雑記 '05-5


※更新の報告関連は削除しています。

雑記


2005/5/29
●銀色バイク、写り込み描きの勉強に最適

http://ueba.net/go/5316/URL=http://ueba.com.br/forums/index.php?showtopic=16449


●旧日本兵がいるのなら、新日本兵は・・・

 とそれはさておき、ここ20年ほどトンデモ本以外の本を読んていなかったので、たまには勉強と思い先日古本屋で100円で買った 「びっくり、日本の教科書はまっかっか!」を拝読。つらつら、つらつら・・・ポロポロポロポロポロ!(←目から鱗が50枚ほどこぼれた音)
「おぉ俺はあぁ今日からあぁ愛国主義者に生まれかわったあぁっ!」
 ・・・どうやらいつの間にやら歴史教育はトンデモない事になっている様で、なるほどよしりんがあれだけ騒ぐわけか。でもって、著者の先生のネット評を探ろうと名前でググった所・・・え?ヒトラーのギャクサツは正しい?劣性遺伝子人間は逝ってよし??
「大人なんて・・・あっ流れ星だよ、ファ・・・」
 そういえば「老人はゴミです。奇形はいりません」と御大も言ってたっけ・・・ゴミ以下ですみません(あと足が極端に短くて頭骸骨も歪んでます)。


●「持つ者に持たざる物の気持ちはわからない(クルーゼ)」

 ・・・と掲示板で最近良く言ってますが、考え方自体の差異の方が適当の様な。一般人の考え方と学者の考え方がかなり違うものの、学者側にはそれが見えず学問的方法論こそが唯一と・・・と考えるとすっきり? ちなみに、学会ルール自体は事実上の不文律の秘教(タントラ・ヴァジュラヤーナ)なのですが、ごく一部に関しては下で読めるみたいですねえ(1/2参照)。
http://www1.ocn.ne.jp/~mengere9/dairy/2002_01.html
 しかしまあ、私が己を「最悪で最底辺」と言い切る理由が良くわかります・・・矛盾解決のための安易な俺設定のみによる完全妄想至上主義なのでここでは完全敗者確定のオレ。しかし、一体学会の何が凄いって、いまだに誰一人として表立って批判しえていない所なんですよねえ、まあだからこその「正統」なのですが。ですから最初に文句を付けた奴なんて学問の道に背く大犯罪人ですね、ええと誰かは良く覚えていませんが確か北々とかいうヤシだった様な・・・。
 なお、同じ机で売られていた「MAG XX」(01年)に関しても触れられていますが、文だけを見るとどういう意味なのか解読困難なので説明しますと「本として、執筆時代を戦中(もしくは戦後)に特定する」という手法がなされた物です。ちなみにアナハイムジャーナル(03年)、悪名高きタイラントソード(87年)、ITEMの星野氏のガンダム同人誌(97年)も同様ですが、設定面に関する問題を不問にするための導入(宇宙世紀における執筆者が正しい情報を持ち得ていないのであれば史実と矛盾しても許される)という意味付けがなされ、方法論が示されたという点がガノタ史的に重要です。あ、余談ですがそういえば確か執筆者がキチガイだという意味付けをしたヤシもいた様な・・・誰かは良く覚(以下略)。


●あ、以前に

 「今という時代、悪意は自分に向かうしかない」と言いましたが、ブラックな妄想と妄言にまみれたこの最凶最悪自虐サイトでも、その呪縛から逃れているコンテンツがあります。妄歌と3月の雑記の外人四コマがそれで、ギャグである事で「自滅へのレール」から外れる事に成功しており、これだけは元より悪であるため悪ではないです(意味不明)。


●再び「宇宙の神秘」

 これもよく考えてみると「知り合いを一人挟むとかなり大勢の人に行き着く」、という「笑っていいとも理論」から見ると否定しきれない面も・・・。東京近辺にいるという恩恵もあるのですが、昔の知人に16歳の女子高生メカデザイナーに私的に会った事がある人がいました・・・つまり「女子高生の知人の知人!」(←でも要はアカの他人)。それから更に、5年ほど前のレヴォで私が売り子を手伝っていた所からわずか2〜3m離れた机の椅子に、何と御本人が!!・・・ただ無論、物理的な距離がいくら近くても何一つ意味がありませんが・・・。
 ええとまあすなわち、老い先の短い私はもう無理としても、比較的知人の少ない私でも間に一人挟めば女子高生に辿り着く訳ですから、このサイトを御覧頂いてる若い皆様の中には「宇宙の神秘」を知りえる可能性のある方がきっとおられるのではないかと思います。そう、あなたです、あなたが真理をつかめるのです! おめでとう! ブラボー! 未来ある若者に幸あれ! ふんふんぐしゅんぐしゅん・・・



2005/5/27
●俺的にアートな20世紀ロボモデル

「マックスのサーバインソフビ」
荒木元太郎博士の電動戦士ガンダム(の動き)」
「小林誠版イデオン(のコンセプト)」
「マーブリング塗装の施された海洋堂ブーレイの作例」
「95年頃のワンフェスでどこかのディーラーが展示していた裸体ファティマ(一品物)」
「東海村アシュラのモノホンの剣(一発ネタ)」
「土井慎一氏の戦場シリーズジオラマ写真」
「冨士パワードスーツ、完全変形ゲッター、チネル最終回トラウマガンダム(Ver.ka)・・・」

 唐突で何ですが、オカノ通信のタコ礼拝記ハケーンついでに何となく(リンクは面倒なので以下略)。割合変なものばかり並んではいますが、共通する「孤高、異端」という点がミソです。
 なお、サーバインはソフビモデルの最高峰としても有名ですが、製品としてのインパクトの方が多大なため一応解説しますと、オーラバトラーの生物表現は今池ズワースで初めて出た物ではなく、「イノウエアーツ→大上敦志(あちゃーカウンタ7999か…しかし有名だった人なのに回転少ない…)→野島ガッパ」と実用新案の積み重ねを辿った物です(この後、竹谷・究極のダンバイン出現)。つまり、生物的表現が絶対的セオリーである時代に、それを180度引っくり返した物を出した事を革新ととらえています。あとファティマに関しては、言ってる自分もほとんど覚えていないのですが、フィギュアに「肋骨」を付け(まあ今でこそ肋骨萌えは珍しくありませんけど)、アニメフィギュアの方法論を使わず長らく無視されていた永野キーアイテムであった「骨」を前面に出した事で俺的にリスペクト。なおモーターヘッド自体に関しては、「マイスター職人技スゲー」、「不可能の壁が破られた、天才〜」というのはあれども、あくまで神の掌の上での技術的進化であり、価値観の転換までは成してはいないという認識です(単に私のフシアナの目に見えていないだけかもしれませんが)。

 で、そもそもどうしてこれをやる必要があったのかというと、タコ評価にはアートのわからぬオタクである以上キャラモデル的位置付けをせざるを得ません。ですが、単に「巨大だからマンセー」というのでは大きさで勝る岡山ゼータはほぼシカトですから、「東京近辺に住む人が見物できたので単に高評価なのでは?」という疑惑が生じます(1/1だから偉いのだというのも理由として弱い)。また「鉄だから」というのも、キャラモデル界ではあくまでプロポーションが最重視であり、変則的素材というだけはキワモノ扱いがオチという感があります(ATモデルという狭い範囲だけで考えるのも違う気がしますし)。つまり要は、私の脳内では多少わかる(様な気がする)ところの、いわゆる「SMH誌的アートキャラモデル(うわーはずかし)」の系列上で扱わないと上手く配置できないので、その文脈を整理すべく俺的にアートなモデルを列挙したという次第です。仮にオタクではない人から「鉄ボトムズはスゴイのか、じゃあそれまでは一体何がスゴかったの?」と問われた時に、それを語れなくてはオタクとして話になりませんので・・・(まあここで、「タカラ1/24だ」と言えるのならそれでも結構なのですが、私には両者を同列には扱えませんし、500万のザクモドキオブジェや松戸の巨大ガンプラと比較するのも違うかと)。

 ただ、そもそも「アート」自体がオタクの自分にはどうもピンとこず(美術界を支配する3000人がアートと認める物が問答無用でアートなのだというのはさておき)、結局自分的アート概念のみで語る事になるものの文章力の根本的不足ゆえ上手く言語化できないのですが、何というか価値観を逆転させる事を主眼に置いた一発芸であり、作者自身に自己模倣されず、その後に実質的に続く者もいない(技術的に真似できない、もしくは単に忘れられる)、かつ時代性の枠を超越する(生まれた時代の評価基準から外れる)外道、鬼子的な物という認識です。
 なお正統美術として例を上げると、伊藤若冲の桝目描き(ギャラリーフェイク25巻参照、それ自体は一見どうという事はないが、現代作家の作品をタイムマシンで運んだとしか思えない代物)が該当、あと「たけしの誰でもピカソ」(今は全く見ませんけど)で最高得点を取った「鉄ボ」も脳内にビリビリくる所があるので、そういった一発ネタの様な物が自分的には結構アートな・・・って見てない人には全然わからないので、ぶっちゃけ言ってしまうと手前味噌200%なのですが要はウチのザメル写真館なんて結構俺的なアートな訳です、以上おわり。(うわー恥ずかしすぎ・・・)
 しかし、まあ毎度の事ではありますが、思いっきり勘違いした事を言ってる気も結構するんですよねえ、うーん・・・。



2005/5/26
生存報告日記

 やっぱりキーボードが違うと打ちにくい・・・。自業自得というかツケが噴出しメインマシンは相変わらずなものの(ブートレコードが書き換わったのかIMEもズタボロ)、まあエロ画像データは無事なので別にいいか・・・。(BGM・ヨガの眠り)


●はっ、これは

 普通のマターリ雑談展開状態・・・。しかしまあ、今更井戸の中で冷や水掛け専門のキャラを変える訳にもいきませんし電波日記を書いてる方が性に合ってるというのもありますが、「正統学会」という言葉が一人歩きを始めた時点で閉じた城壁に小さい風穴が空き、「好きな物が好きで何が悪いんだ時代」から、ガノタである事の後ろめたさ(ガンオタ・・・バッカじゃねーの?俺は!)を抱えた「ダメガノタ時代」の幕開けに一歩前進を果たした事により、計画の第一段階はひとまず終了ですかねえ・・・(BGM・氏ね氏ね団の暗躍)


●虫の気持ちは、虫にしかわからない

 しかし掲示板というのは実に恐ろしい面白いというか、「宇宙の神秘」なる言葉の飛び出した4/14の雑記(それだけを読むと意味不明の電波文章)では、知る者と知らざる物の間に横たわる海よりも深くて広い銀河(距離にして24万8千光年)の存在をまさか表現する事になろうとは自分の想定の範囲を完全に越えていました。しかし、宇宙の神秘に触れる事が果たしてガノタ的勝利なのかというと疑問が立ち塞がります。天使の魔法で「人間になった虫」は倖せか?人間になる事で新たな世界を知っても、今まで見えた物が逆に見えなくなるのではないのか?・・・まあ虫である以上答えは出ないものの別にいいか、結局虫は死ぬまで虫なのだし・・・。(BGM・タケシの宿命)


●「主張をした時点で世界の半分は敵になる」(オカノ通信)

 ・・・うーんカッコいい言葉だなあ、と、つらつら精読(リンクは面倒なのでググって下さい・・・しかし時々リンクしてる所くらいちゃんとチェックしろよ俺)。主内容はオタキング氏のオタク定義の補完といった物ですが、真のオタク(岡田・岡野定義)に対するライトオタクというカテゴライズは、「くだらなクラブ」さんの俺辞書の「虫」の定義に似た感があります(ただ、こちらは下位存在というより別の生き物に近いですが)。でまあ、自分としては「大人に子供の心がわかるとか人間に虫の気持ちがわかるというのは驕りにすぎない」という主張にならざるを得ないため多少困っている所なのですが、種を理解不能と無視する事でガノタとしての業を見つめる責任を回避する己のヌルさ加減は流石にいかがなものか、と現在猛反省中です。ウソです。(BGM・ミスターKを追いつめろ!)
※補足・一応自分のオタクの主観定義は、キモい事(一番重要)にプラス、「能力(スキル)を一切差っぴいたオタキング定義(子供向けを愛好する後ろめたさを抱える)+、「唐沢兄定義(ゴミをゴミとして愛する、手段が目的化した本末転倒)」+「斎藤環定義(二次元で抜く)」の意味付けの混合物です。よって、イケメンは鬼畜エロゲ5千本やってようが同種にあらず、でも幼女誘(以下暴言削除)。



2005/5/14
今日のパクリンク

 ニューズウィーク御大いんたびゅの邦訳。
http://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-186.html


●とーの0歳、突っ込まれる

至好回路(5/6を参照)
http://www12.plala.or.jp/sikoukairo/zakki0505.htm#0506
 うーん、「アニメブーム=ガンダムブームでありガンダムという遊びを消費してただけ」と山賀氏が昔コミックボックスで言ってましたが、自分の感覚ですと、「リアル」をアリバイとした「メカ戦争と美少女アニメブーム」が劇マクロスとダイコン4で山の頂上に達し、現在はエヴァを基点にした「アリバイ無き萌えブーム」が平地をゆくあてなく皆手つないで歩いているというか・・・(そういえばコミパのコスプレ話、ギャルズブラボー2とかぶってたなー)。
なお、このサイトでは「エヴァ前夜はアニメ史的空白だったか?」がわりとおすすめです。
 http://www12.plala.or.jp/sikoukairo/90history01.htm


●「もしもコミケが100人の村ならば」、突っ込まれる

(2005/12/14修正)

http://d.hatena.ne.jp/ruku/20050430
 ちなみに私の感覚では、会場内でも日や場所によって比率が違うので信用しかねる物なのですが、晴海の頃は女性が7割以上を占めており、エバブームのあたりから男が比較的トントン近くまで増えてきた様に思います。また、聞くところでは地方のイベントは婦女子比率が圧倒的に高いそうなので、総体的な同人誌人口は女性比率は8割以上あるのではないかと見ています。

 で、話は逸れるのですが、ここで興味深いのが「江戸時代の浮世絵ユーザーの8割が女性」だったという事。ちなみに、江戸では男性人口が8割を占めており、これが出稼ぎ人口か元々の比率なのかはわかりませんが(手元の浮世絵本にそこまで書いてなかった)、それだけ男が多ければリビドー解消手段として・・・以下略。
( ※気になって検索した所、享保十八年の人口調査で100対57.6、以後徐々に女性比が増えていったとの事。http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/suugakupazuru/diary/200209
 当時春画は御法度なれど裏では結構流通していたそうなので、二次元萌えが江戸に集中していたと見て間違いないでしょう・・・は冗談ですが、とにかく独身男のエロ本需要があったと考えられます。つまり、「東京のオタク男性人口比8割」によって、本来の圧倒的な女性比率がコミケでは緩和されているのではないかと・・・まあこの8割というのは勝手な思い付きにすぎませんが、そう考えると辻褄が合う様な。

 なお、結局浮世絵自体は、明治に入って文明化して庶民に忘れ去られ、海外のヘンタイさんアートコレクターのお陰で、萌えない燃えるゴミにされたり震災や空襲で燃える事無く散逸した救われたのは御存知の通り・・・と、ここで必然的に思いつくのが、ブクオフで叩き売られている様な古エロマンガや古同人誌の輸出ビジネス(あ、ブクオフは既に海外進出してたか)。ただ、向こうの萌え感覚が「20年遅れている」と甘く見るのもいかがなものかという感もままある訳ですが、じゃあこっちはどうなのかというと、ヤフオクの18禁を見たりすると「エバ、女神様、ほたる」がいまだにメジャーアイテムという10年遅れたウラシマ世界なので外国と50歩100歩。という事で、「村上隆の1/1ひぎゃーが80年代センスなのはエロ模型的に見て正しい!」という結論に至った訳ですが、実際の所はどうなんでしょうか、おしえてエロい人・・・あ、いやその、これはエロ話じゃなくて、あくまでアートな、だから文化的な話なんですってば、ハイ。


●タコ御神像を参拝

 リアルよりリアリティーがリアルな時代。松戸の1/1ガンプラで、リアルサイズである事が必ずしもリアリティーを持ち得ない事が判明し、オーバーディテールとウェザリングで映画のプロップの如くリアリティーを過剰投入するしかないのかと思っていた矢先に、見事に示された抜け穴的リアリティーを持つ鉄のオブジェの表面には、思わずハンマーや爆薬であちこち凹ませたくなる衝動に駆られました。ただこれは素材の勝利(ボトムズとのマッチング)による部分が大きく、もし本体全体にペイントが施されていたとしたら、ただのハリボテに成り下がってしまいリアリティーを持ち得なかった可能性は高かったと思います(ちなみに下に置いてあった銃にはハリボテオブジェ感があり、質感リアリティーもそのフォローに寄与しきれていませんでした)。

 プロポーションに関しては、場内では胸がドラム管みたいで設定と違うゾとチラホラ囁かれていましたが、確かにガンプラリファインの方法論では、カトキザクみたいにレッドキング効果を入れたアレンジが主流であるため、時代の流れとは逆行しています。ですが、「ATはリアルロボットの究極などではなく、実はヤッターマンメカの子孫のファンタジーメカ」と逆転して考えられるため、「Ver.Ka」みたいな体型にするよりも、上半身肥大の漫画的アレンジの方がしっくりきます。
 ちなみに大河原氏のタコの初期イラストが思いっきりタツノコテイストですし、良く見ると他の車両もウラシマンのマグナビートルみたいなイイ感じで、実在兵器の文法を持ち込んで「リアル」とするのは逆にボトムズの本質から外れている・・・とは若干言い過ぎですが、変化球としてアリではないかと長いこと思ってましたので、あのアレンジの方向性は間違っていないと個人的に思います。

 ATの設定に本質的リアルを追求するとあちこち破綻すると知りつつも、水戸黄門のごとく愛でるのが老オタクのたしなみでしょう(そういえばSF3Dもそうで、中に人が入れないぞと突っ込む野暮はタブー)。そこに必要とされるのは、カトキハジメかときはじめではなく小松崎茂的方向性のみであり、そう考えると唯一許される変化は「退行」しかありません。1/1ガンプラでは、俺ガン度をゼロとして万人から嫌われない事を狙ったものの、八方美人的な無難な物は結局強い支持を得られないのが宿命です。しかしタコは俺タコが存在しない、できない、してはならない世界のために大河原デザインのままなのが全員マンセーであり、しかもモデラーの「アート作品」としての評価が加わるためもはや無敵状態。よって、これに正面から対抗するにはアートとしてのプラスアルファも必要であり、無論アートの掟として同じ事をするのは許されませんから、残る手は実際に動かすとか(岡山Ζの様に仕込んだというだけでは無意味)、大量のカブトガニの甲羅を加工してオーラバトラーを作るとか、ガラス職人がクレアやクリスタルボーイを作るとか、神輿職人がヒオウ戦記の(略)。あ、という事は三菱重工がガンダムを作るのは「アート的に正しい」訳か、なるほど・・・。


●ダメヲタ日記

 あー、マシンが不調というのはこうも苛立たしいものだというのか! デフラグでも改善せず、結局再インストールしかないのか、うーDVD-Rに大量のエ(削除)焼くの面倒だなあ・・・。 食玩はゲルググMが3連続で欝(もうダメぽ・・・やはり出はじめに押さえないと)。 タコ像参拝の後は神保町の書泉ブックマートとグランデに寄った後、サブカル系古本屋で角川ΖΖ本、ザンボットのRA、ペッパーショップ2号を入手。古いムックで「金次第でいつでも買える物」はスルーしてきたものの(置き場も無いし)、やはりガノタである以上いつかは買わねばならない物のため、早く押さえるにこした事はなさそうで。[



2005/5/6
ヒント

「本 3000円 発行年月2000年 GUNDAM サンライズ」



2005/5/5
今日もまた 日記を書いては ボツにする

 あー案の定・・・。ええとまたも念を押しますが、そもそもこのサイト自体が私の脳内妄想による架空の産物であり、またこの私自身も架空の存在ですのでよしなに。しかしまあ、基本的に世の中には「言っていい事と言っては悪い事」というのがあって、その禁を破ると微妙な世の中のバランスが崩れて後で後悔する羽目になるのを実感するのが怖い今日この頃でして、無論老い先短い私の身などは別にどうなろうが構わないのですが、他人様に被害が及んでしまう事はどうしても避けたい訳で、その点をどうか汲み取って頂きたい訳です。

 えー、しかしあんまり更新をサボるのも流石に何ですので、とりあえず今日は元裏日本工業新聞さんにリンク。5/2の日記でバンダイの例の件について多少触れられています。
http://www.asahi-net.or.jp/~WF9R-TNGC/nikko.html



2005/5/3
更新頻度ダウンのおしらせ(やる気がない言い訳)

 ええと、元々この雑記の内容は事実を織り交ぜたフィクションであり、雑記内における小説ともなれば更に完全なフィクションですので、くれぐれも実話と勘違いされない様にお願いします。また、先月は雑記の更新速度がリミッター解除モード作動により通常の3倍だったものの、このままでは単なるシモネタサイトになってしまうので今月からはペース自粛します。ええと要は、人生の勝ち組の方や勝ち組を目指す方は私の負け組サイトなぞをこまめに見てる暇は絶対にないはずですので、貴重な時間を有意義にお使い下さい。
 ではどう使えばいいのかというと、例えばそうですね、水道橋のスコタコ見物13日12日までですのでお早めに。ウェブならガイナックスのトップ絵の城次おじさんが素敵ですが、すぐに変わってしまうのでお早めに。糞ボルト氏のラクガキ道場も、現在鉄人祭りのログがかなり流れているので、MH祭りのログ保存は今のうちです・・・で、ここでオレ格言を一つ。

「最も貴重な情報とは、質の如何を問わず消えてしまう直前の情報である」

 ・・・多分大昔に誰かに言われていそうな気がしますが、まあ個人的な実感という事で。


●「萌え語源」の続き

 あれからいくつかのぞいて回った所、トーノ0歳さんが草の根BBSの一つを検証されており、とりあえず土萠ほたる始祖説は否定されたと見て良いかと。全くオタクとして頭が下がります・・・。
http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20040319111135
http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20040320145725
なお、他のコンテンツを見ようとしたら膨大すぎて何処から手をつければいいのかお困りのガノタの方はこちらからどうぞ→トーノZERO

 しかしまあ、この問題には一般人には全く手も足も出ず、できる事と言えばせいぜい国会図書館でニフティサーブのデータライブラリの本を片っ端から・・・などとゆうあまりにも不毛な事を行う人が今後続出すると日本の経済力の損失に繋がる可能性が高いので、「鮪系か、懐かしいなあ」というオヤジの方は日本文化、いや世界文化貢献のため今すぐ・・・って、そこまで濃い人はこんな場末のサイトを見ているはずが・・・
・・・と他人に期待するだけではいかんと取りあえず知ってる老兵の名で検索・・・ダメだ、上手い人ほど早閉じするなあ。じゃあ次はもう少し範囲を広げて感想職人の方も・・・お、NAN's HP ラボSYSTEMさんがまだやっておられる、もし鮪と関係があったら(多分無い)9年前にオフ会でスケブにカッチョイイ絵ヘタレ画を一枚描いたのをネタに脅迫でき・・・ってそもそもそんな大昔の事覚えてる訳ないよなあ・・・あ、相変わらずアニメ感想書いてるのね・・・えぇっ、萌え戦場の最先端に参戦ですと!? とうとう春が・・・願わくば、氏にゴスロリの神の祝福があらん事を。



2005/5/1
●同人潰しと、業界人と、謎の悪意と


 以下、小説「弥二」今田勇著(双萌社)より抜粋。
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「何だこりゃ、高くてブ厚いだけのクソ本だ、20年間集めてきた中でも最低だな・・・」
 このジャンルで3000円という値段はかなり高い物と言えたが、値段に似合わぬ収録漏れのあまりの多さとデータのミスにも辟易としつつ、「私が選んだこの一冊」というコラムページにふと目をやった弥二は、一瞬自分の目を疑った。そこに短い文章を寄せているのはどれも業界の頂点に君臨する方々であったが、何故、その中に弥二の知人である「彼」がいるのか?

 実は、彼はこのメンツと肩を並べるに値する地位をもつ実力者だった・・・などという事は、弥二とはさほど深い付き合いがあった訳では無かったにしろ絶対にありえない。それに肩書きは「オーバー・ザ・レインボー代表」となっており、これは彼の個人サークル名である。ちなみにそこはオフセ本を出した事は一度もない「ピコ手」であり、言っては悪いのだが「弱小」サークルである。また、そもそもこのジャンル自体か即売会では比較的マイナーなジャンルであり、すなわち同人界における地位ですらゼロに等しく、すなわち弥二と全く同じ虫ケラの様な身分である。つまり「ファン代表」の断り書きも無くそこに肩を並べるのは常識的に見ておかしな事であり、他の業界トップの方々に対しても失礼に値すると言えるだろう。

 そういう訳で、彼に一体どういう事なのかを直接問い正したのだが、返ってきた答えは唖然とする物だった。彼は、その事を全く知らなかったのである。ただし、その文章自体は彼の物であり、大型書店のフェアのアンケート用紙に一筆書いた物だとの事(ペンネームを入れたのは同人の性として普通の行為である)。だが、これは「宝くじに当たったみたいでラッキー!(あ、でも原稿料もらってないな、謝礼でもいいから何か頂戴!)」などと単純に考える訳にはいかない。彼が彼の名で出した最後の本に、こうあったためである。

“知り合いの業界人から「二度と同人活動ができなくしてやる」と脅しを受けた。″

 彼の本の内容は、特定の信仰にあまりにも傾きすぎていた。だが、公平な視点を要求されるジャーナリストやライターならいざ知らず、同人が盲目的信仰をして悪いはずがない。ただ問題なのは、「これが最高で他はクソ」という彼の排他的姿勢がどんどん増していったため、いすれ同ジャンル内でトラブルを起こす可能性が高いと思われた事である(ちなみに「やおい」において、カップリングの相違による抗争は茶飯事である)。そして案の定、実際にいくつかの批判の声を弥二は耳にしていたし、弥二の意見もその批判者と同様であった。だが、現実に脅迫云々というのは、いくらなんでも被害妄想だろう、とうとう電波を受ける様になったんだな・・・と弥二はてっきり思い込んでいたのだ。そして、事実を知った弥二の脳裏に浮かんだのは次の言葉であった。

「私は君の意見には反対だが、君がそう発言する権利については私は命をかけても守る(ボルテール)」

 知ってしまった以上、もはや手をこまねいている事はできない。世間に広く真実を訴えて、この本で生じるであろう彼に対する誤解を解く事。それが同じく追放を受けた身である弥二にできる唯一の事であり、また同時に復讐でもあった。当時の弥二は、「自怨通信」というA4両面のアジペーパーをそれまでに8号ほど出していたので、迷わず「号外」を作成。しかし、それを彼に郵送で送った後、弥二と彼の関係はそこでぷっつりと終了した。まあ「本人にとって触れられたくない事」を暴露した訳だから、傷に塩を塗るどころか開いて肉を抉り出す様な物で、これは無理もない事ではあるが・・・。なお彼はその後、東京を離れ故郷に一年間戻っていた様であるが、再び東京に来てコミケにも戻ってきた事を知り、弥二はほっと胸をなで下ろした(もっともサークル名とペンネームは別の物に変わっていたが、やっている事は全く同じであり、新たな名前を聞いただけでも一瞬で彼だとわかる)。

「晒し者になり、潰される恐怖」・・・オタク系ホームページに多い「無断リンク禁止」の背景にあるのはこれだろう。だが、「潰されるのではなく、自らが勝手に潰れてしまうのだ」と弥二は考える。本来、物を表現するためには「強き心」が必要であるが、それを認識している人は極めて少ない。だから、多少のクレームを受けた程度ですぐにサイトを畳んでしまったりする。しかし、そもそも出版社ですら家族3人の「黒人差別をなくす会」の電波抗議にヘーコラし、テレビや大新聞すら同様であるから、もはや何をいわんやである。世の中の「タブー」なる物は全て、人の弱き心が作り出した虚像にすぎず、それをゲリラ的に破壊していく事、それこそが弥二がアジビラを作る真の目的だった。

 なお、このビラの号外号自体は、すぐに散布を止めたため出回った数は極めて少ないものの、この世界は思っているよりも案外狭い。よってこの事実の暴露はイコール、その本の編集スタジオに喧嘩を売る事であり、イコールこの世で最大の権力者を敵に回したに等しいと言えるだろう。この世界の頂点にいるのは確かに「神」ではあるものの、弥二の研究分野においては神は完全に無力な存在にすぎず、「歴史全てが黒き夢、黒き幻なり」と愚痴を放つのがせいぜいであった。
 つまり、最大権力者に取り入り歴史に名を残す事こそが全ての研究同人が夢見る終着点である以上、これは弥二にとって未来の可能性を自ら摘み取ったに等しい。もしも己の妄想が万が一歴史に刻まれそうになったとしても、「阻止」されるのは間違いないからである。だが、阻まれるという事は逆に、その妨害をたった一つでもすり抜けられれば「こちらの勝ち」だ。

 グーテンベルグの人生は、印刷機の発明(著作権の概念もこれによって生まれた)以外は負け続け人生であり、最期は樽に押し込まれて窒息死したとも伝えられる。だが、例え生きているうちに何ら勝てなくとも、十年後、百年後、2320年後であろうとも、要は最後に勝てばそれで良いのだ。
 弥二は老い先短い身であるため、生きている間に良い目を見る事はもはやありえない。だが、死後長い時が過ぎて、もはや阻止する者も誰もいなくなれば、かつての自分の声が届くか、もしくは偶然同じ妄想結論に至る者が必ず現れるであろう。かくして弥二の霊はその時をして「負けガノタ」の怨念から開放されて成仏し、涅槃へと至る事は天に約束されているのであった。アーメン。
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※上の小説の内容は120%フィクションです。




 zakki 
05-04   Zakki   05-06

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