一昨日前、詞の修正のついでに先月に宮崎ネタで使った文の安易な再使用を思い立ち、短すぎるのでちゃんとパロってみようか・・・と検索していた所、8月27日が何の日であるかを知りました。
しかし、「Yotaka」でググると「もしかして: Otaku」と注意してくれるグーグルさんは本当に素敵です。夜鷹が実はオタクであるという絶対真理を機械に教えられる事があろうとは・・・。なお、夜鷹もオタクも負のイメージを有する言葉ですが(ちなみに夜鷹は英語でも売春婦)、ここで指す夜鷹とはあくまでも賢治の童話に出てくる夜鷹です。
『よだかの星』 http://why.kenji.ne.jp/douwa/17yodaka.html
人の名前は、自分では決められません。まあハンドルは自分で決められますが、それでもあだ名が付けられてしまい、名前とあだ名が高次元で両立してる奴になったりなんかしちゃったり・・・。「命名」の本質とは、一段メタに立つ他者が「下の存在をカテゴライズする事」です(これは学問の本質でもあり、歴史も科学もみなそうですけど)。よって、猿語翻訳装置が完成したらナマケモノと人間の間で軋轢が起きるはずですし、蟲語翻訳機ができたら「ニセ○○」や「○○モドキ」からの抗議が殺到するでしょうね。そもそも日本人も「nihonjin」ではなくジャパニーズと呼ばれますがまあこれはいいとしても、エスキモーとは「生肉を喰らう輩」という意味ですから、彼らが怒るのも無理はありません。
しかし改名するとなると、それはそれで大変かも。「名前が嫌なので変えて下さい」 「そうだな、よし、今日からおたくは宅蔵だ」 「そりゃあんまりです、もっとまともなのにして下さい、ジョナサンとか…ダメならヨナタンでもいいです」 「じゃあ八郎だ」 「それもイヤですよ、せめて斗司夫なら・・・」 「ええい文句が多いな、そんなだからお前はオタクなんだ、オタクのくせに生意気だぞ!」
所詮オタクはオタクであり、それ以上でも以下でもありません。言葉を変えればいいんだとか、「差別語だから無くせばいい」と考える人は世の中に多くいますが、事の本質は名前などといった表層にある訳ではありませんので、排除すればいいというのは短絡的です。
http://members.jcom.home.ne.jp/u3333/mk960920kenji-douwa-roudoku-2yodaka.htm
よく言われる様に、「弱いなら強くなればいい」とか、「イメージを良くすればいいんだ」という意見は、戦略上全く正しいと言えます。オタクが理解される事よりも、電車男の様な誤解の方がずっと有効です。差別や偏見とは、ちゃんと説得して理解されれば無くなるという物ではありませんから、誤解上等です。
しかし、それでも根源的な問題が残ります。夜鷹がどんなに格闘技を習ったりオシャレをしたところで、夜鷹はやはり夜鷹であり、のび太はのび太であり、キモメンはキモメンでしかありません。よっていかに努力したところで永久に勝てない事がわかりきっている上、そもそも宦官に性欲か無いが如く、勝負しようなどと思う事もありません。
オタマジャクシはカエルにしかなれず、藍華たんは藍華たんにしかなれず(←関係ない)、オタクはオタクであり続ける事しかできぬそれが運命。アヒルの子は白鳥にはなれず、シンデレラには魔女も王子様もやってこず、空から美少女が落ちてくることも決して無いのが宇宙の絶対法則です。そして、オタクはあまたの害獣や天然痘が絶滅した如くに駆除されて滅びていくのかもしれません。おそらく「ゴキブリは存在自体が悪だ」という程度には、おたくはその存在自体が間違っているのでしょう。ですが、周囲の価値観に迎合したり転向して生き永らえるよりも、己のオタク道に殉ずる事を選ぶ求道者の如き姿こそが・・・・ン、そうか、オタクとは「宗教」だったのか!ようやっと絶対真理に到達したよ、ララァ・・・
『オタクの星』
オタクは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに虹へむかって行きました。もう三次元の女性は煙草のモエカスくらいにしか見えません。オタクはむかってむかって行きました。
ひもじさにカードもスイカも凍りました。財布がうすくなった為に、足をそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。
それなのに、虹の遠さは、さっきと少しも変りません。ハァハァつくいきはふいごのようです。暑さと空腹がまるで剣のようにオタクを刺しました。オタクは金がすっかりなくなってしまいました。そして汗ばんだ顔をあげてもう一ぺん虹を見ました。そうです。これがオタクの最期でした。もうオタクはアニメを見ているのか、ゲームをしているのか、盛って抜いているのか、ウェブ日記を書いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、そのヨダレのついた大きなくちびるは、横に歪んではいましたが、たしかにニヤリとわらっておりました。
それからしばらくたってオタクははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま凛や桜のような美しいキャラと一つになって、しずかに萌えているのを見ました。
すぐとなりは、アキハバラでした。有明の聖地の青い空が、すぐうしろにひろがっていました。
そしてオタクの意思は萌えつづけました。いつまでもいつまでも萌えつづけました。
今でもまだ萌えています。
モノーキー「生まれる前の昔のことでも、有名人の逸話はオタクの史実として残る。」
http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/2c7c68d18383a4f787ec568c6167d022
>webでも同人でも自分の本当の隠し球は完全に完成して商業で世に出すまではひたすら秘密主義を貫くか、それともパクりようがない作風になるか?
うーん・・・そういえば大事な事を言い忘れていたた事を思い出しましたですよ。意外に知られていないの事なので言いますと、この国においては「あたらしいモノ」というのは、新しい物を指すのではなく「真似される物」を指す言葉です。パクられない物はただの「変わった物、新奇な物」でしかなく、新製品であっても「あたらしい」という形容詞は付きません。ただし、「あたらしい」物と証明された瞬間において「古い物」となってしまう矛盾・・・(ちなみに「本物」とは、偽物が作られた瞬間、あるいは鑑定の必要が生じた時においてはじめて「本物」になります)。
・・・とどうでもいいヨタ話はさておき、まあ日本では(特にオタク界では)基本的に「パクッたもん勝ち」なれど、元ネタ探し職人も多いのでバレやすい罠・・・という訳で楽観視した方が精神衛生上良いと思います。ただ、私の様に性善説を信じない方は「アリバイ作り」もぬかりなく。
ミラクルハウス改め魔城ガッデム・ダメゼッタイ。「オリジンの自己防衛」
http://miracle7.sakura.ne.jp/blog/miracle/index.php?eid=99
>その作家の持つまず一発でそれと判るユニークな絵柄や
独特のセンスで選ばれるガジェット(小道具類)スタイリッシュな画面構成
こういう部分が盗まれバラッバラに解体され、<ロリコン漫画>のゴッタ煮の闇鍋の中にブチ込まれ
オタが食べやすいように甘〜い味付けで口当たりの良い様に柔らかくグツグツと煮られてハイ、出来上がり!
うーん・・・たいへんにざんこくなまつろですねえ・・・。ところで、玄人受けしてる人というと真っ先に思い当たるのがFSc先生。コミケで立ち読みする度に「こりゃ客を選びすぎるなあ」と思っていたら、単行本表紙のロリモード全開に一体どうしたんだと御本人のサイトを見た所、日本の萌えの何たるかをしっかり研究されていた事が判明。しかしまあ、万年日陰の創作同人作家が泣いて羨ましがりそうな愛されっぷりです・・・。
『「ひらきこもり」のすすめ―デジタル時代の仕事論』 渡辺浩弐 p149〜150
『秋元きつね 〜どうしてもなんとかしたいって思ったら、「情報遮断」という手もある。鎖国。(中略)僕の場合短い鎖国を意識的にしょっちゅうやってます。その間TVは見ない、音楽も聞かない。(中略)
渡辺 クリエイティブって空白の時間にこそできることだから、漫然と見るものがある、っていう状況は良くないですよね。僕もそうしよう、今日帰ったら「お気に入り」消しちゃえ。
秋元 そうそう、せっかくこもっても、ヘタにネットで楽しめちゃったりすると、それで満足してパワーが失われていく。』
『この国のけじめ』 藤原正彦 p127〜129
『高木貞治はまさに日本数学界の父である。(〜中略〜)博士には苦節の十二年がある。ドイツ留学から帰り博士論文を仕上げた二十八歳から、四十歳に至るまで論文を一つも書いていない。留学時代「日本より五十年進んでいる」とドイツ数学に圧倒された博士に、独創への自信はまだなかったのではないか。ところが四十歳を目前に勃発した第一次大戦により、ドイツの本や論文が入らなくなった。「学ぶ」から「作る」へと切り換えざるをえなくなった博士は、五年間の激しい集中により大戦後間もなく、ドイツ数学を呑みこんでしまうような類体論を完成した。二十世紀数学の巨匠ヒルベルトが予想した理論をはるかに超えるものだった。』
『ゼロ』 (愛英史/里美桂) 11巻p32
『神は芸術に対しても公平だ。(中略) 大多数の画家は絵が認められるにつれ、口をも動かすようになった。脳裡に浮かぶものを口で表現できれば、何も絵に現す必要はない。そして凡人はそこでみな潰れていく。彼から言葉を奪え!言葉を必要とする社交も奪え!人前に出るための金もすべて奪え!』
・・・ああっ、オイラも鎖国しようかなあ、アニメも読書もネット徘徊も一切止めて・・・(←中毒なので無理です)
「じんこー にグラフを4枚追加したナリ♪」
「へー、ガノタな事はもうしないかと思ってたのに、何でまたいきなり?(←陰の声)」
「んー、ちょっと思う所があったんでね・・・ところで知っているか!若者の人口が増えると必ず戦争が起きるのだよ!団塊世代の学生運動もそれだな・・・よって少子化こそが平和を生み国家を繁栄させる要因なのだ!」
「まーたトンデモ本の影響ですか?」
「ウッ・・・その通りで、先月紹介した日下氏だにょ。まあ自分はトンデモ本だけを読んで生きてきたって元々言ってるし(グスン)…だから大抵は評価がボロクソ。まあ自分は日本は滅ぶしかないと思ってるネガティブ人間だから考え方は正反対だし、例えばここでも叩かれてたりして・・・http://blog.goo.ne.jp/os_6string-bass/e/73c2b0790c731d36a6c4b6a7b831a0d5」
「うーん、やっぱりダメっぽいね」
「でも肯定的な声もあるよ、ここの5番目とか、ttp://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A1CNCUVW8KG0KX
あとこことかhttp://kayin02.blog39.fc2.com/blog-entry-277.html」
「しかし、是非はさておき少子化が実は正しいというのなら、オタクが考える事はただ一つ・・・」
「そう、つまり子供を作らない我ら二次コンのキモヲタこそが神がつかわした世界の救世主なのだ!これで独身オタクのうしろめたさともサヨーナラだぜベイベェ、喪男バンザイ!」
「でもそれで免罪符を得たとしても、自分が親不孝な事には全く変わりないんですけどねえ」
「そ、それは言わないで・・・」
しかし、市販本より同人誌の方がの入手が楽だというのもちょっと考えてしまいますがそれはさておき、先日プチクリとほとんど同じ事を言ってる本をたまたま発見。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/406149631X/249-2093576-1158727?v=glance&n=465392 |
上の「あまりに楽観的」という題のレビューを御覧下さい。仮にゲームの王様(?)に触発されて「俺も好きな事だけで生きよう!」と、のーてんきな事をダメクリ(もしくは普通の人)が言い出したら、大半が路上で野垂れ死ぬのが無論オチな訳で。あっそうだ、いい事思いついたぞ!勝ち組の財産を没収して公平に(以下略)。
しかしまあ、発刊はこっちの方が早いので類似本と言うのは失礼なのですが、洗脳社会の焼き直しという印象だったので。ただ、焼き直しでも「先に言ったモン勝ち」なのがガクモンの世界ですから、プチクリのターゲットをああした理由は案外この本が原因かも?と下衆に勘ぐってみるでゲス(←カパエルの声で)。
s0s_bl0g |
意味はわかりませんが、狂ってる点に関してだけはオイラはガノタで前方集団を走っていると自負してます・・・何にも自慢になりませんが。
同人誌オタク・イズ・デッドを読了、王は最強メタオタクの座をこれで不動の物となされました。俗名オタク戒名オタク、1983年生誕、2006年没、享年23歳、南無阿仁於他仏ナムアニオタブツ・・・。あ、一応葬送歌も作りました。
変歌-03
「故オタク」の入るべき墓があるとすれば、無論有明でしょう。逆ピラミッドの鳥居があるので、寺ではなく神社ですかね・・・通称オタ国神社。しかしまあ、もしオタクとして無縁で死んだ仏が永眠できる場所がどこかにあるなら、ダメオタの一人として是非入ってみたいものです。
ただ、83年はオタクの命名年ではあっても生誕年とは違うかと。とすると、SFファンダムに起源があるという定説を横に置いてアニメ界に限定すれば、まずあがるのがマクロス(&うる星)の82年ですが、個人的にはオタクリエーションの真髄たる「快楽と本末転倒」が最初に具現化された81年を推します。この年のダイコン3OPアニメにより「メカと美少女」、すなわち快楽至上主義が顕在化しました。そしてガンダムセンチュリーにおいて「設定遊び」(設定崇拝の元凶)が提示され、この両者が翌年に悪魔合体したのがマクロスです。ええと要約すると「オタクなもの=ダメなもの」という認識なので、オタクは自らを深く恥じなくてはいけません・・・私の定義では。ただしSFが根本定義だとすると「オタクなもの=至高なもの(高尚な文学、文化)」ですし、特撮もさして卑下するほどじゃないですね。要はオタクヒエラルキーピラミッドにおける階層差による認識の差異です。
岡田氏の言うオタクとは、強き白オタク。「オタクは世間の価値観になびかない」…ってそれってまさにロックですねえ。ロックがジャンルとして定着し一般化すると「ロックのためのロック」という保守的な物になり自己矛盾をきたしました。ロックであるために「ロックであってらならない」様になれば、もはや定義を変えるか死亡宣告を出すしかありません。一匹狼の群れ、アナーキスト党、宗教を信じない教団、保守的ロック、一般人のオタク・・・。
一方の私は、弱き黒オタクです。奴隷であり捕囚であり家畜です。かなわぬ夢を見続ける気力も失せ、己の力を妄信しつつも自己卑下しなければ生きていけぬ最低の存在です(妄信するだけだと精神が壊れる・・・自虐は鏡を見る度に自殺したくなるのを防ぐ防衛機構)。なお、黒オタクはこうしてペラペラとしゃべくりはするのですが、そもそも初めから死んでいる様な物なので・・・(以下略)。
『ロックがもう死んだのなら そりゃあロックの勝手だろ』(ハイロウズ「スパーソニックジェットボーイ」)
『信者になるな、教祖になれ!』 (オカルト雑誌「マヤ」のオーケンのインタビューより)
(9/12修正)
まずは、下のリンク先の対談の紹介箇所を御覧下さい。五千万回ほど繰り返してお読み頂けると幸いです。
(1/50,000,000の勝ち組)
無論、ここはそう言う他はない事はわかります。ですが、やりきれなくなります。「全員知ってるよ!」・・・つまり全員が本来聞くべき存在であった「一般人」ではない人だったのです。「みなさんもこっちに来ましょう」と王が呼びかけたのは貴族の御子息ではなく、大衆でもなく、老いさらばえた奴隷だった。そして奴隷の心は、奴隷にしかわからず。
ええとすなわち、プチクリは「一般人が自己発信する際に背中をポンと押す本」なので、ダメクリが読むとこうなります。
「みなさんもホームページで好きを発信しましょう」
「全員作ってるよ!(でもいまだ負け組だよ!)」
つまりオタクには不要。しかし、メインターゲットである一般人(の非発信者層)はそもそも本を読まないので結局売れない。しかしオタクは本を読みますし、オタキングの知名度は絶大なので要はムニャムニャ・・・
・・・とか言ってると批判している様に見えますが、内容は自体大変面白いです。単行本を読まずに言うのも何ですが、洗脳〜やフロンの如くの鋭い切れ味でオタをメタ分析しているのですからハァハァ物です。
・・・とはいうものの、勝ち組プチクリになれるのは当然ごくわずかにすぎませんので、「プチクリ増殖=発信者の過剰」が必然的に引き起こす「個が孤独に点在するだけの状況」に果たして人は耐えられるのか?とここで突っ込み。人は教祖タイプより信者タイプ(マゾ)の方がずっと多いため、孤独に弱い信者達は「無人島の国王でいられる強さ」を持ちません。受け手のいない発信者や、信者のいない教祖は自滅するのが絶対法則ですから、結局人はこれまで通りに、小さな共同体で井戸を囲み互いの認証を繰り返す日々を送るのがオチでしょう。
プチクリ理論は確かに正しいものの、こうした投げ出されたままの課題が残ります。ちなみにこのパターンは他の著書でも同じで、洗脳社会は「皆が好きな事を追求してそれで経済が回るの?」との疑問、フロンは「母親が自分の気持ちを優先して、見捨てられた子供はどうなる?」との突っ込み点が。あぁ、答えてくれたら神様なのに、ヤッパリ王様。上半身は裸の・・・だがそこがいい。
自滅の詩(奴隷家畜人082 心のポエム)
「王様、なぜ私は王様ではなく奴隷なのでしょう?」
「・・・死刑!」
赤ちゃんの時は誰もが王様だけど、やがてそうではないのだと悟って人は大人になる。
その当然の事実を受け入れなければ、ダメ人間としてブタの人生を歩む他はない。
「どいつもこいつもバカ、バカ、バカ!この俺を認めない世の中が間違ってる!!」
バカは、自分。
救いようがない、バカ。
死ぬまで、バカ。
死んでも、バカ。
未来永劫に、バカ。
宇宙の終焉の後も、バカ。
「反戦」は何も生まない、何ももたらさないhttp://naruishi.hp.infoseek.co.jp/etc/war.html |
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萌える男にとって、巡礼は古来より最終日が本番ですので、東の(削除)→西の評論→ソフト→東の創作の順に忙しくセッセと礼拝。
戦果オカズは、久々復活の山下氏雪風本、堂々の120ページ(カラー24枚)に全メカヲタは萌え氏にです。惑星開発さんの新刊も怒涛のボリューム276ページで全ての二次ヲタ喪男との戦闘は更なる泥沼化へ、うひょひょひょ(そのうち委託店経由で通販入手できる様になるかと)。
オタクが増えれば増えるほど風俗に行く客は減少する訳で現にそうなってきている様ですが、ここで衰亡を防ぐ手段を一つ。
その昔に熱狂的に流行した「お伊勢参り」というのは、表向きは信仰と富士山見物ですが、若い男にとってはもう一つの裏の(真の)目的が存在しました。まあ「花より団子」と言いますか、今も昔も欲望が人のホンネなのは納得のいく話です。ただし、昔の風俗は金を払えば誰でもすぐにヤレるという訳ではなく、三日ほどかけてじっくり落とさないと目的を達せられないシステムであり、ダメな奴はそれでもダメでジ・エンドでした。つまりコミュニケーション能力を駆使してエンディングに辿り着く擬似恋愛ゲームの様な物で、一見効率が悪そうですが、買い手が「金で買ってしまった…」との敗北感にさしてさいなまれず、売り手にはイヤなら拒絶する権利があるため、精神的ダメージを抑えられる利点があります。
と、いう訳で風俗業界は「ギャルゲ(擬似恋愛)システムへの転換」を計れば?というお話でした。まあオタク向けにはコスプレ化する手がありますが、相当わかってないとコケるだけの様に思います(そういえば以前に「サブングル」というヘルスかソープがありましたけど、ブングルの意味わかってて付けたんでしょうかねえ・・・マクロスやエヴァなんてネタの宝庫なのに無いみたいですし)。
傘は持たず11時過ぎに入り、まず企業ブースを目指すも当然小林本はなし(バカ)。10分間をムダにした後は、メカミリ→文芸→SF→特撮の順に巡礼し、突然の雷雨が止むのを待っち水上バスでサッサと帰宅。途中小雨が降りましたが、本をビニール袋に入れて無問題。しかし、全部でわずか17冊・・・いくら今日は(削除)ジャンルが無いとは言え、自称オタクがこんなんでいいんでしょうか?(←オタクはもう死んだので無問題)。
なお、右の王様(本来は三日目)を除外した本日の最強オカズは、特撮ジャンルの「鉄の猿」さんの空想車本(Iron-monkey 03改訂版)です。「スタジオぬえの描くクルマ世界(小説編)」といったページが130枚・・・これ以上の説明は不要でしょう。また、それよりも更に面白そうなのが最凶のオタク批判芸風に伴うゴタゴタでが、ヤバそうなのでひっそり静観モード・・・(ただ通販もしているので、もし需要があれば考慮しますが)。
委託スペースだけにしか現れないガノタサークルの新刊を今回もゲトした後、ガソダム→アニメ→(削除)の順に巡礼。閉会後は企業ブースで小林誠袋とストラップをゲトし、先着100名にもらえるという小林本の見本にハァハァ(ワンフェスでも配るんでしょうか?)。閉会後はアキバで右端の王様本をラ館の海で入手するも、体力温存のためオモチャは買わず帰宅。
しかし、毎回イチオシの全く無名にして最強サークルのガンダム本(通販で入手可能)ですが、「道端で手を振るリアルなサザ○さん」に見えるのは一体何故・・・。
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『Mitleidの家』 カンタータ「オルビス」 http://mitleid.cool.ne.jp/orbis.htm |
ううっ、まったくはんろんできない・・・。
『すぎやまこういちがやってきた』 http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/7677/hayasho/int2.html |
おおっ、やはり富野哲学が根底にあるというのか! しかし「神を信じぬ者に宗教音楽は理解できぬのだ!」とのたまう訳にもいきませんので、第三者の厳しい評定は黙って受け入れる他はありませんしねえ・・・これはしょうがないです。
曲に詞をのせれば、「1+1=2」ではなく「1+1=3」になります。動画も一緒に合わさると「1+2=5」になリ、更に富野哲学(ドラマ)が加われば「1+3=10」になります。ですが、この10を知る側が「曲のみの評価」を下すのは極めて困難・・・いや、不可能です。とは言え、1+3=10となる事自体は別に悪い事ではなく、まあ呪いみたいな物だと単にオタク側が認識すればすむ話です。よって劇伴上等です、以上おしまい。
ここから話は逸れますが、1+3=10とは言っても近年は1+3=4にすらもならない物が多い様な・・・。近年のアニソンが「詞が作品内容と遊離した物」になってしまったのは、単独でも売るための「オタ臭抹消作戦」というレコード会社の悪行のためと思われますが、どうもここ最近は正常な方向に向かっており「アニソンとして」聴ける物が増えている様に思います。例えば、先日のアニメ夜話でやってたハガレンの最初のED「扉の向こうに」は、某工イベックスなのに歌詞が作品テーマとマッチしていましたし(よってオタクの評価と邦楽ファンの評価はおそらく違うはず)、ジャネオンのシャナのED「夜明け生まれ来る少女」も作品とのシンクロが完璧でイメージを喚起する曲でした。
ただ、マッチングが良くても現在ではアニメのイメージが思い出せない物もありまして、例えば「みゆき」のEDがラジオで流れても「そういえばアニソンだったよなあ」という程度にしか感じません。つまり、10+1=11ならば10も11も大して変わらず、曲とアニメに「強度の落差」がありすぎるために片方が脳内抹消された物と考えられます(H2Oと言うと、ラジオにはあまりかからない曲ですが「僕等のダイアリー」をたまに聞く度に、「飛んだカップル」最終回の主人公のやるせない笑い声を思い出しますねえ)。
あ、ところでそういえば、表現強度100の曲を0.1以下に加工した主題歌が昨年あった様な覚えがうすっらとありますが、何でしたっけ一体・・・?(ヲイ
普段は意識にありませんが、一説によるとアートには見るだけでなく「買う」という選択肢も存在するとも言われています。ただ無論、「将来ブレイクしてオイラの老後を安心させてくれるのは誰なのっ!」と物色できるはずもありませんが、もしも「一般には有名ではない人のアート作品を一つだけあげよう」と空中バイクにまたがったサンタクロースに言われたとしら、ジェラール・ディマシオが欲しいと答えます。
日本では88年と92年に大きな展示会があり、上はその時に購入した画集です。ちなみに右の本は、丁度御本人がいらしたので並んでサインもしてもらいました。あとポスターも買いましたが、エロいので流石に飾る勇気は・・・。
公式サイト(海外) http://www.di-maccio.com/
日本のファンによる公認サイト http://dimaccio.fc2web.com/
「ホンモノ」である事の証明・・・それは「ニセモノ」の存在に他なりません。上のファンサイトの掲示板によると何と「ニセモノ」があるという事で、見つけるのに多少手こずりましたが「ジャック・パラチアン」と判明。まさに「ジャックしてパチるパラノ」という名の通りですが、ニセモノというよりパチモンなので明確な著作権侵害という訳ではありません(要はガンガルや「鳥○明風」と同じ)。しかし、パチとは言ってもこれがなかなかに「一贋作完全燃焼」していたりします・・・。
Jacques Paratian http://www.jacquesparatian.com/
なお、パチまではいきませんが影響を受けてるな、という物も。
Naoto Hattori http://www.wwwcomcom.com/store/original/color/soul_stream.htm
この他にギーガーの「リー」シリーズっぽいのも2枚ありました・・・一対二でギーガーの勝利!(←そおゆう問題ではない
あとこちらも、なんとなく影響がある様な。女性層に受けそうな画風です。
A. Andrew Gonzalez http://www.sublimatrix.com/index.html
近所の本屋では売り切れていた『BRUTUS 8/15(599)号』を昨日入手。以下、p42より引用します。
山下裕二 (〜略)代表作じゃなく、実験作。それにしても空前絶後の発想ですよね。 |
ウウム、「至高の買い物」とはこういう物だというのか!しかし天国の若冲も、さぞかし笑いが止まらない事でしょうねえ。ただ、この上司を笑う資格は凡俗(以下の蟲)たる私には一切ありません・・・と、自分自身に突っ込むのは毎度のお約束。当然ですが70年代にはデジタルアートなんてありませんし、もし何一つの説明無しで私がこれを見たとしたら、衝撃などは受けずに「なんかヘンなの・・・東南アジアあたりの人なのかなあ?」の一言でオシマイだったはずですから。
作品自体は、一目見れば中学生だってわかるでしょう。多くの人がわかるという事は、すなわち「普遍性がある」という事です。しかし、それでも作者の心まではわかりません・・・普遍性の全く逆である、まだ見ぬ唯一独自の表現を追求するのがアートだからです。よって、この絵をマネたり模写(狩野派の如く)したところで、心がわかる・・・などという事はないでしょう。若冲がもし現代に生きていれば、ドット絵などというありふれた表現で満足できるはずがないからです。
所の本屋では売り切れていた『BRUTUS 8/15(599)号』を昨日入手。以下、p42より引用します。
『「日本有事」って何だ』兵頭二十八 PHP研究所 p108より引用 |
「新しいものなど、実は誰も求めてはいない」・・・耳元で今日もまた、悪魔が囁く。
あと、話は変わって昨日の補足という事で・・・↓
『東大オタク学講座』 日本核武装論
←とーとつにオマケのアップ(意味なし)
戦争と芸術(仮)
http://www.bemod.net/sensou/
タイトルとトップ画像(ダメヲタモヒカンの白昼夢?)の落差が何とも凄まじく素敵です。お題の戦争画の他にも自主アニメネタも豊富で大変おすすめ。絶対勝者・村上氏はやっぱり嫌われ、おたく界最強の武闘派論客・大塚氏をトンデモ本とかおばちゃんって・・・(ガクガクブルブル)。
なお話はそれますが、戦争画と言っても私の興味は玉砕を描いた絵(殉教画)ではなく、大量に描かれたはずの「兵器ハァハァ画」の方なのですが、いまだ存在を許されずマウンテンサイクルに封印状態なので何とかして欲しいものです(ただ、何とかなっても喜ぶのはプラモの箱絵好きのミリオタだけの様な気もしますけど)。
大塚氏への突っ込みを発見。
http://0gx.org/cat_cat10.html |
うーん、やはり最強論客を崩せる突っ込みポイントはサヨという点でしょうか。ただ、腕力の強い人は敵に回したくないのでできればもう打ち止めにしたい所・・・(コワイコワイ)。
しかし連日こんな事を書いてると「あーバカはもう黙ってろよ痛いから」とか思われていそうですが、苦情その他は私の脳内電波の周波数に合わせてくれないと聞こえませんので悪しからず。無論、「政治と宗教とプロ野球ネタを振るのは御法度」はタクシー業界だけでなくウェブも同じですので他のガノタサイトみたいに何にも言わない事こそが「本当の賢さ」ですが、まあウチの場合はタブーも敷居も口のチャックもない無節操がポリシーなので今日も行きます悪しからず。
「戦争の当事者が何も語りたがらない」・・・とは良く言われる言葉ですが、私が思うに、それは当事者だからです。当事者なのでトラウマがあり、だからこそ何も言わず、語らず、墓の中まで持って行くのです。その逆に、当事者ではない第三者ほど良く喋るのではないでしょうかね・・・観客は野次を飛ばすのが仕事です。そして「ちゃんとプレーしろ!」・・・もとい、「黙っているのはおかしい、あなたがたには国のために歴史の真実を明かす義務がある!」と突っ込みます。無論、それは全くその通りであり「臭い物にフタをしても百害あって一利なし」ですから、当事者の気持ちよりも「歴史の真実」の方が大切です。
という訳でオイラもその下衆な野次馬の一人にすぎないので「しゃべれよゴルア!」と思う次第ですが、ダンマリを決め込んでしまう心理というのも何となくわかります。というのも、私の父が
「親無しトラウマ(戦後に引き取った親戚達は親代わりと言える事をロクにしなかったらしい)」を抱えてまして、そういった過去に触れる事を頑なに拒絶していました。本人の境遇を考えれば「戦争はいけない、絶対に反対だ!」くらい主張して当然だというのに、そういう事すら何一つ言いませんでしたねえ・・・という訳で、この実例(少なすぎるよヲイ)から導かれる妄想電波は、
「世論は当事者以外に作られる(観客ほど良く喋る)」
・・・ン、って事は当事者が集まって声を上げれば、この世の中をマトモに変えられるかもしれません!そもそものステージが高いので「実際に体験してもいないでのたまうな!」の一喝で観客はタジタジです。よって例えば、日本を核武装させるならば「被爆者の核武装要求署名」が非常に有効でしょうねえ・・・(←永久に無理
おまけ電波↓
「健全なサイト」は、健全な家庭環境で育ち健全な人生を歩んだ人により作られます。ここの様な「一見普通の厨サイトでもどっか変・・・っつーかキ印?」なサイトは、一見普通でもどこか歪んだ家庭で育った人によって作られます。もっとも、この歪みは本人には気付けないのが難なのですが・・・。
幼児の成長を見ているとわかるのですが、まるで縮小コピーの様にカエルの子はカエルになっていきます。親の悪いクセも当然真似します・・・まさに「子は親の言うようには育たず、する様に育つ」です。児童虐待の連鎖の原因として、「親は自分が育てられた様にしか子を育てられない」という法則は良く言われますが、親が抱える「トラウマ」も子へとしっかり受け継がれるのではないかと私は思います。
という訳なので、それを受け継いだ子が大人になれば再び子へ連鎖する訳ですが、映像を作った場合でもトラウマは表出して視聴者へと連鎖していくと考えられます。ですので、例えば「オナニーショーの底に漂う何を起因とするのかわからない憎悪」や、「マゾ的人間嫌い鬱屈自閉オーラ」の漂う映像があれば、それはきっと「トラウマ連鎖」が大本の原因なのです、たぶん・・・。
http://blog.livedoor.jp/insighter/archives/50419625.html |
http://www.bk1.co.jp/product/2611286/review/434346 |
『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』大塚英志 P174〜175 |
この鋭い突っ込みに対する反論がなされたのかは知りませんが、検索した所ではも見当たらりませんでした。まあいかに絶対勝者の村上氏とて、相手が大塚氏とあっては下手な事は言えずにダンマリを決め込んでいる可能性は高そうですので、ここで勝手な「助け舟」を出させて頂きます。今まで氏にはブツクサ文句を言ってた気もしますが、「元いた里から嫌われる外道の境界破壊者」としてのシンパシーも多少あり、若冲の布教もされてますので・・・。
ええと結論から言うと、アメリカが日本人を大量に殺した事は正しいのです。日本人は自らの完全なる滅亡を望んでいたので、原爆は単にその手助けをしたまでです。
・・・と言ってしまうと「そんなバカな!」と日本人全員が反論するのは間違いありませんが、国民全員が「一億玉砕!」と叫んでいたのが確たる証拠であり、これはすなわち「民間人への無差別攻撃を正当化する口実」を自ら与えてしまったも同じです。当時の日本人が実際にどう思っていようが、「一億死すとも退かず」などではなく「国民全員が(兵士として)自滅」という意味の事を言っていたのですから、そこを突っ込まれれば反論はできません。現実に無意味なバンザイアタックや玉砕、そして国民は竹槍持って自殺する練習を繰り返していた以上、日本人が文字通りの総自殺を行う可能性を否定する事は困難です。いや、あれは言葉のアヤで、誰も本気では・・・と言い訳しても、それでは言葉を尊重し合理的に考える民族を言葉で説得するはできません。
しかし、だからといって原爆投下はないだろうというのも一理ありますが、これは「ちくしょう死んでやる!と叫びナイフを振り回しているシャブ中毒者を撃ち抜いた様なものでアリ、シャブ中やキチガイやカルト信者の人権は一般人よりも低いですから、裁判をすれば「正当防衛にしては過剰だが殺した方が世のためになった」と考える陪審員は多いでしょう。つまり、自殺を叫ぶという事は狂っているか洗脳状態にあるのは間違いないため、それを阻止するために非常手段をとって多少の傷を与える事は止むを得ず、すなわち原爆の投下は正しかったと言えます、以上説明おわり。
・・・と、私にしては珍しく論理的な文章展開をしてしまいましたが、実はパクリました、ごめんなさい。この見事な理屈を提唱された方は、先月紹介した中山治氏でして、カミカゼや全く意味なバンサイアタックを生んだ背景にある「自殺を美化する日本文化の異常性(独自性)」に関しての突っ込んだ分析をなされていますので、興味を持たれた方は氏の各著書を御覧下さい。まあ安保は破棄し憲法も(略)と過激な事も言ってますが、兵頭二十八氏の様に核武装を主張してまではいないので平和絶対主義者の方でも安心です。
数年ぶりに見た昨日の「ビートたけしの誰でも演歌(ン、ちと違うか?)」で「ダメ人間」と紹介された伊藤若冲、最近耳にする事が妙に多いなと思ったら展示会開催中でしたか。そういえば前にも若干触れましたけど、ニートだったとは・・・今後のダメ人間界(何だソレは)での大ブレイクは間違いなさそうです。なお、広辞苑には若沖とも書かれてましたが若冲が優勢の様です(一発変換もできるし)。
http://www.jakuchu.jp/ ←公式サイト
http://blog.drecom.jp/hasibirokou/archive/84 |
うーむ、展示方法もまさに「独自にして異端」・・・流石、若冲を見出した人の考える事は一味違います。
あ、単眼鏡を持っていくと良いのですね・・・双眼鏡なら持ってるので真似してみます、行けたら。
http://blog.so-net.ne.jp/pu-yama-gorogoro/2006-07-24 |
せ、千年って・・・実に尋常ではない言葉です。こんな凄い台詞は、自己評価と世間評価のギャップに苦悩する「隠れた超天才」か、思い上がった身の程知らずの救いようのないダメ人間(=電波)だけにしか吐けません。まあ後者は皆様良く御存知の芸風ですがそれはさておき、この台詞の正反対を言うならば「自分を見出してくれた恩師、及び作品を愛してくれた皆に感謝する」という所でしょうかねえ・・・。今までこういった言葉だけしか目にしてきませんでしたが(ゴッホですら弟という良き理解者がいましたし)、いやあ全く人生長生きはしてみるものです。
画像でググったら3つめヒット。
http://peptide.egloos.com/m2006-01-01#2153625
使用画像は、tony先生のドジンシのスキャン画像を素材にして加工した物と思われます。ただ、韓国人が日本語書体だけを使うのも変ですし、かと言って日本人ならば正確なジャケットサイズにキッチリ作る気もします(結局は謎)。まあいずれにせよ、現在これが「生きとしいけるオタ全て萌え尽くす」勝ち組である事だけは間違いありません。検索できぬ物は「ネットには事実上存在しない」という原則上、勝敗は明らか・・・あひゃひゃのひゃ。
これが未来世界だ!! はめつ編
浦島ネタとか言われそうですが、心が安らぐ実に良いイラストですね・・・。しかしまあ横綱級の電波ゆんゆんとゆいますか面白いネタを考える人の日記が面白くないはずがないので、ゾルゲ先生の日記を日々つらつら読書。なにっ、萌えはやはり「衰退期の仇花」だとでもゆうのか・・・はめつマンセー!
自分には、ここを公開しているという意識がさほどありません。三年で一万ヒットという事は、お隣の12万ヒットに届くまでにはあと36年間かかります。では、ならば年に15万ほどヒットがあればいいのかと言えばさにあらずで、例えば超有名な方のファンサイトであれば、名前で検索して上位に入れなければ「本人か見ているかも?」という期待さえ抱けません。しかも、ネットはあまりしないと公言している多忙な老人ならヤフーで3位以内ですかね・・・よって当人の目に触れる事などは絶望的です。ただ逆に言うならば、超マイナーな方のページを作ればそれこそあっという間に・・・・苦情が来たりして(笑)
アールブリュットなサイトなる物は概念上、本人の死後でなければ存在できない訳ですが、通常サイトでこの考え方(評価される事から逃げる)に近い事をしている人もいるのではないかと思います。ただし、当然ながら深く隠れているのでそうおいそれとは見つからないはずですが、きっと日々ゆんゆん電波を出しつつ、私が「Gallery」で「言及は20年間禁止」という意味の事をほざいている様な、尋常ではない台詞を言っているものと想像します。
以前にも一度言いましたが当サイトは内容の全てが「遺言」であり、死後を念頭において・・・もとい、前提としてサイトを作っています。つまり著作財産権の放棄(逆に著作権を主張してる所はしょっちゅう見かけますが、ファンアートにそんな物ありませんにょ)、再利用を前提とたスキャン画像、その他諸々の正気の沙汰とは思えない、誰も真似ができない真似したくもない特殊芸風は全てがこれによるものなのです、たぶん。
なお、以下は私信(寝言)です。
●「kita082自慰サイト保存会代表の方への遺言」
全内容の「デザインの変更のみを可」としている理由を言い忘れましたが、これは未来にはディスプレイが高精細化すると思われるためです(いや今も既にそうなってるので「文字サイズ小さいよ」とか思われていそうですが)。もっとも20年後は「文字サイズを調節できる事を知らないユーザーの絶滅」が考えられますが、ブラウズするたびにいちいち修正を要求するのは美しくありません。あ、スタイルシートの余計な部分も削るスキルをお持ちでしたら削って下さい。
なお、言い忘れたのですが「トップの入り口ページで機械翻訳サイトに誘導するだけの似非バイリガル化」などはしないで下さい。私が日本人より海外のお客を優先する事は再三言っている通りですが、機械翻訳はあくまで「多大な誤訳による相応のリスクを覚悟の上で完全な自己責任において自主的に利用すべき物」だと考えます。
●「海外の方への遺言」
自慰サイト保存会は日本人の方を優先したいのですが、できる気配が無い場合は海外の方でも無論構いません。ただし、「日本語版が存在せず翻訳版のみが存在」という状態は好ましくありません。当サイトは意図的に特殊ジャーゴン、変な言い回し、意図的な誤字を多用しており完全な翻訳は困難ですので、第三者が原語版を確認できる状態を希望します。