ファースト・ガンダム北米敗退の理由


パトリック・マシアス、町山智浩「オタク・イン・usa 愛と誤解のanime輸入史」(大田出版)より抜粋


ファースト・ガンダム北米敗退の理由 ガンダム北米敗退の原因を探る ガンダム文化の北米上陸は可能か


2009/10/25 (2012/8/8訂正)(2021/11/12訂正)

アメリカのトイザらスにザクレロを見た


(p157割愛、p158〜p164)

 80年代、『超時空要塞マクロス』のテレビ放送で日本のアニメに魅了されたアメリカ人は次々とアニメ・サークルを結成し、日本のペン・フレンドを通じて入手した字幕無しのビデオを観て、ガンダムの世界と出会った。
 「最初はたいてい『Ζ』や『ΖΖ』から入って、次に遡ってファーストを観て、日本のファンと同じように、富野監督と宇宙世紀シリーズを崇拝するようになった。僕もそうやってガンダムファンになったんだ」
 そう語るのはマーク・シモンズ(三十四歳)。彼は英語圏におけるガンダム・シリーズの権威だ。
 彼は1998年からバンダイ・アメリカのコンサルタントとして、アメリカ向けにガンダム・シリーズの脚本を編集し、オモチャやビデオに添付する解説書などを執筆し、ガンダムの英語版公式サイトのメインライターを務めている(www.gundamofficial.com)。
 しかし、ガンダム・シリーズが長らくアメリカで放送されなかった頃、マークのようなファンは、自分で必死に英訳した資料から知識を得るしかなかった。マークは、インターネットで自分のファンサイト「ガンダム・プロジェクト」を立ち上げ、それは英語圏における最も人気のあるガンダム・サイトになった。そして98年、マークはバンダイ・アメリカからオファーを受けた。バンダイの新ビジネス「アニメ・ヴイレッジ」に参加してほしいというのだ。

 「それはバンダイ商品を売るオンライン・ストアだったけどね」 マークは言う。「ちょうど例のドット・コム・ブームの真っ最中だったんだ。当時花形だったインターネット・ビジネスのコンサルタントがバンダイに雇われたんだ。で、そいつが 『オンライン・コミュニティを作りましょう。そしてアメリカのアニメ産業を支配するんです』とか言って売り込んだのさ」。
 「アニメ・ヴィレッジ」の最初の商品はガンダムのVHSビデオテープだった。「機動戦士ガンダム』の劇場用映画三部作と『0080ポケットの中の戦争』、それに『0083スターダストメモリー』である。
 「どれも英語字幕をつけただけだった。ターゲットはハードコアなアニメ・ファンだったから、莫大な費用のかかる英語吹替をしなかったんだ。けれども後にバンダイは、一般市場に進出するために英語吹替版を製作することになる。ガンダムがアメリカ市場に本格的に乗り込むことになったんだ」

 カナダで製作された『0080』と『0083』の英語吹替版は、原語版に非常に忠実なものだったが、別のスタッフが作った劇場用第一作の英語版は、アメリカの市場に合わせて内容が作り変えられた。「やつら、やらかしてくれたよ」その英語版を思い出すと今でもマークは怒りを隠せない。なにしろ初めてザクを見た時のアムロのセリフはこうだった。

 「ジオンのロボトン・インベーダー軍団だ!」

 ロボトンだけじゃない。ガンダムのリアルな世界観とは無縁のダサいSF用語が全編にちりばめられていた。「やつらは“フェイザー”とか“トラクター・ビーム”なんて言葉を『スター・ウォーズ』あたりから引っ張ってきたんだ。たとえばシャアが一つの戦艦から別の船に移るとき、『トランスポーターにビームで牽引された』というセリフを加えてるけど、それじゃ『スター・トレック』だ。奴らはきっとれはSFだよな。じゃあもっとSFっぽい言葉を入れちまおう』って考えたんだよ」
 自らの宝物を傷つけるようなことをバンダイがどうして許したのか? 「きっと誰もチェックしなかったんだろう」マークは言う。「そのサンプルを発売前に見せられたときのことを覚えてるよ。僕は『こりや、ダメだ。最悪ですよ。誰かに見せたほうがいいですよ』って言ったんだけど、こう言われたよ。『台本をチェックするために実習生を雇おう。次の映画のために……」。

 劇場版二作目『哀・戦士』と三作目『めぐりあい宇宙』の英語吹替版は99年にリリースされた。吹替の質は高かったが、もう遅かった。陳腐なSF用語満載の第一作の印象がすでに植え付けられてしまっていたからだ。
 その後、アメリカにおける日本アニメ市場は大きく変化した。『セーラームーン』と『ドラゴンボールZ』が巨大な視聴者をつかんだからだ。そして2000年、『ガンダムW』がカートウーン・ネットワークで全米に放送されることになる。
 「この日を、僕らガンダムファンはどれほど待ち望んできたことか。ガンダムの全米放送の実現は、ファンダムのビデオ上映会やアニメ・ヴイレッジのビデオ通販とは比べ物にならない規模の衝撃だったよ」

 『ガンダムW』は、同局の番組中ナンバーワンの視聴率を記録した。「カートゥーン・ネットワークの視聴者たちは日本製アニメに餓えてたんだ。それに 『ガンダムW』は、十五年以上続いている宇宙世紀ヒストリーから独立した作品なので、初めてガンダムに触れるにはちょうどよかった。巨大なバックグラウンドを知らなくても楽しめるからね。何よりも大事なのは、『ガンダムW』はものすごい数の女の子のファンをつかんだってことさ」
 2000年当時、アメリカのティーンエイジャーの少女たちは、バックストリートボーイズやインシンクなど、日本でいうジャニーズ系の少年アイドル・グループに熱狂していた。『ガンダムW』 の美少年パイロットたちは、アニメファンでも何でもない、少年アイドルのポスターを勉強部屋に貼ってるような、ごく普通のアメリカン・ガールたちのハートをつかんだのだ。

 「『W』のファンは女の子のほうが多かった」。マークは言う。「ティーンエイジャーの女の子たちは美少年キャラに夢中になった。そんなことはそれまでアメリカではなかった。『きゃーっ、このアニメのキャラってチョー美形じゃん!』ってね」。
 とはいえ、男の子にファンがいなかったわけじゃない。その証拠に『ガンダムW』のオモチャは大成功した。「バンダイはアメリカ市場限定の『W』商品を開発した。これが本当によく売れてね。仕掛人はバンダイの岡崎さんという、僕より重症のガンダムおたくで、自分のガンダムを作るという子供の頃の夢をかなえたんだ。彼が作った『ガンダムW』のモビルスーツは『ドリームプロジェクトという名で日本でも売られたけど、アメリカ人のほうが先にそれを買うことができたんだよ」。

 カートウーン・ネットワークの日本製アニメ・セクション「トウーナミ」のクリエイティヴ・ディレクターであるショーン・エイキンスによれば、バンダイは『W』の後にシリーズ一作の放送を熱望したという。これで宇宙世紀サーガをアメリカに上陸させ、「後続するシリーズへの扉を開けることになる」からだ。「当時の日本のバンダイは『今こそファースト・ガンダムを投入しろ! この好機を逃すな!』って勢いだったね」。マーク・シモンズは語る。「そしてモビルスーツのスケール・モデルやアメリカ市場向けのアクション・フィギュアなど最高の商品をえたんだ」

 2001年初めのトイ・ショーでアムロ・レイとセイラ・マスを見てから半年後、真夏のサンフランシスコで、僕はトイザらスをのぞいた。親子連れをよけながらいつものようにアクション・フィギュア売り場に行くと、売れ残りの『ファントム・メナス』フィギュアの山の向こうに、アメリカでは見たことのないものがあった。
 ザクレロだ。
 4・5インチフィギュアのコーナーには、ファースト・ガンダムのシャア大佐やノア・ブライトも並んでいた。まるで7月にクリスマスが来たみたいにうれしかった。喜んでるのは僕だけだったが。
 そしてついに元祖『機動戦士ガンダム』が『W』と同じ午後5時の枠で放送された。最高視聴率は1・1パーセント。アメリカでは百万人が観た計算になるが、これは大苦戦だった。同じ時間枠の『ドラゴンボールZ』の再放送よりも42パーセントも落ちたのだ。

 なぜ、『ガンダムW』のファンは元祖ガンダムを観ようとしなかったのか? 「日本で崇拝されているアニメに、アメリカ人も同じように熱狂するとはかぎらない」。ファースト・ガンダムの英語台本の編集も担当したマーク・シモンズは分析する。
 「現実的な話をすると、オリジナル・ガンダムはもう二十年も前のアニメだ。現在のアニメ、特に『ガンダムW』などと比べるとビジュアル的に明らかに見劣りする。日本製アニメのファンが期待するような流麗さはない。まるで、『ネクスト・ジェネレーション』で『スター・トレック』 のファンになった人にオリジナルの『スタ・トレ』を見せるようなものさ。ガンダムの偉大な二十年間に追いつくには遅すぎたんだ」

 結局、ファースト・ガンダムは全話を放送する前に力尽きた。放送中止になったのは、9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルが倒壊した日。それ以来、ガンダムはアメリカのテレビに戻らなかった。「子供たちに戦争を見せるのは無神経だ、ということになったんだ」。マークは言う。「でも、もし視聴率が良かったら、すぐに放送が再開されたはずだよ。だって、カートゥーン・ネットワークは9・11テロの直後に「ガンダムW』の再放送を始めたからね。『W』は少年テロリストたちの話なのに。要するに『W』のほうが儲かるってことさ」

 がっかりしたのはマーク、それに僕のような古参のアニメファンだ。僕らは二十年も元祖ガンダムを待ち続けていたんだから。「バンダイが売り出した素晴らしいガンダム商品はオモチャ屋の棚にあふれた。アメリカのオモチャ業界は末期的になっていて、大量生産して一斉にブロックバスターを仕掛けて売り場を席捲するけど、全然売れなくて結局安売りワゴンで叩き売られる。『ファントム・メナス』もそう。ファースト・ガンダムもそうなってしまったんだ」。

 それから一年後の2002年8月、カートウーン・ネットワークはまたもガンダム・シリーズを放送した。『Gガンダム』である。
 「もっと今の視聴者が求めるアニメじゃなきゃ、ってバンダイは考えたのさ」。マークは言う。「宇宙世紀サーガはあきらめて、とにかく子供を興奮させるアニメをってね」。
 バンダイは『Gガンダム』に登場するすべてのモビルスーツを商品化した。視聴率は悪くなかった。『G』は最終話まで全部放送れたが、『W』ほどの成功ではなかった。だから、今でもアメリカ人にとっては、「ガンダム」といえばまず『W』なんだよね。



(※082戯言) ガンパラ雑記-3 2009/5/30に事実誤認がありました・・・という訳で「ちゃんと原典に当たらねばダメだの鉄則」を痛感し、前置きを省いたほぼ全文をうぷ。ガノタ文化的に非常に重要なテキストで、なるほどバンダイのこの間の「ガンダム婦女子狙い化宣言」もむべなるかな。


2012/8/8

 以下の誤記の訂正を行いました。謹んでお詫び申し上げます。

そしてついに元 → そしてついに元祖
gundamoofficial → gundamofficial(リンク挿入)
ンダイは『Gガンダム』に → バンダイは『Gガンダム』に


2021/11/12

 Twitterで御指摘を受け、以下の大量の誤記の訂正を行いました。謹んでお詫び申し上げます。

奴らはきっとれはSFだよな。 →奴らはきっとこれはSFだよな。
『ドリームプロジェクトという → 『ドリームプロジェクト』という
シリーズ一作の放送を → シリーズ一作目の放送を
最高の商品をえたんだ → 最高の商品を揃えたんだ
最終話まで全部放送れたが → 最終話まで全部放送されたが

 ※出典は発掘できず非参照。「誤字は一箇所見つかれば30箇所ある」の法則が…(汗)


Library  
Library ガンダム敗退の原因

G_Robotism