A.D.2010)には投資しない方がいい」 2010年10月11日−13日 Tweetsまとめ」
 陶芸界も含めて断罪。


●陶芸は 興味ないけど これいいな

工房火の玉発動機〜田崎太郎の陶世界〜


●今日の田中

田中圭一制作総指揮のマンガ作成ソフト、なし崩しで情報公開へ!: たけくまメモ
 公開の発端は村上ツイートだというのか。

http://bogusne.ws/article/164909957.html
 あはは。でもきっと隠し機能「シモネタジェネレーター」があるにちがいない!(←なわきゃない)

http://ameblo.jp/minarinoseishun/page-42.html
 あ、ウェブ漫画公開してるのか・・・流石に直接的描写はないものの、あいかわらずサイテーです(←性的な意味で)


●今日のRX-78

【供養】数年前にお仕事でやった78&77カラー... on Twitpic
http://twitpic.com/2wik41 マナブ・コガ(民間人)
 しかし大人気だなあツイッター、大河原先生までやってるのにはビックリ。ただ見る事はできれど私がつぶやく事は現状では不可能なので、PCを買い替えたら始める予定です、5年後あたりに。



2010/10/13
●平成最驚の妄想

空想 皇居美術館|Sasayama Naoki
REALTOKYO | Column | Out of Tokyo | 177:「皇居美術館」構想
 超次元の《真性の妄想》である。《破壊》はある。《社会批評》はある。《実現性》は少ない。


●御宅の妄荘

めぞん一刻館は今建てられるのか?1|建築エコノミスト 森山のブログ
【みんカラ】 東京進出なのか?|taka-mac2の、やれば出来るジャ〜ン!(リンク先に部屋の内部画像あり)
 いや、80年代より前は御宅ではなくマンガ文化の範疇か。


●土台ワイエス

「アンドリュー・ワイエス展」 | 弐代目・青い日記帳
 埼玉は遠いナ・・・。


●んー、

 一昨日の要約はピントが多少ずれてたかも・・・単純にどこに住むかの話で、都会のジャングルを生きのびるか、それとも離島の村でマターリ暮らすのか。
 なお個人的には、外部の声を受け止めるべきか(世間の判断が聞くに値するか)に関しては、防衛力やスルー力は人によって異なるものの、楽観主義で良いのではないかと思います。
ノイジーマイノリティの対処がweb全体で上達してる気がする - モノーキー

 されどジャングルにも離島にも住めぬ才無き己は、「大衆はバカだバカだバカだ! いいか、○○○とは、真の○○○とは・・・」と日々高二病セリフを吐く慢性絶望病患者としてあがき続ける他にすべなし・・・薬はどこだ。
 ※脳内BGM・・・パンクでポン(筋少)



2010/10/11
●押井こそ芸術だというのか
押井守のスカイ・クロラ(改稿3/加筆2校正1重複画像削除):彦坂尚嘉の《第41次元》アート
おそらく、中途半端な才能を持つ若いアーティストたちも、この押井守の作品を見ないだろうし、見ても評価しないだろう。(中略)
死ね死ね押井守というサイトがあって、これは面白い。

>「押井守」が大嫌いだ。嫌いなだけじゃなく、映像監督として、エンターテイメントに携わる送り手として、表現者として「クソ」だと思っている。
http://www.kiwi-us.com/~amigo/otakuuta/osii.htm

 こうしたエンターテイメントの立場からの批判は、だから、当然なのである。《8流》の自閉した子供には、押井守のアニメは分からないのである。そういう意味で、今日の芸術判定の踏み絵として、押井守の作品はあると言える。

 こうした快楽原則の立場からの批判は、だから、当然なのである。《A3-5流》の自立した大人には、富野の私小説アニメは分からないのである。そういう意味で、今日の文学アニメ判定の踏み絵として、富野の作品はあると言える。

 まあオタク側としては「哲学者のオモチャなのが気に入らない」とでもいいますか、やれ犬だ鳥だ魚だのの枝葉末節の禅問答に、ガノタの形式番号研究の様なキモさを感じる人は多いかと(ってゆーか近親憎悪?)。あ、一番キモいのは無論082ですのでよしなに。


●メジャーか、内輪か

ロングテール/少数者のネットワーク:彦坂尚嘉の《第41次元》アート2
 要約・・・メジャーに迎合せず20人の信徒を作りコアな方向を進め。

ブログで社会は変わるのか? 「アーティストのビジネスモデル」という記事を読んで考えてみた
小規模な狭い活動をする人が増えると、全体として廃れていくというか…それぞれが好き勝手にコミュニティ作って内輪で好きなようにやっていくという…それでいいのかなって。漫画で言うと、メジャー誌でプロとして活躍する人が減って、コミケで同人サークル活動する人ばっかりになるような感じで、正直同人だけでやっていけてしまっている人もいるようなのですが…。

 要約・・・「内にこもるな、外を見ろ!」(byお禿)



2010/10/11
●わはは

ここ最近のヘンテコ画像 081111 : ヘンテコ画像旧校舎
 殺虫剤の広告、ピクピク。
 しかし、膨大な量のネタ画像はもはやアートの領域か。



2010/10/10b
●形骸の国、日本
形骸の神様 非人称芸術研究室・糸崎公朗ブログ3
日本では宗教に限らず、ありとあらゆるものが「形骸化」される傾向にあることに、気づくのだ。(中略)
つまり「日本的無宗教」の正体は「形骸」を神様として信仰する「形骸教」なのである。
そもそも「無宗教」という言い方が「宗教の形骸」であり、まさに日本人にとって「形骸の他に神は無し」なのである。
いや、日本人は世間を気にする「世間教」だという人もいるだろう。
しかし「世間」とは「人付き合いの形骸化」であり「自己決定の形骸化」なのである。

呪術・宗教・技術 非人称芸術研究室・糸崎公朗ブログ3
どんなものでも本質を骨抜きにした「形骸」にしてしまえば、日本文化になじませて安全に取り扱うことができます。

『萌えの神様 非人症オタク研究室・北尾八十二サイト1』
 オタク界ではヒット作の続編に限らず、ありとあらゆるジャンルが「形骸化」される傾向にあることに、気づくのだ。(中略)
 いや、オタクは二次元を愛する「萌え教」だという人もいるだろう。
 しかし「萌え」とは「作品制作/鑑賞のテンプレ化」であり「自己表現の形骸化」なのである。

『センス・ジャンル・作画 非人症オタク研究室・北尾八二郎サイト1』
 どんなものでも本質を骨抜きにした「萌え」にしてしまえば、オタク文化になじむため安易に釣ることができます。

『妄想・考察・設定 非公式ガノタ研究室・北尾八二郎サイト2』
 どんなものでも本質を骨抜きにした「ガンダム」にしてしまえば、ガノタの物欲を煽って安易に釣ることができます。



●【虎】形骸化したフィギュア【ぶる】
内藤礼の《形骸》2/仏像史からの考察(加筆5画像多数追加):彦坂尚嘉の《第41次元》アート2
チベットの仏像は、彦坂尚嘉の用語では絶対零度の美術、つまり文明の中の野蛮美術なのです。
そして今日の日本のフィギュアは、気体美術=情報化社会の美術ですので、ずいぶんと違うものなのですが、驚くほどに似ています。
両方共に《形骸》であるのです。
(中略)
誤解されているかもしれませんが、私は、《形骸》を、いけないと否定しているのではないのです。(中略)
「なにものでもないもの」としての自律した《形骸》が、実は芸術だけでなく、この社会を支えていると考えられると、私は思います。(中略)
《形骸》は、大衆の海の中で、光り輝いているのです。

 うーんやっぱりオモシロ杉、モノホンの美術家の脳内次元がいかに圧倒的かを思い知らされます。ガノタ界最狂電波ごときでは無論足元にも及びません。

まるまさのHP・フィギュア  (2012/4/18リンク切れ修正)
 原芸術・ラムちゃん。第2〜3次元である。《電気》はある。《尻尾》と《世間体》はない。



2010/10/10
●ドはドズルのド

http://2chradio.com/?id=wildplus1285668418
ドは毒殺のド - Google 検索 2020/12/26 リンク変更。

 ドはドズルのド
 レはレビルのレ
 ミはミネバのミ
 ファはファ・ユイリィのファ
 ソはソシエ嬢
 ラはランバ・ラル
 シはシャア少佐
 さあ謳いましょ

 どんなキャラでも
 レツもキッカも
 皆んな全ては
 ファーストによって
 ソーラ・レイ仰いで
 ラ〜ラララァ・スン
 シャアは四面楚歌がくるの歌
 さあ謳いましょ



2010/10/9
●(1)デュシャン、(2)パロディ、が与えられたとせよ

アートアギトプンクト  魂と魄 魂魄(コンパク)・ドライブが与えられたとせよ
 よくやるなあ…ため息が出る量です。

アートアギトプンクト  Given The Map   地図が与えられたとせよ
 「レマン湖=オ××コ」だったのカー! しかし日本語のダジャレをもってくるとは、流石最凶のラスボスだけの事はあって神がかっています(←んなわけない)

 ところで、9/5の慰作のタイトルは「(1)ネギ、(2)宝石剣ゼルレッチ、が与えられたとせよ…くぱぁ」にすべきだったかという感もありますがそれはさておき、やはり便器に破壊され尽くした・・・いや便器の罠にはまっていまだ抜け出せない現代アートの再生はオ××コをもって行うしかないとでもいうのか・・・
 「覗き穴とオ××コと棺桶の定員は、いつも一人」(にわかデュシャニスト082の墓碑より)。


●(1)トランクの中の箱、(2)リカちゃんハウス、が与えられたとせよ

実験・トランクの中の箱とリカちゃんハウス 非人称芸術研究室・糸崎公朗ブログ3
 (1)トマソン、写真、(2)紙工作、が与えられたとせよ。

バサラの系譜/糸崎公朗との対話(3)【最後に加筆】(加筆2画像大幅増加2):彦坂尚嘉の《第41次元》アート2
 (1)アート、(2)通知表、が与えられたとせよ。しかしこのブログ面白杉る・・・。


●(1)デュシャン、(2)村上隆、が例えられたとせよ

LightWave3D &Design&Art  2007-06-04



2010/10/8
●【考えるんだ】本茂野アウラはどこにいる【感じるな】
ニートのかんさつ日記EX 歴史と捏造
いわば根拠を捏造(ねつぞう)する人々。これがもう一方の側だ。彼らは「本物」の困難さをよく理解しており、いわば取り得る可能な手段を駆使してベターを目指す立場といえる(詐欺をはたらいているのではない)。
(中略)
つまり“本物”を志向する態度は思慮が足りないというより、決断主義的に「思慮しない」という選択なのだ。だから本物志向には宗教的な色がつきまとう(たとえば、セカイ系とかも。もちろん大半のひとは単純に何も考えていないのだが)。
(中略)
そもそも村上隆や東浩紀が「本物(アウラ)なんてない」と言いながら、ときに本質主義的な執着を見せるのも素朴によくわからないな、と思う。この世に本物はあるのないの?どっち?

 本物だニセモノだとワーワーやっている現象、ムーブメントこそが本質だというのか(←あ、チネルっぽい)。


●今日の田中
TS6 : 田中功起 - Tokyo Source
たとえば社会との関係を築くという意味で、ワークショップなどを行なう美術館があったりアーティストがたくさんいますが、すべてとは言いませんがそこには おかしなことも起きている。そこではアートは地域社会との交流を目的とした手段になっているわけです。(中略) アートはアート自体が目的なのでそれだけでいいと思うのです。
 (中略)
ポロックの絵画は初めて見たとき、とにかく圧倒されました。こういう絵画ってありえるんだと、ものすごく心を動かされましたね。なんていうか、経験が常に新しくなる感じ…。
 (中略)
中原浩大はすごく重要なアーティストだと思います。コピーライトの逆のような、今でいうオープンソース的なことをずいぶんと早く考えていたり、いまのアートにつながることを90年代のはじめのころにやっていたりする。

 オタクアートの元祖「ナディア」を探せど、ネットの海には見当たらず。



2010/10/7
●【ネタばらし】たった一つの萌えたやり方【兇作じゃー!】
ポロック 2人だけのアトリエ ジャクスン・ポロックのABC
わかりやすく言えば、村上隆が日本のアート史に持ちえた意味と同様の意味を半世紀前アメリカのアート史に刻んだ存在といっていいだろう。メイド・イン・USAとして、世界に向けてそのオリジナルでエッジのきいた存在感を広汎にアッピールできた最初のアメリカの画家なのである。
とはいえ、たとえばより広く受け入れられて、一般のアメリカ人の琴線に触れてきたイラストレイター、ノーマン・ロックウェルのサタディ・イヴニング・ポスト誌(Jan 13 1962)表紙を見て見よう。ポロック調の絵(ロックウェルが自分で床の紙に絵の具をたらして描いた)の前で初老の紳士が帽子をとりかしこまって見入っている図で、それに「目利き」とタイトルがついている。これが「絵」か? という伝統の側からの皮肉が伝わってくる。

108: ある日の美術館

とはいえ、たとえば全く受け入れられておらず、一般人にガノタの恥部を晒しているウェブサイト、G_Robotismの2010年9月5日の雑記を見て見よう。村上隆キャラと初音ミク(082が自分で集めたフィギュア)の前で妖怪人間ベムが帽子をとりかしこまって両方を見比べてからミクを選ぶ図で、それに「現代美術愛好家」とタイトルがついている。これが「萌」だ! というオタクの側からの主張が伝わってくる。

ジャクソンポロック|召還するかドアを開けるか。
話飛びますが、村上隆氏の、ドリップした筆跡、マイロンサムカウボーイの飛び散る精液の表現は、ジャクソンポロックを踏まえるアイディアの側面もある、というのは良く指摘されるところですね。

話飛びますが、082の、トリップした筆致、ダメオタデムパの飛び交う自虐の表現は、トミノヨシユキを踏まえる芸風の側面もある、というのは広く認識されるところだとでもいうのか。


●【タネあかし】芸術とは、悪魔との取引による錬金術【魔界のルール】
旅のシンクロニシティ - Tokyo Culture Addiction
『芸術新潮』 2009年4月号
「村上さんによれば、ピカソ以降、とくにデュシャンの「便器」以降、欧米において美術は鑑賞するものではなくなった。概念をめぐるゲームになった。(中略)現代美術の収集家が億単位の金をだすのは、作品を評価しているからではない。もうほかに買うものがないからだ。血管をプラチナ製に変えた金融長者や、一日で数兆円をつかう武器商人など、収集家の多くは悪魔めいた、心がこわれたひとたちで、(中略)そうした悪魔との取引による錬金術、それこそが芸術ではないか、と村上さんは考えている。(中略)錬金術とは、価値の捏造のことであり、現代美術もそうだが、骨董のほうが古い。だから、村上さんが骨董屋をまわるのは、それぞれの店の捏造ぶりを研究するためでもある。」とされる。

 みもふたもない真相。



2010/10/6
●美術館2.0
TS1 : 田中偉一郎 - Tokyo Sourc
アートって、ギャラリーとかミュージアムとか美術館とか、全部ばらばらにあるじゃないですか。ディズニーランドなんかは一カ所に全部あって、しかも もっともっと有名だったりする。アートもそういう風に一カ所のまとめちゃったところができたらいいな、と思いますね。まあこれはマネジメント的な発想だけど。

 うーむ、テーマパークかシネコンか・・・。

「デュシャン以降」の終焉
 初出「国立国際美術館月報」1993年5月
 個人的な思いを言えば、いまや重要なのは美術を延命させることではなくて、むしろそれをもはやとっくに「死んだもの」として考えること――美術の中に含まれていた最良の「遺産」を別の文化領域の中に「有効利用」することしかないように思えて仕方がない。美術館はもはや破壊すべきものですらなく、遺産の有効利用のためのライブラリとしてアクセスすべき文化のユーティリティと考えるべきなのではないだろうか。
 新しいデュシャンやウォホールは、美術以外の場所に出現することになるかもしれない。

 「ジャンルにとらわれてはいけない」(byお禿)。アートの新天地はどこにあるんだろうメーテル。


●助けてくれ、ここは裸の王様を叩く人間でいっぱいだ!
村上隆氏と有名シェフ - tyokorataの日記
 私には、村上氏批判と、手塚漫画焚書運動家との違いがよくわかりません。
 その心は、対象に対する理解をしようとしない、穢れを排除しようとする動きにしか私には見えません。
 そして、その原動力はグリーンピースと同じ、感情を基盤としています。 

 続きがあったのに今頃気づいた・・・しかしオタクの裏切り者の道を進むのはマゾがなせる業なのか(オレモナー)。そして「奴は資本家に尻尾を振る犬だと、なぜわからない!」「そんな嫉妬、見苦しいぞ!」と平行線は続く・・・。
 あ、ところで先月9/8の雑記はうっかりで、魔人加藤は村上ではなくオタクの方でしたスミマセン。



2010/10/5b
●ガノタリンク

Togetter - 「サマーウォーズ中の人がロボットアニメの画面レイアウトを語る」
Togetter - 「00の画面レイアウトから始まるガンダム愛」


2010/10/5
●【廃校を】巨大アート「1/1 学校」【ギャラリーに】

○コンセプトは、学校それ自体が「アート、ジオラマ」であり、つまり「学校テーマパーク」です(メインターゲットは中年オタク)。よって、校舎の外見及び中身が「ステロタイプの学校その物」である事に意味があり、また同時に美術館というシステムの(以下略
○必要な工事は、冷暖房設備の増強、食堂の設置、障害者専用自動ドア&エレベーターくらいでしょうか。つまり、あえて「不便なまま」とします。ただし小物が結構必要で、校長像、二宮金次郎像等は必須。
○よって机や堅い椅子もそのまんま。ノスタルジーを削いでしまう兇雑物は一切無用です。
○自販機の飲み物は三角パックのみ(コーラ等はあえて売らない)。現在の学校ではなく'80年代が基本。
○職員室では喫煙が可能…あの煙とヤニも含めて職員室なので(←イヤミ)
○夏季のプールのレンタル水着は、当然スク水(←ここ、アンダーライン)
○客が掃除をする事も可能(運営費の節約も兼ねる)。上履きの無料貸し出しあり。年間フリーパスは生徒手帳型(近所の老人が毎日碁を打ちに来たりする)。
○(森本○オの声で→) しかし実現は容易な道ではなかった。彼は、オタク心を理解しない館長に詰め寄った。「屋上に上がれないとはどういう事ですか!現実の学校生活では確かに上がれずとも、オタクの共有幻想たるファンタジー空間を無視するなど、仏作って魂入れずですよ!」
○(森本○オの声で→) 彼は食堂の店主にも詰め寄った。「食券販売機と激辛麻婆豆腐のメニューが無いじゃないですか!ちゃんとプラン通りやって下さいよ!」

○場所は、アクセスの容易な都心部を想定しています(駐車場が無いからといって校庭に車を置くなど論外)。よって郊外や地方で行う場合は、地域密着型の全く別のプランが必要かと思います(とはいえ建物の維持は金を食うので、容易なのは校庭と体育館の開放くらいか…ゲートボールとママサンバレーの光景しか浮かばず)。

ブログで社会は変わるのか? 現代アートの普及について考えてみる…現代アートは流行るのか?
どっか公園とか広場とか空き地で(空き地はまずいか)毎週イベントとかやったらいいと思うんだけど。ギャラリーとか作家とか毎週どこかに入れ替わりで集まって、イベントやったりトークショーやったりパフォーマンスやったり、作品を展示したり売ってみたり…という、とても単純な。(中略)
代々木公園はあれなので、お台場とかでどっか空いてる土地ないですか?みたいな。
廃校舎もありだけれども。

 あ、廃校の利用はやっぱり先に言われてた…(そりゃそーだ)。

Culture Power - 田中偉一郎
田中:だからすぐ動ける感じがいいですね。会社に入ってもすぐ辞められたり、また始めたりとか、展覧会もやってるけど、今日でやっぱりやめようと思ったらやめられるとか、そういうシステムに化することが出来たら面白いと思うんですよ。たぶん出来ないからやらなくていいんだけど・・・。(笑)
岡部:どこまで自由にできるか・・・確かにシステムは出来る限りフレキシブルな方が楽しくなるとは思いますよね。美術館について何か意見はないですか?遠くて美術館にはあまり行かないという話がありましたが・・・。
田中:それでも美術館のシステムや仕組みはわかっていますが、美術館で個展をやる気はないです。基本的にはお店とかがいいと思っているので。美術館はお店ではないですし。

 田中氏は、先月ここでネットデビューした謎の変態アナーティスト「名無し.NEAT」君の最大の脳内ライバルだそうです。



2010/10/4
●【思いつき】廃校をオタク文化館に!【妄想】

 いつぞやの国立漫画喫茶は流れてしまいましたが、御立派なハコを建てる必要性はさておき、その中身たるメディアアートの保存、展示空間自体は必要だと思います。で、ふと思いついたのですが、少子化で廃校になった中学か高校の校舎を再利用すれば安上がりでいいんじゃないかと。公演やカルチャースクールもそのまんまできますし、画廊、ミニミニシアター、あと折角なのでついでに「学校アトラクション」の要素も兼ねると面白そうな。校舎内を色々歩き回れたり(撮影できれば漫画描きには重宝)、特に「屋上開放」はオタップルのデートコースに最適です(セーラー服等の貸し出しあり)。そして年に数度の文化祭(即売会)、体育館でコンサート(アニソン限定)、それからそれから・・・。

ブログで社会は変わるのか? 現代アートビジネス/小山登美夫:著-を読んで思ったこと色々
 他のコンテンツも色々と参考になります。


●米国の金持ちはHentaiだ
ブログで社会は変わるのか? 金と芸術-なぜアーティストは貧乏なのか?ハンス・アビング著 読書メモ
どう考えても内臓だの、グロテスクなものが世の中の主流になる事はないが、現代美術では普通である。
それは、世の中のごくごく一部の、大金を持った人間が単に変態だからである。
金持ちの変態趣味に庶民が付き合う必要なんてない。ないはずなのに、金を出す人間が偉いので、アーティストはその変態に照準を合わせて作品を作る。その結果が今の現代美術である。

 そうだったのカー!!



2010/10/3c
●きょうのにゅーす

日本の情報を海外のメディアが先に伝えて日本では報じられない時代 - 【ネタ倉庫】ライトニング・ストレージ


2010/10/3b
●【村上隆を】マイ・ロングサム・オタクボーイ【肯定する】

○今日の思考実験結論、これこそが「外人の欲するヘンタイ世界」であると思われます。
○仮説、「外人に最も人気のエロマンガは、ジョン・K・ペー太」。ペー太をオタク(=ヘンタイ)の頂点として考えた場合において、村上隆の翻訳(正確にはメリケン向けの超訳)は実に的確と言えます。
○ただ個人的には、ナヨっとした体はオタクっぽくて良いのですが首が太い様な。あとチ○ポはもっと巨大な方が…(浮世絵、草食系男子の欲望、米の軍事力の如くに)。
○ペー太は、町野変丸以後におけるヘンタイ表現の極北。和製ロックで例えるならば、日本一の大名曲であるコミックソングとして知られる『高○ブー伝説』という所でしょうか(ならば町野は町蔵なのか?)
町野変丸とジョン・K・ペー太の変態師弟対談 - さよならストレンジャー・ザン・パラダイス
○では、なぜペー太が頂点だと推測するのか。私はヘンタイ世界の事情に疎いのですが、以下は唯一の友人I.T.O君に聞いた話です。
○アングラにおける勝手なアップロードや翻訳自体は何ら珍しくないのだそうですが、ペー太の特異な点は色付け等の加工がなされている物があるとの事。こっちの常識では考えられませんが、自分が子供の頃にお気に入りの漫画に色鉛筆で一体何をしたのかを思い出すと、これは明らかなリスペクトです。以上、証明終了。
○やたっ!これで古き見方↓を葬れる!

 オタク…「奴らは美味い食事のわからない味オンチ。真の萌えがわかれば詐欺に気づくはずだ…っつーかオタクを珍獣扱いするなよ名誉白人め」
 一般人…「酔狂な金持ちのマズい物食いチキンレースさ。合法詐欺屁理屈大会の優勝オメデトさん」
 信者…「味オンチなのではなく、100年のスパンで見ればそこに差は無い。浮世絵の如く今では見向きもされない物に至高の味を見出しているのだ。」
 以前のオイラ…「滅び逝く80年代のイコンですね、わかります」
○ペー太の詳細な紹介サイトはもう一つあるので、お上品でない18歳以上の方のみ「逆方面内視鏡図」でググって下さい。これは非常にイントパクトのあるアート的構図です(オイラは「逆視点くぱぁ」って勝手に呼んでた)。
○確か浮世絵にあった様な記憶も…。ちなみに断面図、シュリンカーも既出で、おそらく大抵の事は江戸時代にやられているのではないでしょうか。あぁ、昔の人はえろかった。
○現代アートという名の「ゴミを芸術とするゲーム」は便器からスタートするも、そのずっと昔に利休の「はてなの茶碗」があります(これぞ元祖レディメイド)。また、ウォーホルの量産も浮世絵でとっくに行われていた事にすぎません。アートの未来は、きっと日本の過去に眠っています。




2010/10/3
●−村上ついーと

http://twilog.org/takashipom/date-100902
http://twilog.org/takashipom/date-100901
>「最後の部屋で号泣せよ!」

 ・・・・「ゴッホゴーギャーン!! (ブッシュウゥ!)」(←またかい

 普段は「村上の敵か味方かどっちなんだ?」という感じの082ですが、一ヶ月前のついーとが面白すぎるので今日はセンセイの味方です。



2010/10/2c
●Gの幻想
nix in desertis:偉大なる画家十選
10、デュシャン
現代芸術ってやったもの勝ちであることに早々に気づき、かつそれを自虐的に利用して「やったもの勝ち」の領域に堕すことの無かった奇才。以後の芸術家は、 「美術史は第一世界大戦で終了しました」と言って憚らない自分の目から見れば、美術史が第一次世界大戦で終わらないことへの数少ない反証。

082 is disartist:偉大なるオタク十選
10、あさのまさひこ
キャラクターモデルってやったもの勝ちであることに早々に気づき、かつそれを戦略的に利用して「やったもの勝ち」の領域に堕すことの無かった奇才。以後のモデラーは、「ガンプラ史はセンチネルで終了しました」と言って憚らない自分の目から見れば、ガンプラ史がセンチネルで終わらないことへの数少ない反証。

ModelDawn 模型丼用語の基礎知識
 あさのまさひこ【フリーライター】
彼の仕事は他業界のシステムを模型界にコンバートする、所謂「パクリ」である。
モデラーのワークス体制を提唱したのは、その一例。(中略)
近年では、「作ってはいないがアイディアは自分が出したのだから」と、
「製作者名を自分」にしても良いのでは、と訳の判らないことを言い出している。

 ワークス体制導入は、後の村上隆と同じ。彼こそが「作らないモデラー」の偉大なる先駆者と言えます(←皮肉)



2010/10/2b
●転売こそ公正なり

ロンサム・カウボーイのアメリカ - Ohnoblog 2
 資本主義的に21性紀現代アートの頂点たるこの作品は5つのエディションがあるとの事ですが、村上センセイ本人もしくはギャラリー(小山氏)が直接オークションに出品した可能性は極めて薄いかと。確かに言われる通りに自分で出すといい事づくめなのですが、それをやると結果的に自らの首を絞めてしまう様です。

小山登美夫 『現代アートビジネス』 アスキー新書(p118-120)
 オークションは公平公正な、きわめてパブリックなシステムです。だからこそ、この予想落札価格と実際の落札価格が、マーケット全体の指標となるわけです。
 ところが、アジアの現代アートの歴史はまだ浅く、したがって、今のところギャラリーのシステムが確立されていません。そこで、プライマリーの作品を、アーティスト自身やギャラリーが、いきなりセカンダリーのマーケット、つまりオークションに突っ込んでしまう事が起きています。一度も買われたことのない作品が、セカンダリー級の価格で落札されていくわけです。こうなると、確かにアーティストにとってもギャラリーにとっても、実入りはいい訳です。(中略) プライマリーでは数百万円の値段で取引されるはずの作品が、オークションではいきなり数千万円になる。
(中略)
 それでは、アートマーケットは荒れ放題です。最悪の場合、バブルが大きくはじけて作品価格が急落する恐れが出てくるのです。そうして最終的には、アーティスト、ギャラリー、コレクター、投資家、すべてが大きな痛手を負うことになるかもしれません。

 つまり、「転売の方が正義」。これは模型界の掟とは全く相反するゆえに、納得のいかれない方も多いと思います。まあ私自身も理解できているのかは怪しいのですが、足りない左脳を回転させて、わかりやすく例えてみました↓

 アングラ画像掲示板は公平公正な、きわめてパブリックなシステムです。だからこそ、ここに無断転載される頻度が、萌え絵の評価基準となるわけです。
 ところが、海外のオタク文化の歴史はまだ浅く、したがって、今のところアングラ掲示板のシステムが確立されていません。そこで、外人が自分で描いた絵を、いきなり萌え絵掲示板にアップロードしてしまう事が起きています。一度も無断転載されたことのない作品が、日本の萌え絵と同じ土俵で表示されてしまうわけです。
 それでは、アングラ画像掲示板は荒れ放題です。最悪の場合、やる気が大きくそがれて掲示板のアップ数と閲覧数が急落する恐れが出てくるのです。


アートとの付き合い方 ギャラリスト小山登美夫|現代アート販売(通販)のタグボート



2010/10/2
●片目を塞いでダ・ヴィンチになろう!

@nifty:デイリーポータルZ:左脳をダメにすると絵がうまくなる
 せっかくの面白ネタなのに、肝心の右と左が間違ってますよ・・・と突っ込み(右半身は脳の左半球、左半身は脳の右半球に入れ替わります)。という訳で、右目と右耳を塞ぎ、左手と左半身を貧乏ゆすりしながら描くと多分よろしいかと(左手で描けば無論ベスト)。
 なお、絵を見る時や描く際に、両目だと距離感が邪魔になるので片目をつぶる人は結構多い様です。一村のミミズクが片目を塞いでいるのも多分それでしょう(ちなみにシンメトリーのフクロウ画自体は「東都手遊図」等、結構多いかと)。

 ハッそうだ、「ダ・ヴィンチ左脳障害の真実!」とか、「ダ・ヴィンチになれる右脳鍛錬術」という感じで、ベストセラーで一攫千金を狙えるんじゃなかろうか?(←煩悩だらけ)
雑記09-10-15 モナ・リザは脳障害だった!?
 肝心の元サイトへのリンクは消失。内容はかなり・・・いや極めて重い物で、閉鎖は残念。現在では、わずかにこの文章しか読めません。
気になるブログ二つ「teru0702の日記」「中年社会学」 - たぬきちの野良犬ダイアリー

 まあマスコミ人が自画像説を知らないはずがないので、娘とモナリザを重ねるためにあえて触れなかったのだと思います。ただ、「そう見えたのは単にダ・ヴィンチが左利きだからで、障害とまで言い切れないのでは?」という突っ込みもできはするので、ここは脳の専門家に他の絵も含めて分析して欲しい所です(まあ脳障害は確実視されているので、どっかで推測されていて当然とは思うのですが、いまだ検索にかからないナ・・・)。

 あ、そういえば、モナリザといえばガキの頃に実物を見た様な記憶も若干ありますが(正確には「人の海の中で遠くからチラリと覗いた」という所)、再来日はまず無いでしょうしねぇ・・・されどもパリは火星よりも遠きかな。



2010/10/1
●学校を 出ないと人生 行き止まり
はまログ はま受験 志望校決定編 : 06/小説家になれなかった場合の保証と言う発想
 甘くはないからこそ、小説書きとして必要な能力を、身に付けておく期間をキープする。小説書きとして必要な能力とは例えば、文章技術、執筆生産能力。一般的なところとしては、知識、常識、コミュニケーション能力、ストレスへの耐性。そして、のちのちまで財産と言えるような友人作り。

 甘くはないからこそ、アーティストとして必要な能力を、身に付けておく期間を一流美術大学でキープする。現代アーティストとして必要な能力とは例えば、コンテクスト構築技術、制作量産能力。一般的なところとしては、市場で何が受けるかの知識、奇人扱いされないための一般常識、ギャラリーやブログで好かれるためのコミュニケーション能力、赤貧と同期の出世によるストレスへの耐性。そして、のちのちまで最大の財産となる画壇へのコネ作り。

村上隆さんへのご意見 - 少女の掟 † 樋口ヒロユキ
 何やらモメている御様子です♪

マイブコメ&フェミニスト村上隆子の出世 - Ohnoblog 2
 座布団一枚!



  
10-09  雑記  10-11

G_Robotism