雑記 '05-6-7


雑記


2005/7/31
●結局「アート」はわからねど・・・


 
 ・・・「オタク」ならば遺伝子レベルでわかる僕たちネイティブ・オタッキアン、文明人社会での虚名は望まず欲せず。
 先月古書店で購入したアートプラ2号は海洋堂の同人誌みたいな物ですが、ボリュームは充実しており裏表紙にはバンダイ・リアルホビーの広告が。ロゴはHJの広告を調べた所、87年10月号まで使われていました。ちなみにクラッシュホーンの作例はこちらで発見↓
http://www.ne.jp/asahi/paopao/wonderland/genkeisi/godzsira.html
 あ、そういえばZZのラフの一つにクラッシュホーンってありましたっけ・・・出渕氏らしいというか。



2005/7/28
●額縁に入れて美術館に飾ればアートたりえるのか

 ガンダム展の図録より抜粋引用します。

 ガンダムと戦争 ツバキノボル
『村上隆の企画した「リトルボーイ展」。(中略) 身動きも出来ないオープニング。動員記録を更新し続ける展覧界。だがガンダムの扱いには精度を欠いていた。二階に置かれた意味無く大きなザクの頭部。ただ大きいだけの頭部。アートの脆弱さが噴出するゆるい展示空間。異様に分岐して増殖するガンダムの全体像を見失い、分岐した正統派が保持する戦争の精度が無い。未整理で異質な要素が散漫な空間の中でぶよぶよと漂う。』(p112-113)

↓ リトルボーイ展
http://kkm.kaikaikiki.co.jp/special/littleboy/index.php

 ・・・いやあ、もう言う言う・・・。これが「チネル洗礼を受けた濃いガノタ(ツバキ氏はセンチネルがバイブル)」のみが感じる特別な違和感なのか、村上氏にはガノタ分がすっぽり抜けているので(あさの氏というブレーンはいますけど)、アートの屁理屈コンテキストは用意できてもガンダムの本質には触れられなかった事による物なのかが気になります。少なくとも、ガンプラ自体やそれを単に拡大した物をアートと言ってしまうのは、オタク感覚はあってもスーパーフラット感覚には欠けるかと。
 よって、もしザク頭が「パカッと割れて巨大なプラモデルと判明」だとか、「後ろ側は棚になっていてMS少女フィギュアがワラワラ・・・(つまりオタクの部屋の縮図であり、ガンプラと美少女フィギュアは表裏一体のオタクの本質なのだ!)」といった批評性(バカさ)を有していたならば、突っ込みは回避できたかもしれないと思うのですが。あ、そういえばガンダムの掌型チェアという商品がありましたが、あれって結構アートですねえ・・・プロダクトデサインであっても、ザク頭よりは美術館に似合っていそうですし。

 まあ結局の所、ガンダムで最も素晴らしいデザインであるザクの頭(オヤジオタなら異論は無いかと)でさえも美術館での鑑賞に耐え得ないという事は、つまりガンダムは成田デザインの様な真のアートではないと言う事に・・・。ただし、ガノタとしてその結論でいいのかよ?という部分はあるため、ヘタレの私の手には負えないと知りつつも、ガンダム信徒の一人として今日もまた模索し続ける他になさそうです。ガノタにとってガンダムとは、フィルムそれ自体で完成している芸術ではなく、遊びや会話のネタであり、また信仰の対象でもあるのですから。



2005/7/25
●ガンダム展追記・過剰な記号と遊びの増幅と情報の末端肥大と

まあ、これだけ見れば充分かも↓
http://www.itmedia.co.jp/games/articles/0507/08/news050.html
http://www.itmedia.co.jp/games/articles/0507/14/news104.html
うっかり原点の存在を忘れていました↓
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1087/gundam.html

○コアファイター
  銀ハゲチョロ塗装は「ワカメ影」に似ている・・・。80年代初期ガンプラ文脈としての過剰な記号と考えれば、それもアートとしてとらえる事は可能でしょう(ただ、それだと「ライン」も欲しい所ですが)。また、昔10mのVガンダムを見て「あー汚したい、ここにガンスプレーがあったらタダでも吹 くのに」と思った身としては、汚しをガンガン入れた気持ちは充分わかりますし。ええとつまり、これらは所詮些細な突っ込みで、つまり他の文句を言えない程度に良く出来ていたという事ですハイ(しかし毎度突っ込むっ暇があったら少しは手を動かせよ俺)。

○アート
 まあ所詮はアートの生き残り戦略なのでしょうが(ガンダムの生き残りでもあるかも?)、成田怪獣にアートを見出す如くに「ガンダムにアートを見出す」のではなく、「ガンダムでアートをする」というスタンスは「ネタ」と一体どう違うのかという疑問がオタク世界の原住民側としてはある訳で。出展物の日本画のガンダムは、昨夏の糞ボルト/翔丸氏の同人誌「ガンダリウム!」のターンAの絵(村上ヒサシ氏)を思い出しますし、発想的には糞ボルトラクガキ道場の「アガーイ妖怪水墨掛け軸」の様なネタ絵との違いは特に見出せません。まあ「住む世界自体の違い」と言ってしまえば元も子も無いのですが・・・・ン、ところで「元も子も」って何だろ?教えてくれ元子!

○ザクレロ
 えーと、ここを以前から御覧の皆様が最も興味あるであろう件ですが、別段どうという情報は書 かれていません。問題のMA-04 ザクレロ改良型(MAN-00X バチザード)はも最初のNT用機体のペーパープランといった扱いで、「実際に製作・実験が行われた説があるがその真偽は〜」と、ありがちなぼかし方をしています。まあせいぜい「ザクレロは複座機(操縦を兵士、射撃と緊急回避のみをNTに任せるのが有効と考えられたため複座機であるザクレロが改造用に選択された)」、「複眼はモノアイよりコストが高い」という新史実(w)が判明した程度です。ただ、フラナガン機関の研究員名やジオンの各学会名に萌えられる変態さんには結構おいしい資料かも・・・ジュルル(ヨダレをすする音)。
 ただ多少心残りなのが、これには英文バージョンも存在するのですが図録には収録されていないため、スペリングが今になって気になります。「ジオニクス社下請けの巨人機製作所(巨電)」っていきなり言われても・・・やはりデジカメでこっそりメモをとっておくべきでした、迂闊!(♪ダーメダメダメダメ人間〜)



2005/7/23
●大阪のカンダム展を見物

 秘密裏に回収されたコアファイターが私を呼ぶ声がするので、ガンダム展を見に大阪へ。
 
 予約席は当然窓側ですが(でなければ乗る意味がない)、飛行機の神が微笑んだのか運良くベストポジション。着陸体勢に入り、突き出ているフラップレールがフラップと連動してグイィーンと下がる瞬間がハァハァ物です(デジカメは使用不可)。

 大阪というとせわしないイメージですが、駅のホームや道路を歩く人の速度は、意外にも東京よりもいくぶんゆっくりしています(タクシーはせっかち運転ですが)。駅を降りて少し歩き、ホール手前のレストラン街で軽食をとってからザクに出迎えられて入場、真っ先に目に入るコアファイターにデジカメのシャッターを・・・

うわなにをするはなせやめry

・・・会場内は撮影不可で、警備員とおねーさんの4つの目が光ります。よってパン○ラ盗撮のプロでもない限り撮影は無理・・・。ただ、会場を出る時に再入場券をもらう事ができるのは助かりました。

 ひとまず展示を見終えてフラリとベランダに出たら、堀江謙一さんのマーメイド号とご対面。結構ちいさい・・・。
 この後は、すぐ隣に水族館があったので、入館料は高めの2000円でしたが折角なのでお魚見物。ここの見所は一点豪華主義的巨大水槽のジンベイザメとマンタなので、エイのカッコイイ曲線美をひたすら熱写してコアファイターを撮れなかったウサ晴らし。しかし、魚は動きが速いため普通のデジカメではシャッターのタイムラグがあるためタイミングが上手くとれず、最後の手段動画モード発動でメモリーカードがみるみる減る減る・・・。

 水族館を出た後は、食事をとってから再度コアファイターをじっくり鑑賞(いったん試作モデルを見た後だと突っ込みがやりやすい)。会場を出た時はもう6時を過ぎて体力も尽きており、「次こそはガンダムズに・・・」とか思いつつ、帰りの新幹線の中で「海遊館限定コメッコ」をポリポリ食べました、今日はとても楽しい一日だったです、日記おわり。

 さて、肝心の目的たるオブジェなのですが、正直う〜〜〜〜ん・・・(びみょー) な所です。ガンプラ作例(ガノタ文脈)としてはそこそこ及第点なのですが、それ以上でも以下でもないというか・・・アートとして展示するからには、もう一つ執念とか怨念とかバカとか後つけ屁理屈(アートなコンテキスト)とか何かが足りない様な。ただ、足りない物はそれを付け足せば補える訳でもないという・・・。

 一応ガンプラフォルム的には、機体後部が小さく思えるもののこれ自体でのバランスはとれており、細かいディテールも充分なのですが、主翼と尾翼はこう変形して、着陸脚がここから出るんだなあ・・・といった点を感じさせない点が多少気になりました(コックピットはわりと良くできていましたが、スコープがオモチャっぽいのが減点)。塗装はガンプラな的リアリティの記号が執拗に投入され、ウェザリング、コーションシールてんこもりなのですが、やりすぎの銀のハゲチョロ塗装と、しつこいエアブラシと綺麗な所の落差が気になります(試作の小型モデルにはこれらの問題はナシ)。
 以上はガノタ的些細な突込みですが(あぁ減点法突っ込みは楽だなあ)、まあ一般層的にはさして問題ないと思いますので、大阪なんて片道千円でいけるやん、という方には三千円の出費で損はありません。また、お金に不自由していない方も同様ですが(いや、貴族の方はこんな負けオーラの漂うサイトには以下略)、もし行かれる際には「サイコミュ装置実演を毎日はやってない」点に御注意ください(私は見れませんでした・・・あと限定グッズもまだ現時点では売られてない物あり)。

 また既に御存知と思いますが、コアファイター以外は全てオサレなアートですので、ガノタ層の大半を占める「G2Oにムカッ腹を立てまくった非モテのダメガノタ」にはさぞかし居心地が悪いでしょうねえ・・・。そのアート的な見所としては(あ、作家の中では会田誠の作品集みたいなのを一冊持ってる程度の私に語る資格が無いのは充分承知していますが、ここで世迷いごとをつぶやく程度は構わないかと)、やはり全てのガノタが確実に引いてしまう恐怖の大女王、悪夢の特殊強化兵と化したセイラさんをおいて他にはありません。

 しかしまあ、人の心の中にある大切な物をイカの足で踏みつけるとでも言いますか、これに怒るか、頭を抱えて見なかった事にするか、トラウマになるかしかないというのを承知で冷徹にこれを世に問う神経アート魂は、ガノタ嫌がらせのための「芸風」として大変参考にしたい所です・・・。あ、なお間違ってハァハァされた方がもしいましたら、おそらく脳神経に深刻な異常があると思われるので、妄想電波鬼畜漫画の神・駕籠真太郎先生の諸作品を読まれて、一刻も早く人間性を取り戻される事をおすすめします(ン?)

 キャラのグロ化は同人誌等では見るものの(綾波とか)、立体では「版権の縛り」があり出来なかった方向性で、アートの建前(反則技)で版権チェックの強固な壁及び1/1サイズを突破した記念碑として、オタク界黒歴史に深く刻まれる事は良くも悪くも確実でしょう。
 そしてアートとしては、始めて(C)が付いたフィギュアと言えます。まあ細かいものなら以前からいくつかあったとは思いますが、自称及び他称でのアート、つまり日本美術界が認知した物となると思い当たりません(鉄ボトムズにはこれがない・・・)。成田氏のガラモン像や会田誠ギドラに(C)は当然付きませんから、これをやった(やってしまった)という点において、この作品・・・というか今回のガンダム展自体が特異な位置を占めていると思います。そして、ガノタ文脈の排除によりオタクとアートの間の溝はなおも浮き彫りとなり、「オモチャを共有」したいサブカルパンピー移民者と先住ガノタ民との確執は一層深みを増していく訳で、ガノタの気分はもう絶滅間近のインディアン・・・。

 ですが、「ガノタを無視するな、愛がないならオリジナルで勝負しろ」などと異人種に文句を言っても無意味であり、「前に進むしかない、例え間違っていても!」としか私には言えません。全員が後ろ(過去の歴史)だけを向いたダメガノタの夢と希望は過去にしかなく、従って「来たる未来(木樽未来)」に、自らの遺伝子を残す事はないのですから・・・無論、私も含めて。

 なお、一つ気がかりなのですが、夏休み前の平日とはいえ来場者数は少なくガラーンとしていたので、肝心のコアファイターの行く末が心配です。しかしアートな人達は東京が大好きですし、何かのガンダムイベントで再利用されそうな可能性も何となく・・・。という訳で、東京には来そうにも無いなと思われた方や西日本に在住の方は、大阪観光を御一考されるのも良いかもしれません。

 左下の図録は2800円(サブカルガノタにおすすめ)、右下コアファイターポストカードセット1580円(試作模型を撮影した物)、その右上のポストカードは一枚160円、ポスター1050円、限定プラモ(HGクリアー)1260円、記念プレート270円。そして何と、オサレな図録には予想外にダメガノタ向きのページが・・・

 まるでメカ同人誌キタ〜〜〜! 設定信者歴史研究家の物欲モード・スイッチオン!



2005/7/19
●あ、

 昨日使った「DQN」っていう文字の意味は、「ドラゴンクエストニンテンドー」の略ですのでよしなに(w


●サンセベリア

 という観葉植物が夜間に酸素を出すという事を先日知りました。あと他にマイナスイオンも出すそうですが、マイナスイオンは「と学会」が突っ込みを入れてたので…とそれはさておき、部屋中を観葉植物だらけにしている人が、夜に酸欠状態になって病院に担ぎ込まれる事があるそうなのですが、密閉された空間という点ではスペースコロニーも全く同じですから、これはつまり・・・。
 よってコロニー酸素濃度の一定化と空気清浄のため、サンセベリアが大量に樹林された、と脳内妄想してはみるものの、私の脳内コロニーでは夜間気圧低下対策として中心柱から大量の水蒸気を噴出するため湿度が高く、水を嫌うサンセベリアの生育には適さないという問題が。あと、画面映えしないという更に大きな問題もありますが、その辺は遺伝子改良で何とかされたという事で、まあどうかここは一つ…。
 ン、まてよ、もしかしてサボテンを遺伝子改良して夜間に酸素を出させていたとか・・・アーガマの個室なんて暗い場合の方が絶対多いだろうし、そうかもそうだそうにちがいない・・・。

●辺境のルナツー

 シャアのムサイは、「ゲリラ掃討作戦の帰りに木馬を発見」…という事は、ジオン軍はゲリラに結構手を焼いていたという事になります。しかし、流石に「宇宙ゲリラ」もないでしょうからやはりコロニー内…という事はつまり、ガス殺すればゲリラに楽勝です(そういえばレコアが若い頃にゲリラでしたか…08小隊も加味すると、ゲリラの多くいた場所はサイド2の可能性高し)。また、その帰りにホワイトベースを見つけたという事は、わざわざ地球まで行ってスイングバイをする予定だったと考えられはするものの、熱核エンジンを吹かして一直線にソロモンに帰る方が合理的の様な…(それを言っちゃあオシマイよ)。
 また、「辺境のサイド7」というものの、当時の連邦軍宇宙戦力はルナツーにしかない設定ですから、すなわちルナツーは主戦場のはずであり、いかにサイド7の軌道が南に外れているからと言っても、辺境という表現はピンとこない物があります。また、ルナツー基地の戦力はテレビ版を見る限りではあまりにもしょぼく(劇場版ではカットされましたが)、あれだけの艦やジムを作れた(&ルウム戦役の残存艦を隠していた)と想像するのはかなり困難です。

 ところで、私の妄想内のみに実在するガンパラ宇宙では、ヘリウム3が「困った事に」月面でとれます…という事はすなわち、資源採掘の大好きなジオン軍としては絶対に月面を手中に収める必要があります。しかし、月面都市が独立国で大きな防衛戦力を有している…という設定でない以上、連邦軍の宇宙戦力の大半が月面上に存在しており、資源の宝庫を守っていないと辻褄が合いません。よってガンパラ年表は必然的に、公式設定とは異なる以下の流れになります。

 『開戦時にジオンに月面基地を叩かれる→数割の艦はかろうじて宇宙に逃げて、他は頑強な基地の地下に篭る→11ヶ月かけて艦とジムを生産→宇宙に持ち上げて要塞叩き』

 ただ、そうすると月面からわざわざ持ち上げるくらいなら、それ以前より月でドンパチがなされていないとバランスが良くありません。しかし、月面が戦場になっているのはサイバーコミックスの一部マンガのみという問題があり(夢野れい「ムーンレイン」参照)、ガノタのコンセンサスを得るのは困難ですが、「月面でのMSバトル」というのはガンダムビジネス的にはかなりおいしい設定だと思いますので、続編の設定がどうだろうがガンパラでこれを導入しない手はありません。
 よってまあ、大戦中に月の地下深くで息を潜めていた連邦軍が、サイド2のゲリラへの支援も含めて月からこっそり戦力を出していたと考えると、「サイド7は辺境」のセリフも、ルナツーがしょぼくてワッケインの階級が低かった疑問も同時に解消する訳です、めでたしめでたし・・・(なお、ルナツーは設定上やたらに巨大なのですが、ガンパラ内では設定無視につきノープロブレム)。


●ああ、ナルホド・・・

 久しぶりに正統サイトの正統日記(ガダムネタが少ないのでたまにしか見ない)を流し見していた所、ウチの掲示板での「これってもしかして…」のタイトルが妙だった理由が判明し、喉のひっかかりが取れた思いです。
http://diary5.cgiboy.com/3/sekkan/index.cgi?y=2005&m=6

 まあとりあえず、コピペを見た瞬間「名文だ!」と感じた事で、自分のルサンチマンがまだ健在である事が確認できた訳ですが、肝心の「これってもしかしてそーなのかどーなのか」は無論永久に不明でしかありません。よって絶対確実に言えるのは、ガンダムだけしか知らない人(翻訳すると゛DQN″)の中に私が100%該当する、という事だけにしかすぎないもののそれだけでも充分であり、電波な人が東大の門に向かってブツブツ文句を垂れているという図式は、これでもはや疑いようの無い物となったと言って良いでしょう。と、ゆーことで、

 kita082、絶対敗者確定!!

 …というかそもそも、ここで確定するもなにも所詮虫ケラは虫ケラでしかありませんから、すなわちウサギとアリの勝負の様に既に負けが確定している所からスタートしているので、決して勝ちようが無い訳です。ただ、虫ケラが絶対勝者である人類とタメをはろうとする事自体がそもそもナンセンスであるものの、虫であっても自分を人間だと思い込んでいるのが災いしてこの様にルサンチマンに至る訳であるものの、己の姿を正しく認識するには自分の頭をかち割ってそこに脳ではなくゴキブリが数匹いるだけである事を確認する手間がかかるために何とも難しい所であり・・・
 ・・・とそれはさておき、絶対敗者(絶対悪)でありつつも「高尚な学術書は今はもはや売れていないが、俺のトンデモ本はベストセラーだぜ、勝った!」という下衆なレベルでの勝敗ならば逆転のチャンスは残されていますので、その夢だけがこのサイトの運営の、いや、それが私の人生の唯一の支えであるのだと、俺は!

 (・・・しかし、随分とセコイ夢にセコイ人生だナア・・・)

 ・・・とそれはさておき、話がそれまくりましたが肝心の年表問題に対しては、ガンパラでは発掘史料(ガンダム本)の扱いのローカルルールが正統学会と異なるため、すなわち単なる「遊び方の差異」という事になります。ちなみに、ガンダムセンチュリーは聖暦1981年(数億年後の未来)のネオ日本(変更予定あり)の出版物と想定(まだ徹底されていませんが)、そしてこのネオ日本では複数の暦は使われていないという脳内設定です。よって日付の矛盾に対しては「0078年開戦説」として、一旦そのまま受け取り、暦が異なるのだと決定付ける事はしません(無論その可能性もありえますが、あくまで可能性の一つとしての扱い)。
 これを現実の歴史で例えるなら、聖書における「ノアの寿命950歳」という問題に対しては、「当時は一年の長さが違っていた」というのがあくまで「説の一つ」ならば特に文句を挟む筋合いではありませんが、これが全面肯定されてしまうと他の説(妄想)を打ち出す事が一切封じられてしまいます。つまり「単に誤字だった、古代人の神聖化のため史実を改ざんした、あるいは当時は年齢を10倍で数えるしきたりだった、もしくは複数の人間が代々名前を受け継いでいた…」といった妄想(別解釈)がいくらでもできるにもかかわらす、それらを否定するのは考察遊びの幅を狭める事に繋がるのではないか?という事を要は言いたかった訳なのですが、まあ他所の村の掟に口を挟むのも我ながら結構大人気ないですねえ・・・とか言い放ってはみたものの、現実の歴史では暦が違う説の方がなかなかに優勢だったりする様です。
http://www.mars.dti.ne.jp/~hirona/kojiki.html

ウゥッ、「一年二倍説」とは目からウロコだよ、ララァ・・・

 うーん、やっぱりトンデモ肯定にしようかなあ・・・(ボソッ



2005/7/18
●ひねもしながらググってみた

 京都(現在コラーニ展開催中)の生んだ偉人、グンペー氏を検索した結果、
「横井軍平」・・・5050件
「Gunpei Yokoi 」・・・9150件(うち日本語ページ45件)

 うーん・・・。日本のゲームクリエーターの名前が、日本人には知られていないものの海外では有名・・・というのは結構良く聞く話です。まあ古来よりこの国では英雄はあまり好まれませんから、元々開発者がでしゃばるのははばかられるのでしょうけど、日本人として多少恥ずかしい事ではある訳で。
 あ、氏に関してはこちらをご参照下さい。
http://www.geocities.co.jp/Playtown/4007/phy20c.html
 日本で最も保守的な土地として知られる京都(静岡説等もあり)の名無しの職人美学に基づき、「開発者が名乗り出てもしかたない、楽しく遊んでくれているだけで十分」という滅私奉公ぶりが泣かせます。まあ、氏の場合特に組長上司に恵まれた点が幸運だったのでしょうが、それでも晩年は考えがすれ違い・・・。
 なお、バーチャルボーイの失敗はゲームがコミュニケーションツールとなっていた事を氏が見抜けなかったためだと各所で分析されていましたすが、アニメがコミュニケーションツールだとするなら、内容は良いが誰も見てない作品(例・キンゲ)よりも、「やおい同人誌や突っ込みのネタ」になる物がより優秀って事に・・・ツールとして大事なのは「より流行っている事」だけですから、どおりで(以下略)。


●もしかしたら天才かもしれない症候群

http://www.h5.dion.ne.jp/~cube/0_spike/spike_contents/rwf/rwf_home.htm#03
 アイタ、アイタタタタタ・・・・
 自負心はあっても自信がないのはまさにそれだ!・・・マズイ、私もいつまでも偉そうに愚痴垂れてるだけではイカンので、真の絶対敗者となるべく前向きに検討してみます。京都の生んだ絶対敗者オタクたる、ぴかちう逮捕同人作家を超えるためにも・・・。



2005/7/16
●わっ、壁紙が無い!

 別のマシンでこのサイトを表示して発覚・・・壁紙を自分のHDD内にリンクしていては表示されるはずがありませんが、このチェックはパソコンが一つしかない場合は難しいんですよねえ・・・。ちなみにネットサーフィン中に良く「なんでここだけページが見れないんだ?」というのに出くわすのは、十中八九このパターンかと思いますので、知り合いのサイトの非表示ページを見つけたら教えてあげると喜ばれるはずです。ただ、世の中には意図的に切れているページを作るという不思議な事をしている人が結構な割合で存在する様なので(要は「工事中」とゆう奴)、アカの他人に突っ込むのは流石に気が引けます。



2005/7/13
●原寸リニアシートは既出でしたか

http://homepage2.nifty.com/kajipon/art/gundam2005.html
 
しかし、大阪の人はコアファイターも見れていいなあ…。でもこっちは2時間半で松戸にいけるんだしガマンガマン。


●人類史上の偉業か、変なアートの一つか

 3D Display Cube 立体に見えるディスプレイではなく立体のディスプレイで、ありそうでなかった盲点というか、まさにやったもんがち。発想自体は小学生でも思いつきそうですし、百年前にやってた人がいても全くおかしくないものの、もし初めてならば人類史に名前が残る(かも)。しかし、こういった発想だけが勝負のジャンルなら、スタートラインは誰もが同じなので、人生のボロ負けを取して一発逆転できるかも。ただし、これは「自分に他人よりアィディアがあるから」という訳ではなく、もはや私には「アイディア勝負で一発逆転」しか残された道がないのだ。よって固定観念、約束事、タブー、権威、勝ち組…といった日本人誰しもが大好きな物は私にとって最大の敵であり、正しいか正しくないかには関わらず、それらを全否定しなければならず、これすなわち外道、外道万歳、外道乙女隊は面白いねえ。しかし、ここの所こんな読者不在文章ばっかりで多少申し訳ないものの、本来この雑記の主目的はプロフィールにもある通り「ページ消滅リミットの延長」であり、及び検索エンジン(部分的にしか来てくれないけど)等からの新来訪者を呼び込むための物なので、常連客軽視の姿勢については悪しからず・・・。


●ああ鬱だ・・・鬱賀北男、鬱田奈亜、鬱田士郎(以下略

 まあ、私の事だからどうせくだらない原因で、「DVD焼きが失敗しまくりコースター増産」とかそんな程度の些細な事な訳で。しかし国産RWだろうが容赦無く成功率8割では、追記していくには低すぎ…やはり外付け大容量HDDを買うべきか。大体、そもそも終了すらできないパソコンというのは曲者でアプリがちゃんと入らないことすら多く、このまま使い続けても先は見えており、再インストール時期を遅らせれば遅らせるほどに後が大変になるだけという悪循環。どうせ再イントールするとわかっているのだから環境構築のための意欲がどうにも沸かず。
 またそもそも私の脳回路自体も似たようなもので、先が見えている以上リセットして幼稚園の砂場からやり直すべき所ではあるものの、困ったことに人生にリセットボタンは(略)。まさに「死ぬ事が怖くて生きる事ができない♪」と高畑アニメで言っていたがそんな感じ・・・しかしまあ、別にネットなど全く無くても生きていけるので今度も気長にいけばいいか、とかやっているうちにたぶん人生終わってしまうのだろう・・・
 ・・・とかのたまってはいるものの、そもそもウェブは上の様な個人の愚痴のはき溜め場ではない上、前回(10日)の戯言なども、自分の口でのたまった所で意味を持たない。まあせいぜい、世をはかなんで旅立つ前の最期のセリフとしてならアリだろうが、毎度これが芸風というのもいかがなものか。ウンコ・・・もとい、遺言・・・もとい、主張の肝心の部分が伝わらないなら自分の伝え方の悪さに原因があるのだし、むしろ「そこに至る過程」の方が重要なのだとしたら、膨大なボツ妄想やラクガキを公表していない以上、伝わろうはずがない。
 ネットが出現する以前は、勝者の言葉しか世に出る事が許されなかった。だが、勝った試合だけではなく、負け試合にも同様に後世に語り継がれる物があるのだとしたら、こんな負けガノタの負けサイトであっても、カケラほどではあるが反面教祖(←新語)としての存在意義は少しはあるのだと思う。
 なお、日本の敗戦が真の絶対的敗北ではなかったのと同様、負けた事はが必ずしも絶対的敗北を意味しない。ちなみに私が昔、パソ通のバトルでボロボロになった末に学んだ事は「論争で負けても、負けるが勝ち。ただし自滅する時にも観客を意識した芸(エンターテインメント)たれ」だった。 例え議論で勝利しても、声無き観衆達を敵に回せば、それは負けと同じである(そういう意味では、トンデモ妄想主義は完敗したとは言えず、まだ私も真の絶対敗者とは言い切れない)。
 闇があるから光が輝ける様に、虫ケラがいるから人類が輝き、敗れた者がいるからこそ勝者が輝けるのだ。全ての闇に、全ての虫ケラに、そして全ての敗者に乾杯!


 (2012-5-28追記) 都合により脳内記憶より抹消します、忘れてください。



2005/7/10
●誰も考え付かないこ〜とを♪

 可動解説を追加、腕の可動を若干修正(しかし、描いてる途中で5回も再起動・・・)。
 ええと、ガンパラ…というか私の全オタク活動の中で、「気に入っている物を一つ選べ」ともし言われたら、迷わずこれを選びます。詳しく言うと「P2の構造を移植した手首構造(及びサーベルの握り部まで)」です。この他はまあ、キタキタミノフスキー理論だろうがリボー年表(カレンダーと体内時計時間の一致はただの偶然、運が良かっただけ)だろうが、全部チョコエッグのチョコの様な物にしかすぎません。
 ちなみに二番目は「シールドステルス」で、それが何なのかは名称をあげたのみでここで公表してはいませんが、名称に全てがあります。その理屈は五歳児でも理解でき、かつ従来の宇宙兵器デザインの全てを一変させる概念なのですが、世の中みんなが五歳児の頃に思いついて即捨ててるだけだったらどうしようか、という根本的問題が若干気になる所です…。

 しかし、何にせよ私からチンパンジー以下の脳ミソのバカ発想による「誰でも思いつきそうなくだらないアイディア」を取ったら何も残らない訳でして、おまけに一文のトクにもならない宿命(ビジネス化不能)なのは、先日作った親指シフトアダプターを見ての通りです。おまけにサイト作りのセンスもこれですから、うっかり迷い込んできた方は「あーパソコン覚えたての中学生ガノタのサイトだな」と瞬時にバックボタンを押していると見て間違いないでしょうし・・・
 まあそれはさておき、実は若い頃からこの調子でして、水性製図ペンの替え芯5本を連結してカリグラフとか、足でリターンキーを押す装置とか(ありがち)、あとモニター画像を三次元で見る事ができる方法を発見したものの(青が手前に出て赤が引っ込む)、アスキーが97年頃に新発明の特殊3Dメガネ(こちらは赤が手前に出て、しかも印刷物も立体化できる高性能な物)を雑誌のオマケに付けて無意味化したり・・・。
 あ、そういえば昔「玄関用郵便受け(の落下防止機構)」という物を作った時は、特許庁で先願を調査後に発明学会とかいう所に持っていったりして「こんな単純な物なのに、まだ世の中、アイディアが出尽くしている訳でもないんだなあ・・・」と思ったものですが、日々の雑事にかまけて放置後、すっかり忘れかけた頃に「発明将軍」という番組をボケーと見ていたら同じ理屈の物が出てきて高い賞金をかっさらい「しまった!」と後の祭り・・・。
 ええとまあ、とにかく要は私はお金もうけとは縁がないので、お金は入らないが出ていく事も(あまり)ないという点で、インターネットと自分は結構相性が良いのかもしれませんね・・・

 ・・・とか何とかのたまってはいるものの、本音は「勝ち組ブログでアファリエイトでガッポガポ、アマゾンさん愛してるよ〜って叫ばせてっ、お願いっ!」以外にあろうはずがなく、されども無論「夢、それは夢、ゆ〜め〜」・・・と毎度の調子はさていて、そもそも「本屋や模型店くらい行けよ、買うのが恥ずかしい物でもあるまいし」というのが・・・ハッ、ならばエロ物ならば通販向きだ! そういえば4月の雑記はほとんど下半身ネタなので、いっその事ここをエロサイトにでも・・・(もちろん冗談)。



2005/7/9
●ガノタの夢がまた一つ・・・

某所からパクリンク
http://www.itmedia.co.jp/games/articles/0507/05/news035.html
 聖地松戸でガンダムコックピットだそうで、ようやっとか…との感もありますが、全ガノタの夢が実現するのは大変喜ばしい事です(夢でない人もいるかもしれませんが、少なくともザクマシンガンでBB弾を撃ちたい人よりは断然多いでしょう)。ああ、天井のレバー等は動かしオッケーかな、サイドのパネルには画像映るかな、ヘルメットとノーマルスーツも別料金でもいいから…と期待せずにおけないのがガノタの性。ただ、30秒しか座れなかったりデキの悪いハリボテだったりしたら、無論座った後で(中略)ですが、あそこに関してはむしろマニアックすぎて、現地の親子連れ客の方を向いていないのが逆に心配・・・。


●観察日記

「ひびのたわごと 資料整理と設定遊び」
http://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-328.html
 正統学会の高い敷居を潜れない多数の人が「絶対敗北感」を味わ…っていたかどうかは不明ですが「くえすちょんな無限ループ」で交流を楽しんでいた人は多い様で、今頃になってこういった声がようやく表に出てきたか…という感じです。まあ、正統学会自体の活動停滞というのは確かな事で、インターネットが学者やスキルのある人だけの花園だった時代は遠くすぎさり、一般人が大多数を占めればこうならざるを得ないでしょう。いくらネット初期に天下を取っていた(よってヤフーカテゴリに登録され結果グーグルランキングは高い)とは言っても、過去の栄光を知らない大多数の新世代は学問とは無縁で、お笑いに夢中…。また、学会自体も活気が無く、コンテンツ更新もここ5年間ほぼ停止しており(にもかかわらず権威が落ちていないのは流石に絶対勝者だけの事はありますが)、追随サイトは多けれどバラバラに点在するのみで、停滞した本家にとって代わろうという猛者も特に見当たりません。そして何より根本的な問題として、時が経つにつれ古本価格が上昇(それに伴い学会の権威も上昇)すればするほどに新しい人が入ってくる事が困難とあり、従って考察人口が先細りになっていく他はないという問題があります。
 
 この解決策としては、私の考えうる案は三つありますので、難易度の低い順に紹介します。まずは不文律ローカルルールを修正し、「古い資料よりも新しい資料をより重視」とする事です。まあ実際、掲示板において「誤った数値だが一般的になってしまったのでそちらを優先」とかいう物がありましたので、既にその方向に変化している可能性も高いかと。まあ、後年正しい数値に修正されたという解釈は「誤記誤植も広まれば史実」と、プロ側の怠慢を許容する事にもなりますので多少の思いきりは必要ですが、注釈で断罪を入れる等いくらでも手はあるかと。とにかく古い資料を持たない若い人の不利が減じれば、それだけ裾野が広がっていくかと思います。

 第二に、正統学会本家の強化ですが、これには現在再編中の年表を含めた究極データベースの完成が良いかと。とりあえずトンデモ設定も含めて全部を入れ、公式度でランクを付けます(ちなみにうちのバナーを最初に使って頂いたサイトでランク付けは既に行われています)。とにかく究極データベースが置かれるべきなのは、ここの様なグーグルに嫌われている絶対敗者サイトではダメで、最も資料を持っておりガノタ知識が豊富で、最もグーグルランキングが高く多数の閲覧者数と信頼を得ているサイト…すなわち正統学会こそがふさわしいと言えます。
 そして最後は「私設ガノタ図書館」の設立ですが、当然無理ですのでそれに代わる・・・うわなにをするやめろはなせny(←当局に連行された模様)

 なお、そもそも考察とは何であるのかは、活字でいまだ語られていませんので(サブカルライターが「型式番号マニアのディープな世界」とか特集しないかなあ…と待ってはいるもののいまだ気配無し)、とりあえず考察のガノタ的位置についての私の感覚をまとめます。まず、「考察」という高みに立った視点から俯瞰してから設定を扱う手法で、プロ側の揚げ足を取って断罪できるというのは痛快でした(最初の頃は)。それまで、商業出版物の設定が過去の出版物を言及する事は無論ありませんでしたし、私も無論従来の「センチュリーの遊び方」から一歩も出る事はなく、書物を扱う際も「マイノリー・ブックスのセンチュリーの記述では…」という調子で、実在名をそのまま書くという発想は思いもよりませんでした(同人はあくまでも設定作りという「二次創作(アニパロ)」としてで、「研究・学問」としての物ではなかったためです)。
 
 1998年頃に突如出現した「考察」は、「メタ設定」ともいうべき革新的手法であり(かつて小説だけしか無かった時代に、評論という手法が出現した時もこんなインパクトだったのだろうか?)、これがネットにおいて急速に天下を取れた理由は、「掲示板」というシステムにおいてコミュニケーションツールとして当時パーフェクトに機能したためです。そして、その合理性は誰も否定できない物であるゆえに、よって私は自分の妄想を「絶対悪」と断言するのです(無論考察主義にとってはの悪であり、その他にとっては別です…ネタ主義とか)。
 そして考察の登場後、従来の方法論が「妄想、オレガン」として駆逐されていくのに時間はかからりませんでした。ただ、全てが考察派になびいたという訳ではなく、学会の針の穴より狭き門を潜れる者や学会論文を理解できる者は実際には少数であり、大多数の人は「有難いお経」として崇拝するか、何だかわからない酔狂な人達もいるもんだなあ、と無視するか…。しかし、崇拝度が増えれば増えるほど反感を持つ人も増えるのが世の道理です。お笑いエンターティナー(例・糞ボルト氏)ならば誰にでも愛されますが、学者、政治家、宗教家が何故偉いのかを一般人が理解する事は困難です。そして、「知る物に知らざる者の気持ちはわからない」と言いますか、一般人(無学な者、他宗派)を軽視する姿勢が少しでもにじみ出ていれば、一般人はとても敏感にそれを嗅ぎ取ります。
 あと更に、絶対無知者としてのトラウマに打ちひしがれた絶対敗者俺ガン同人が、G2Oとのイザコザ及びスウィネン社の否定に「全ての俺ガンの否定」を嗅ぎ取ってアンチに回り(まあ狂信的ファンとアンチは紙一重とも言いますけど)、地下に潜んでいる可能性も高いと思います。ここみたいに・・・。

 なお、学会の勢力の弱まった現在においても、妄想主義はいまだマイナーである以上、迷惑をかけぬための対策が必要ですが、これは当サイトの二重三重に施した防御を見ての通りです。模型誌でおなじみの注意書きである「この設定は模型を楽しむための独自のもので云々」を施し、電波な人(歴史捏造罪で極刑)によるインチキ出版社からのトンデモ本で聖暦2005年に出版とまでしていますから(年代と著者の特定は突っ込みを避ける上で極めて重要)、もう誰が見ても妄想であり、「絶対にやってはいけない事」と断罪する気すらおきないでしょう、たぶん。

 話が逸れましたが、まあ単純に一言で言うなら「作家と批評家、歴史上の人物と歴史研究者は相容れない存在」であり、村が違うどころか生きている時代自体が千年間違う、という事です。ガノタにはそれぞれ、「ガノタの共通認識はこうだ」というのが各々あると思います。でも実際は村の共通認識イコール世界の常識などではないため、こっちの村では「絶対やってはいけない事」なのに向こうの村ではそれが通じない…。
 プロと同人の差がどんどん狭まり、送り手側と受け手の意識も次第に共通化していく現在、ガノタの共通認識の違いで軋轢が発生する状況は観察対象として面白く、実に野次馬冥利に尽きる訳です。というか、他に興味対象はないのかよ俺わ…。

●語源問題付記(グレミーTOTOは事実なれど…)

 言い忘れていましたが、推測した物というのは所詮、あくまで推測にすぎません。元より語源などなく単に音感で決めた場合は多いでしょうし(特に富野氏)、いくら「どう見てもそれしかなかろう」と思える物でも、実際には誰も想像すらつかない語源を有している可能性があります。

 ちなみに私のデザインしたMD‐86Fガガにも一応語源がありまして(←誰も聞いてません)、スペルがGAGA(中国語サイトでは亜亜)とされているので、当然英語の「ギャガ」だろうと外人は推測しているはずですが、実は英語ではありません。では一体何語なのかというと・・・・宇宙語です(笑)
 まあ正確に言うと電波な人の造語で、「冥王星」の意味です(オカルトマニアしか知らないでしょう)。無論、だからといって別に「俺の言う事が正解だからそれを尊重しろ」だとか偉そうに言うつもりはなく、何か面白い(もっとふさわしい)意味付けを誰かが考えてくれれば、別段それでも全く構わないのですが、「ギャガ」は感覚的に違うので他のスペルをあてがう予定でした。まあ、今となってはあのままでも別に構いませんけど…。


 ちなみに「反公式スペル」を当てがうのがポリシーのガンパラにおいては、語源インタビューは貴重な情報源と言えるのですが、必要なのは命名時の語源ではなく「スタッフが宇宙世紀の名称において、いかなる語源を想定していたか」のみです。例えば、グレミー・トトがトイレのTOTOが語源であるのはスタッフの発言が実在しますが、それは「20世紀のテレビアニメでの語源」ですから、その理由をフィクション内で使用する事はできません。まあ真実がどうなのかは誰にもわかりませんが、少なくとも私は「20世紀の日本のトイレからとられた」という設定はフィクションとして下品だと思います。ただし、totoとスペリングする事自体には何も問題ありませんから、宇宙世紀における語源がわからない以上は、「語源など無い、だからtotoのままでいい」と考えるのが一般的には妥当でしょう(一応toto以外のスペルが使われていないかググってみたもののヒットせず、Glemy totoが大半でGremy totoが少々)。

 しかし、トンデモを是としコジツケを尊ぶガンパラではそれでは面白くありませんので、「間違いである可能性を承知で」推測(妄想)に頼る事になります。でもって、他にトトが無いか考えるとエジプトにトト神というのがいますから、もしもそうだった場合、外国人ガノタがtoto→トト(日本語)→thothと辿りつく可能性は考え難いため、ガンパラ方針によりスペリング自体をthothとする必要があります。という訳で、果たしてそれが相応しいか否かを調べてみると・・・

http://www.ffortune.net/symbol/egypt/gods/thoth.htm
ヘレニズム時代になるとギリシャのヘルメスと同一視され(中略)、中世には魔術師の元祖、錬金術の神とみなされた。

 うーむ、ニュータイプには実にふさわしい神様ですねえ・・・

http://www.jiten.info/dic/thoth.html
トトは研究によりヒケ(魔法)の術を獲得したという。トトの書という魔法の本があり、手にすれば神々を凌ぐ力が手に入るという。ケメヌの創造神話ではトトが言葉を発すると、そのものが生あるものになったという。また原初の水から生じたハスの花が開くと世界を創造する美しい子供、太陽が現れたという伝説もあるようだ。

 魔法(科学)の力で、太陽の様に萌える美しい子供を作ったんですか、なるほど・・・

http://nanahira.cool.ne.jp/works/kamui-egyptl002.htm
トトは造物主であり、神によって創られた者ではないとされます。
そのため、『石の息子(非生命から生まれた存在)』、
『卵から産まれた者(胎生でなく卵生の者)』ともされます。

 こ、これって、まさにクローンじゃないですか・・・

 という訳で・・・thoth決定!!

 つまりこれから察するに、インタビュー等で語られてこそいませんが、スタッフが命名段階でこれを想定しており、おそらく「TOTO→トト神」というひらめきがあった可能性は高いのではないかと思います。まあ、所詮私の勝手な思いこみにすぎませんが、とりあえずガンパラではこのスペルにさせて頂きますのでよしなに・・・。

 ええと要は、インタビューがスタッフが考えていた全てではないかもしれず、また例えスタッフが考えていなくても、適切な物があれば「後付け」すればいい、というのが私の考え方です。ちなみにガンパラでは適切な物が見つからない場合でも、公式スペルを無視して「妄想だけどネタとして面白い」物をコジツケています。という訳でかなりいーかげんではありますが、これは頭の弱い私でも楽にできる遊びなので、いい暇つぶしにはなりますね…。



2005/7/7
●タイドライン・ブルー、衝撃のヒロイン設定

 事前に情報には触れない方が衝撃度が高いのですが、一応リンク。ハァハァ…
http://www.tlblue.com/mecha.html
 ガノタとしては無論、08小隊でおなじみ馬之助監督に当然期待せずにはおけません。ただ、キャラの家族設定の把握が…種を見るまでもなくアニメキャラというのは顔のつくりが全く同じですから(←ひどいなあ)、逆のパターンというのも見ただけではなかなかちょっと。まあしかし、こんなのは所詮些細な点で、やはりアニメで一番需要な…もとい、重要なのはハァハァする(以下略


●年代記式(年表式)続編を提案してみるテスト

(※7/18改稿)
 SWが長編テレビシリーズ&アニメ化ですか・・・と言う事は、やがては日本の何かのアニメシリーズみたいに設定マニアが「いや、アニメは別物として扱うべきだ」とかケンケンガクガクするんでしょうかね。ところで、新番組では魔法少女が奥様だったり(あと女子高生が奥様だったり)する様ですが、「奥様が」というのはどーかと(←マニアックすぎです)。
 まあ、実際に出さずともヒロインが天井裏に隠された衣装箱から怪しげな服を発見し、「ママの魔法少女時代の過去発覚!」とか…(つまり鉄人28号FX方式の続編)。あと響鬼システムを導入、悪に対抗する組織が全国の魔女っ娘(約十万人に一人発生)を地域別にそれぞれ管理していて、パーマンよろしく大阪弁をしゃべる助っ人ゲストが来たり、勢力抗争があったりストライキがあったり・・・。ただ、そこまでやると「職業・魔法少女」になってしまうので、Mr.インクレディブルの様なボランティアヒーロー活動のための支援組織あたりがいいかなあ・・・

 ちなみにインクレディブルの世界というのはスーパーヒーローがゴロゴロいる設定でして、まあ超人がゴロゴロいる作品は別に珍しくなどありませんが、単に個々のアウトローとして点在するのではなく社会との関係性が描かれているのが結構ポイントです。子供向けなのに殉職もちゃんと存在する点がリアルで、重要な伏線にもなっています。響鬼ではこのダークな部分にはノータッチですが、想像するに主人公は年に何度も墓参りに行っているはずですし、おやっさんから鬼の七曲署並の殉職率を聞き出した少年は唖然とし、やっぱり「将来の進路・仮面ライダー」はやめとこう、給料も少なそうだし・・・とか絶対あるはず。ええと要するにこれ、ガンダムとて多数のジムの中の一体にすぎず、ホワイトベースの戦いが全体のごく一部分でしかなかったのと同様に、主人公達はヒーロー業界全体の一部分にすぎないという構造ですから、全く違うヒーロー物テレビシリーズにおいて(スタッフロールで映った様な感じの低予算アニメ希望)世界観を流用しやすいはずです。タイトルとメインキャラは全く別でも、脇役の服飾デザイナーが必ず出てきてコスチュームを供給とか・・・。でもって続編が増えるに従い設定も膨大に増えて「年表」が作られたり、ファンが設定間の矛盾を埋めるべく(以下略

 で、ここでちょっとアニメ界に提案なのですが、何にせよ最近の深夜アニメはたったの13話で終わってしまいますので、オリジナル企画が難しそうな気がします。そこで、おねてぃシリーズよろしく舞台同一式の続編で、前作の濃ゆいファンを引き継ぐというのはもっとできないのかなあと妄想する理由は、どうも最近は原作物のつまみ食い物が多い感がするので…(←じゃあ自分で作れば?)


 ↑ペプシ1.5リットルのオマケの、スナック少量分割摂取用袋止めです。なお、ハバネロならネトヴィネ置く所だろと突っ込まれそうですが、炉属性に欠けるストライクゾーンが狭いため持ってませんあしからず。(7/15画像差し替え)



2005/7/7
●ああ、まただ・・

 何か言う度に世の中の半分、いやそれ以上を敵に回してしまうスイッチをどうやって止めようか状態。 しかし、どうも妙にリミッターが外れまくってるな…あ、多分あれか、ブログにゲーム本編集者だって書いてあったから、 ただの同人観察モードからうっかり切り替わったのかなあ・・・って事はプロとアマの対立構図で単純に考えるのは安易かも。でも人間、 変わるのは時間をかけないと難しいから、もう少し生温かく観察するとかできないかなー大人気ないなー私も・・・。
 大体、ここだけでなく他にもマズイ文章が多すぎで、ガレキ転売コンテンツもやばいし・・・まあ「単に法律的にマチガイ」 と言っただけでそれ以上でも以下でもないのですが、オカノ通信さんをはじめ転売行為をマナー違反と叩いている人が見たら、 例え言葉にはせずとも心の中では私を強く叩くでしょう。いや、叩かれる事自体は自業自得なので別に構わないのですが、代案を出している訳でもなく無責任な物言いに終始しているだけの自分に自分で納得がいきません。あぁ・・・。


●日本御宅化計画

オタクなページhttp://hp.vector.co.jp/authors/VA012337/private/otaku.html
 うーん、「オタク学入門」と「天使の王国」を読んだ程度の浅い私には何も語れませんが、最初のオタクの定義は思ってたよりも相当酷い様ですねえ。しかしまあ、オタクの定義はオタクの数だけあってそこが面白いところでもあるのですが、他人と意味が食い違って話が噛み合わない事もしばしばです。私が「二次コンキモメン」の意味で使ってたら、相手が「マニアの最上級」だったり・・・。
 
とーの0歳(オタク論2)
http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20050101165101&mf_d=2

●『語源ブログ』という本を

 先月購入。ええと、昨年11月の雑記を未見の方は、まずそちらを御覧下さい。
 もし仮に「考察派ガノタサイト」があそこでのガンダム語源を扱うならば、多くがほぼ全て瞬時に斬って捨てられるでしょう。御存知「情報は出典が明確な物に限る」という鉄の掟があるためです。
 当初、私は語源ブログを考察的な場所(学問ごっこ)だと思い「あー2ちゃんのネタと事実を区別できてないな、こりゃイカン…」と乗り込んで突っ込みを入れたのですが、失敗でした。2ちゃんのログも私の書きこみも、所詮信用度的には「等価」でしかないからです。つまり、まず情報提供をしてちゃんとした信用を築いてから、後でやんわり突っ込むべきでした。また「Lサイズの雌」の件で運営人のスタンスが信憑性よりも「面白いか否か」を重視し、ネタ(2ちゃん用語でウソの意、該当ブログでもその意味で使用)との区別は軽視する姿勢と判明、ブログをよく見たらそもそも「飲み話のため云々」と書いてある上に、雑魚で自爆による信用失墜もあり、突っ込み戦意喪失…。
 ただ、ジ・O→太ったおじさんというしょーもないネタだけは流石にこらえきれず・・・(あ、ちなみに「萌えの語源を探る」のページではラムネの所だけ無視でした、予想通りに)。

 しかし、失墜した信用を「考察の掟」をもってして回復につとめたというのが、何とも因果です・・・ホント、まるで「考察」に復讐されている様で、「青葉区が当時実在するか否かをまず調べるって事は考えないのかなあ・・・」と、この時ばかりは考察の精神が一般人に欠けている事に頭を抱えました(苦笑)。
 でまあ、「私もあれはネタだと思いますよ」という助け船も無論現れることも無く、結局、確定的な証拠が無い限りはネタ排除は絶対不可能と痛感し、ならば毒をもって毒を制するしかない…悪魔の証明にあらがえないならば、ネタをもってネタを潰す!と思考回路を切り替えて、ジム云々のネタを出したという訳です。これは自らネタと言っている通り、過去にその様なインタビューを聞いたとか、どこかで言われていた記憶があるという物ではなく、ガンパラのために作った「コジツケ」で、考察的に言えば「オレ説、妄想」にすぎません。ですが、この妄想が「事務」と併記された事により、今後における事務の伝播をいくぶんかは防ぐ事に成功したと言って良いかと思います。

 ただ、失敗…というか残念なのは、アルフレッド・イズルハ…出淵裕のイズ+美木本晴彦のハルの「出渕、美樹木」の誤字を指摘したにもかかわらず、何ら意味をなさなかった事です(ジムなんてのよりまずこっちを…)。よって当時、もっと強い調子で言えば良かったのか、それとも「マ・クベ→間久部六郎(手塚漫画のロック)から」といったネタを提供してもっと信用を回復しきれていれば、指摘を読みとばされずに聞いてもらえたのかなあ、と若干後悔。

 なお、あそこで突っ込まなかったネタ…もとい、私の記憶に出典がない物を以下に列挙します。
○アッシマー→あっ、しまった (ソース未確認)
○ガブスレイ→ガルブレイス氏 (ソース未確認)
○カツとレツとキッコーマン、ガルマ・ザビ→カルマ(業)は、活字自体は見た様な記憶もおぼろげにありますが、正式なインタビューだったのか単なるネタだったかは思い出せず。
○メロウドに関しては、ガンパラ妄想語源集で言っている通り富野発言が存在します。
○甲斐美春は、やはりミハル・ザビの初期名称から見て単なる偶然の一致かと。
○「ジャブローは、シャングリラのもじり?」とありますが、事実ではシャングリラを安彦氏が突っ込んで没→ジャブローという事しか不明です(ちなみにアマゾンの地図を見ると上流に「ジャプラ川」というがありますが、個人的にはジャングルとシャンブローをもじったものではないかと推測)。
○『「亜室嶺」といった名前が当てられていた模様』(p210)というのはソース未確認です。ただ、無論「アムロ嶺」なら有名ですけど。ちなみにその前は「アムロ・レイ」、その前は「テムロ・アムロ」、その前は「本郷東」で、これは富野氏によるネーミングではない様です(企画書の詳細は講談社『ガンダム者』を参照)。なお、本郷東の由来の推測は雑記05-01-26をどうぞ。

 ちなみに、「アムロ→A6M」にあそこで突っ込みを入れなかった理由は、まず、オヤジガノタの私であっても興味の対象はずっとMSであったため、触れている富野氏の発言はわずかに氷山の一角にも満たないであろう事。そして例え全てを知っていたとしても、「情報提供側が出典を開示する必要がある」という原則の通用しない場所においては、無い事を証明する事は不可能なので無力である事。そして更に、ネタとして楽しければ真実はどーでもいいというオモシロ主義の方が、事実絶対主義よりも私のスタンスの多くを占めるためです。まあ、先日学会批判をしてるくらいですので「学問は偉くてお笑いは低俗」という一般的価値観には疑問を持っていますし、元々テレビはNHKよりもフジテレビばかり見てましたし。ただし、ネタにも「いいネタとダメなネタ」があると思います。ダメなネタとは、「アバオアクー→青葉区」の様にすぐに嘘とバレる安易な物で、いいネタとは「それで会話が盛り上がる」完成度の高いネタです。そして、A6Mが事実かネタかは知りませんが、例えネタだとしても完成度が高いネタだと思います。

 ここで完成度を求める理由は、それが作品のためになるか、ならないかを重視するためです。また、事実よりもネタの方がより「真実」だと言える事はありうるでしょう。事実が謎である事が、それを追求したい人達の関心と知的欲求をつき動かして、その結果作品のためになる(関連書籍か売れる等)場合や、間違った事実が信じられている方が作品のためになる事だってありえます。ウソを捏造する事すらも、作者本人ならば許されると思います。

 例えば、呑み屋で「知っているか?バカボンという名前はだナア、実はおフランス語で浮浪者、アウトローを意味するバガボンドからきているのだ!」「へぇ〜深いなあ、さすがは天才赤塚先生・・・」と話に花が咲いている所に、隣に座っていた人から「実は私、それに関して本当の事を…」と言われたら、これはかなり困ります。真相を聞かされて、「なあーんだ、やっぱり…(まあ、うすうすそうだろうと思ってたけど)」と、場がシラケル結果にならない保証はどこにもありません。また逆に、「その通りフランス語です、先生は天才なので学問も極められていたのです」と聞かされたとしても、何だか面白くない部分はあるわけで「でも、本当は・・・」と釈然としない部分はモヤモヤと残ります。ですから、事実は謎のままであるのが、話の種としては良い事も多いと思います。

 ええとつまり、要は「ジム→事務」では、その真偽にかかわらずトリビアとしてさして面白い物ではありませんから、「まさか事務的に出てくるからジムなの?一体どういう思考回路なんだよ御大の頭は?」「いや、いくらなんでもそりゃウソだろ」という程度で、すぐに会話が終わってしまいます。しかし、これでは「ガンダムのため」にはなりませんから、あえてあの妄想を出したという次第です・・・と、いうわけで今日の寝言、
 
「ネタも、つきとおせば真実」
「つまらない事実は、面白いネタに劣る」


 ・・・・あ、そう言えば実は拾ったネタがいくつかありまして、ガセネタが一人歩きする危険も・・・などと正統学会みたいな事を考えて黙ってましたが、出し惜しみは止めて以下に列挙します。

○ムサイ→武蔵から。「僕たちの好きなガンダム 全モビルスーツ& メカニック解析編p33」にあり、それ以前にも2ちゃんねるで既出。ヤマトに対抗して…という点で、御大の事ですから明らかにどこかで言っていそうなのですがソースは不明(これだけミューズが語源というのも、他の艦と比べてバランスが悪いですし)。
○マラサイ→パプアニューギニアの現地民族語で「戦士」。ソースは2ちゃん。ただ、諸星大二郎「マッドメン」にあるとの事で信憑性は高いものの、調べるのは簡単なのにいまだサボリ中。
○アッシマー→ガネーシャ神の乗ってる戦車。ソースは2ちゃん。これも調査停滞中。
○「グフ→モンゴル語で青」・・・とある同人誌で発見(ちなみにガイナの若手監督の本)、調査停滞中。ただ無論、富野氏が当時(以下略)。

 また、イズルハに関してですが、以前に「アルの母は出羽道子で、つまりイームズはムコ養子では・・・」などと妄想しつつizuruhaのスペルを色々変えてググった所、izrhaが大量ヒットしたので外国の実在名の可能性が高いと思われます。そもそも0080の他のキャラ名には、造語(富野氏に多い)ではなく実在する名称ばかりが使われているため、「ブチ+ハル」の可能性は低いかと・・・と私が言っても正統学会と異なり説得力に欠けますねえ、うーん仕方ないな・・・
 という訳で、こういうのは自分で調べてニヤニヤするのが楽しい物なので言いたくなかったのですが、0080キャラのネーミングがダジャレの思いつきで作った様な物ではなく、計算された物である事の証拠を出します。漢字の名前に、普段それを意識する事は無いものの「山田一郎→山と田んぼ、一番めの男子」という意味がある事と同様に、外国の名前にもちゃんと下の様な意味があります。

アルフレッド→妖精、超自然的存在、王様
バーナード→勇敢、強い
ワイズマン→賢者、魔法使い
クリスティーナ→キリストに従う者 (※連邦軍マークの星は十字架にも似てますね)
マッケンジー→ケンジーの息子。ケンジーは「公正な人、美しい人」
シュタイナー→シュタインは「石」
ガルシア→槍
アンディ→男らしい、力強い

 ・・・と、ここまで言えば「ブチ+ハル」がネタか否かはもはや誰の目にも・・・いや、それでもまだまだ潰すには全然不充分なのですが、後は後世のガノタに期待します・・・。しかし、仮にガセを潰したとしても「謎」はなおも残りますので、謎ある限り人々の探求心を揺さぶりコミュニケーションを喚起します。つまりは、監督の回答という「一つの事実」があるよりも、様々な「無数のネタ」があって、それぞれの説がケンケンガクガクの火花を散らせている方が、ガノタ文化的には豊かだと思います。よって、そう考えれば「ブチ+ハル」すらもガノタ財産の一つだとも言えるでしょう・・・。

 なお余談ですが、英和辞典での語源調べには、三省堂『グランドコンサイス英和辞典』(8800円)が良い様です。
http://www.alc.co.jp/eng/vocab/etm-cl/etm_cl063.html



2005/7/5
●オヤジをたずねて三千人

こんなダメな負けサイトでどうもすみません (でも実は反省してない)・・・で、今日の妄想。
「もし私が日本を支配したら、親指シフト打ちのできないキーボードを一切禁止する」
「もし私が世界を支配したら、世界標準言語を日本語とし、全人類に日本語教育を義務づける」
「もし私がバンライズを買収したら、ガンダムの年表と設定を(略」
・・・全部大犯罪ですな(笑)


●もしかしなくてもコピペ・・・

さて、ガンダム業界では設定研究がひとつのジャンルになっているようで、皆さん精出して膨大なデータを付き合わせ継ぎ合わせ、ものすごい分量の考察を公表していらっしゃる。
しかし、これがまた合わないんだ。
アウターガダムやタイラントソード、マイナーなところでは「Gの伝説」など、整合しない設定は数多い。これを取捨選択したり、 見なかったことにしたりと皆さんそれなりに苦労して考察しておられるのだが、根本的な部分で物語や俺ガン観のズレに対する許容度が不足しているような気がする。
俺設定とか、二つ以上の物語間における矛盾とかについて「大勢がなってない」と言い換えてもいいだろう。こういう不整合は、ロボットアニメを鑑賞していく上ではたびたび出くわす現象なのだが、実際の歴史だけを研究しているとなかなか納得のいかないことなのかもしれない。


※名文をコピペしてみました。ゆんゆん。


●帰ってきた随念さんへ(電波寝言)

 上のタイトルの意味が不明な方は、完全に読み飛ばされる事を推奨します。現在いまだにここを御覧になられている方の半分が 私の「アンチ」だと思いますので、やはりここは御期待に添えるべく言っておきます。まさに絶対愚者として、たった一人で巨大な象牙の塔に突っ込むドン・キホーテの心境ですが、しつこいと承知しつつも繰り返します。ええと、正統学会ナンバー2のブログ(改)で、 相も変わらず・・・
http://zakukai.blog12.fc2.com/blog-entry-6.html
 ちなみにアナハイムジャーナルというのは、ガノタ本史上最もクールでハイセンスな一番のおすすめ本です。 まあ「金銭のからまぬ物に批評は成立しえない」と言いますので、批判する事自体をどうこういうつもりはありません (「ガンダムだから売れる」事と、「特殊な読み方をする人に批判される」というのは表裏一体です)。 しかし、この件に関してだけは、いくつかの気になる問題点があります。

「アッガイは赤井重工製」ならば良かったのか?
 それとも「アミーゴ・インダストリアル」なら、それとも・・・(以下無限に略)。
 単に「スウィネンはネタだからダメ」という代案なき批判はあれど (まあ象牙の塔の頂点においては「全肯定」の根幹教義にも反するでしょうからこの件に沈黙を守ってますけど)、そこから先が見えません。
 もし仮に、アナハイムジャーナルの編集者が「スウィネンでないのなら、一体どこのメーカーが作ったのか?」と学会に質問 したとしても、学会側は、「わからない、だからわからない事は絶対に書くべきではない」と答えるでしょう。しかしそれは、 答えの様で問いへの答えにはなっていません。質問者の問うた言葉の意味は、千年後の世界から高みに立って歴史を観察する学者達にの耳に届く事はありませんし、そもそも問うこと自体がナンセンスです。

「スウィネンの非実在を証明不可能」
 元より「存在しない事を証明する事」はできません。私は熱心な学会ウォッチャーではないものの、ログを斜め読みしている限りでは、 スウィネンが「誤り」でありガンダム世界には実在しないという事を、いまだ証明されてはいない様です。
 もし仮に、「これこれの本に、『アッガイは○○社単独の開発、生産である』という記述がある、だからスウィネンの存在自体を我々は消し去りたかったのだ」との主張であれば、「史実確認を怠った」のは確かとなり、批判には一応の正当性があるでしょう。 しかし、資料発掘にかけても最強の正統学会が証拠を出せていないという事は、イコール史実が存在しないという事になります。
 また、もし仮にその証拠が存在し、何かの古いマイナー資料に実在した事が明らかであったとしても、それでもなお「アッガイを開発したメーカーの名」において、スウィネン社という記述がなされる事は全くおかしな物とは言えません。考案者本人と正統学会は否定しても、 既に比較的多くの人に認知されていると言えるからです。

 よってあの様な批判ではなく、「現状において、MSの種類やメーカーをいたずらに増やすのは良くないので、できればジオニック の単独開発として欲しかった。まあ、他の機体と外観が類似しないので他社という設定も充分ありえるものの、 アッガイにはザクのパーツが使われているという後付け設定があるので、どんな企業であるにせよ単独では困難であり、どうしてもジオニックとの共同開発、ライセンス生産と・・・」とかいった些細な感想レベルなら、まあ納得はできますけど。
 情報が多くなれば、確かにそれだけ研究は困難になります。しかし、「聖書編纂はもうここで終了」と言う事のできる法王など、 バチカンライズにはいません。よって全てのガンダム信徒は増え続け書き返られ続ける史実と死ぬまで付き合っていく他はありませんから、 いかに気に入らない史実ばかり増えるからといって、史実捏造(=設定の増殖)自体を否定しても仕方がありません。

「オラが村の掟で、別の村を裁く事はできない」
 問題のページより引用します。
『情報源が特定できない情報をそのまま記載することは、絶対やってはいけない事のひとつとされています』
 え、そうなんですか? で、どこの誰がいつそのルールを決めたんですか? しかし、ガノタの聖書であるガンダムセンチュリーも、 大半が特定できないんですけど・・・。というかそもそも、ガンダム設定はほとんどそういった後付け設定、つまり「史実捏造」ばかりで成り立っている様な気がしますけど、全てが絶対にやってはいけない事だったんですか?

 私の節穴の目では、絶対にやってはいけない事が大原則である世界などは、正統学会及び、多数のそれに追随する考察派サイトしか見当たりません。 よって、これはこれで単に「村の掟」の様なものであるにすぎませんが、まあ正統学会は御存知の通り大きな権威を持っている訳ですので、「絶対ルール」と学者達が錯覚していても、別段不思議な事ではないのでしょうけど・・・。
 スウィネンを扱っているサイトは、まあ最初はだまされたのかもしれませんが、それを知っていてなおも扱っています。 「優秀な設定であるから」という理由で・・・。しかし、これを「おかしい、いけない」と思うのは、正統学会及びその影響を受けたガノタのみです。正統学会の掟、つまり考察のローカルルール(不文律)には、「映像、商業出版物以外は無視」というのがあります。 なお、これ自体については私も99パーセント同意します。唯一サンライズ著作権表示の有無で判断・・・という「線引き」を規定する事自体は、 考察(と一般にガノタに呼ばれるゲーム)においては絶対不可欠です。
 しかし、ライト層の一般ガノタはこれを知りませんから、 なぜ、どんなにガノタの一般的認知度が高くても切り捨てるのか?と疑問に思っているはずです。 また、仮にルールを説明されたところで「どうして、アマチュアが作った設定を完全無視しなくてはいけないのか?」という本質的な問いが残ります。おそらく「サッカーとかのルールと同じで、ダメっていう決まりになっているんだ」としか説明しようがないでしょう・・・。ルールがその様に規定された理由を真に理解するには、「考察」の何たるかを正確に把握せねばならず、一般的ガノタがこれを行うのはハードルが高すぎます。

 これがガンダムではなく、ジャーナリズムや歴史教科書、学術資料ならば全くもってその通りですし、ホームズの解説本がドイルの原作に書かれていない事をさも存在したかの様にデッチ上げれば、シャーロッキアンに叩かれるしょう。しかし、ガンダムは史実がどんどん増殖し続けるという宿命を持っています。
 ですから、上のルールで批判できうるのは唯一、「設定の捏造をしない(既にある設定のみを記述)」という編集方針を表明 している場合のみです。ですが、それが表明されていた例はいまだに「ガンダムオフィシャルズ」しか聞き及びません。 そして厳密にはオフィシャルズすら「ネタ本」としての性格を持ち、引用文献は巻末に名前が数点あるだけで情報源の特定という条件はクリアーしていません(これを成しているのは唯一、完全列挙している「月刊ガンダムエース」連載の「データガンダム」 だけです)。
 商業誌(プロ)は、基本的に学会の掟の及ぶ領域ではありません。自分達の村の掟で、他の村を断罪する事は愚かです。 サッカーファンが嘆きの壁に手をついて「ラグビーはボールを手で持つからズルイ!」と叫ぶ姿は、ただ滑稽でしかありません。

 アナハイムジャーナルは、考察村の掟を遵守して作られた本、もしくは遵守して作られるべきだった本ではありません。よって 「情報源が特定できない情報をそのまま云々〜」 という前提それ自体が間違いです。あの本は要するに、ネタ本です、 ネタ本。だから、例えばスウィネン社の個所の下に小さく、 こんな注意書きがあったっていいんです。
『スウィネン社の記述とロゴは「民明書房刊・宇宙世紀企業大全(0099年版)」からの引用です』
『スウィネン社の記述は、有名なMS解説サイト「生まれてきてすみません」より引用させて頂きました』
『スウィネン社の記述は、ウェブサイト「スウィネン社エルベ川支社」より引用させて頂きました』
・・・ほら、情報源の特定なんて簡単にできるじゃないですか(笑)

 ガンダム設定は、そのほとんどが後付け設定です。そして全ての後付け設定は、最初は俺設定だったのです。よって俺設定を誹謗する という事は、全てのガンダム後付け設定を誹謗する事と同一だと思います。
 ホームズ世界の神・ドイルはとっくの昔にいませんが、ガンダム世界の神はまだ生きて・・・もとい、ガンダムビジネスがある限りは 永遠に生き続けざるを得ないでしょう。すなわち、
「ガンダムは゛生きている″と・・・君は!!」

「敗者の気持ちは、敗者にしかわからない」
 スウィネン断罪は、それがあくまで正統学会という身内の中での事だからこそできる事であり、「絶対勝者」だけに唯一許される 特権的行為です。もっとも本人達は「プロが絶対勝者で我々は敗者」と思い続けている事とは思いますが・・・。
 「実際にパクられて迷惑を被った絶対被害者」が、「パクラれる=大迷惑」というお決まりの図式で喧伝すれば、これに外部の人間が異を唱えるのは困難な物があります(したがってこの図式を崩すには、実際に誰かがパクられてから「パクラれる=大感謝」という図式を新たに作り、確立する必要があります)。ですが、「被害者」を自称する側が実際には絶対弱者としての強権を振りかざす圧力団体に過ぎないというのは往々にしてある事ですし、また「被害者=弱者=敗者」だとは私は考えません。 真の敗者であれば、そもそも声を上げる事すらできないでしょう。

 14年前、私がコミケで最初に買ったガンダム同人誌(私の知るうちでは最古の老舗であり、現在も細々と活動されています)には 「○○○のメーカーはX社」という文章が書かれていました(当時の事ですから無論「考察」という概念も「俺設定」という 差別語もありません)。そして現在、その設定が公式に存在するか否かは、無論ここで言うまでもありません(当時は空白部分の設定だったのですが、今はもう…)。
 公式となり、 よって抗議する事のできる俺設定と、片や抗議すらもできずただ朽ちていく他は無い俺設定の両者を見比べた時、 その「勝敗」は 誰の目にも明らかです。

「そもそも問題の真相は・・・」
 ミモフタもありませんが、要は簡単に言うなら 「プロはズルイ、だから反対!」・・・というのが事の全てなのではないかと思います(このプロの部分は、マスコミでも政治家でも大企業でも教師でも大人社会でも言い換え可能)。もし仮に、スウィネンを考えたのが全く他の誰かで、しかも公式化を喜んでいたしたら、学会は同じ様に断罪をするのでしょうか?また、今後に商業誌がパクっているのを見つけたら「あの名称や設定は○○というサイトの俺設定だ、許すまじ!」 とネガティブキャンペーンを張るのでしょうか? ・・・まあ実際の所はおそらく、パクられた側がそれを嘆いていれば無論断罪に荷担するでしょうが、逆にそれを喜びプロ側に感謝していた場合は、単に沈黙するだけではないかと思います(同じガノタを敵に回すのは得策ではありませんし)。

 なおちなみに、もしも私がパクられたとしたら、一応抗議はしますけどね。例えば、「どうしてくれるんですか!これじゃもう、 そちらの社の方角には一生足を向けて寝られないじゃないですか・・・でもベッドの向きはどうしても変えられないので今晩から北枕ですよ、もう・・・」という感じで(笑)。ですのでまあ、パクって「くれた」側が、その事が直接原因で強い批判を受ける様な事がもしもあれば、 受けた恩義の分程度には、自分にできうる限りの行動は一応するつもりです(という訳で メカドメのある国には足を向けて寝られないのですが、 一体どこだろ・・・?)。

 ただし、アナハイムジャーナル断罪にも一分の理があります。それはスウィネンの出所である「生ますい」運営人が、「これは公式ではなくネタ、冗談だからな・・・だからパクるなよベイビィ」 という意味の主張をしている事です。まあ、それ自体を余所の村の住人が聞く義理などない事は上に述べた通りですが、少なくとも本人が喜ばないという事はわかります。
 そして、そもそもこの問題に関しての最も重要な点は、「スウィネンの引用」という表面の裏にどんよりと潜む「昔の正統学会とG2Oとのイザコザ(ザニー問題)」にあります。つまり、この件はもしかして…いやもしかせずとも、それを引きずったG2O側の復讐だったのではないか?という疑念です(詳細は以前の雑記に書いたため省略)。
 無論、G2O=アナハイムジャーナルが、スウィネンの出所を知っておリ、それをパクればどういう事になるかまでも知っていた (つまり悪意があった)かどうかなどはわかろうはずもありません。ですが、考案した当人とその周辺が「やったー公式設定になってラッキーじゃん、バンザーイ!」という事にはならず、晒す事で大きなダメージを与えうると理解していた可能性は高いと思います。復讐劇として見ると、これは実に鮮やかだからです(まあ、だからこそ「悲劇が起きた」とまで言われて断罪されるのでしょうけど)。
 つまり、スウィネン問題の真の本質、それは単なるケンカなのです・・・(あ、これってゴー宣の著作権裁判と何だか似てるなあ)。

 とまあ、そーゆうわけで結論は「MG解説でスウィネン再登場(=完全史実化完了)に500カノッサ」。

2005/12/12追記
 マウンテンサイクル部屋の掃除中、埋もれていた「ガンダムメカニクス1」(98年5月刊)を発掘し、気になってアガーイをつらつら探すと、「製作会社・ジオニック社」としっかりありました・・・。つまりスウィネンはMG解説を待たずとも誕生の半年後に既に否定的記述が存在した訳ですので、言いがかりをつけてしまった正統学会の方々につきましては、フランチェスカの海よりも深くお詫びいたします。



2005/7/2
●暑さでどうかしたというかタブレットの練習というか


 ええと、萌えない点につきましては「仕様」です(きっぱり)。しかし、ラクガキから察するにどうやら 「自分は左手だ」と言いたい様ですが、一体ここの運営人は何を考えているのか閲覧者の皆様は毎度(以下略



2005/6/30
●更新日記

 親指シフトを使おう−その2 
 及びPC関連を全て追加修正しましたが、例によって大多数の人には無意味なため読み飛ばし推奨です(あ、筆記具の改造はためになる人もいるかも)。

●自業自得

 なんとなく掲示板をさかのぼったら昔のログが消えており、不明だった保存数をようやく把握できました(思ったより少ないなあ)。 しかし書きこみ順に消えていくというのも、いきなり、「まだ童貞なの…」という私の書きこみを見た人に神経を疑われてしまう危険が…(ウチの場合、管理人が自分で荒らしてもおかしくないと思われる可能性が高いですし)。



2005/6/28
●更新がない・・・まるで屍のようだ

 カウンターがいまだ回っているという事は「ハハン管理人死んだのかな」 と期待して御覧になられていそうなのであえて繰り返しますと、更新停滞中なのはマシンの体調の都合です・・・っていうか 単に私がダメだからです。しかし、何で自分はパソコン苦手のただのオヤジなんだろう、こんなはずじゃなかったのに人生どこで間違えたのか・・・ ま、来世で頑張ればいいか。
 なお、メインマシンはもはや日本語すら打てないズタボロ状態ですが、不安定のまま放置していたサブマシンの方は何とか復調しました。 ただしこちらも毎回スイッチボタンで終了してる有様なので、できれば再インストールしたい所・・・(あと、人生も)。



 zakki 
05-05   Zakki   05-07

G_Robotism