「タメオタデムパ・ネガティブ〜心はいつも中二病〜」は1月末日をもって終了、
今後はただのヘタレロボサイトに戻って静かな冬眠に入ります。
今までの御静聴ありがとうございました。
昨年2月という事は、岡田氏の発言以前なのでどうやらこれが「ネットにおける言及ゲーム第一号」ですかですねえ・・・(仮想の相手はオカノ氏?)。しかも、この時点で最終結論までも出てるという・・・これぞまさしく「はじまりはおわり、おわりははじまり」。おあとがよろしいようで・・・チャン、チャン(終了)。
(2/3微変更)
トップ画像をトホホな犬に更新、どう見ても首吊りです。本当にあ(略)。
(※以前の画像はこちらに入れました→トップ画像倉庫)
ええと、もし御覧の方の中に「毎日学校でいぢめられるので氏のうかなー」と思われている方がいましたら、下のサイトの方が相談に乗ってくれるそうです。
LAYちんのよもやまよもやま(アニメとか格闘技とか漫画とか映画とか愚痴とか・・・)
http://plaza.rakuten.co.jp/steelfaith/
ここで瞬時にバックボタンを押したくなる方は多いかもしれませんが、その判断は早計です。ウチはガノタサイトは基本的に紹介しない方針ですが、久々に見かけた「黒ガノタ」であり、その黒さに関しては保障します。
なお、別の理由で氏にたくなってお困りの方は、おとぎ話の虚飾にまみれたこの世界に絶望するその前に、昨日紹介した分裂勘違い君さん(しかし凄まじいトラバ量だなあ)を見るなり筋少聞くなりして黒き絶対真理に到達し、公表してからにして頂けると、後に続く者が助かります。あ、でも良く考えたらウチのお客の大部分は幸福な群生種族たる白ガノタなので、別に心配なぞいらない様な・・・。
烏蛇ノート - 「オタク」のアイデンティティを巡って(2) |
汎適所属 オタク趣味以外にアイデンティティを補強する手段を持たない人達 |
あう、とっとと見ておけば良かった・・・。どうみてもオイラごときが出る幕はカケラもないです、本当にありがとうございました。当『ダメオタデムパネガティブ〜心はいつも中二病〜』のオタクテーマは今度こそ本日をもって終了します、多分。
上の「シロクマの屑籠(汎適所属)」さんの繰り返し繰り返し言う所の「コミュニケーションスキル」というのが、人類の頂点にタモリやさんまがいるみたいで引っかかる方は下をどうぞ。
分裂勘違い君劇場 |
ちなみに「空気」の名付け親は、かの有名なイザヤベンダさん大先生だそうです(そういえば高校生の時「にせ日本人とユダ〜」読んだっけなあ)。しかしまさに絶対真理で、他にも山の様に真理金言がありましたので今日からアンテナに編入です。
内田樹の研究室 |
うむう、少なくともオイラに愚衆を笑う資格は一片も無し・・・。
納豆疑獄とメディアの凋落 http://blog.tatsuru.com/2007/01/21_1029.php
テレビが消える日http://blog.tatsuru.com/2006/11/21_1013.php |
うむう、テレビの強さの本質は「チャンネル数が少ない事」(すなわち共通言語)なので、そこさえ守れば日本人が(略)な限り安泰とは思いますが。
内田樹の研究室 |
私の見るところ、「チネル」から「ガノタ」へのテイクオフは1990年代後期のオタク文化の「エヴァ楽園消滅」に対する反動である。
たけくまメモ 米澤嘉博氏、逝去 |
うむう、しかし、ねらーの神はこの先どうなっちゃうんだろ・・・。
『嫌オタク流』大田出版 P129 より引用 |
んむう、この「オタク」は「ねらー」にも置き換え可能ですねえ・・・もともとこの本はでは「オタク=日本人」と見ている様なので、「日本人=ねらー」という訳で、今はまさに一億総2ちゃんねらーという感じですし(何をイマサラ)。いや、そうでもないな、半分くらいかも・・・ヤンキー比率多高いし。
おたくとオウム 斎藤環 |
「正統な共同体」は依然として、より隠微な形で延命を図っているのではないか。「設定全肯定」や「考察ルール」といった虚構が力を持ちうる限りにおいて、こうしたメタ・レヴェルの共同体意識は、すべての細分化したガンダマーを、あたかも「共通言語」のように上から覆い尽くす。(中略)
運営人がここで「ガノタ学者のためのスキル」として強調しておきたいのは、以下の三点である。「型式番号」を含む多数の虚構設定をスーパーフラットに等価ならしめる、唯物論的な基盤を忘れないこと。設定解釈レヴェルの的確な判断力と、いつでもメタ考察へとジャンプしうる柔軟性を鍛えておくこと。解離した妄想に自閉せず、諸ガノタ学者間の交流を回避しないこと。
Web草思 オタクとは何か? 大泉実成 |
うむう、かんじんな所で・・・次の更新まで一ヶ月待つしかないというのか!
Zatsubun ほとんど何がしかのリサイクルです・・・。
http://d.hatena.ne.jp/motonaga/20061215
ぐうっ・・・(←数秒間言葉に詰まった擬音)
ミラクルミラクルハウス改め魔城ガッデム・ダメゼッタイ。 |
オタキング定義のエリートオタクって見た試しがありませんが、こういうのなら・・・っていうかそもそも自(以下諸事情により略)
モノーキー |
一応、人類最初にメタ・ダメガノタを自称する者としてはここで何かを言うべなのはやまや(以下都合により略)
BLUE ON BLUE(XPD SIDE) |
なーんだ、わかってる人も実は結構いるんですねえ。ちなみにウチのバーザムコンテンツ(グーグル順位はウィキに次いで2位)がまさにこれで、メタメタ優越感の塊! そして「ガノタ界最狂」という事は要は日本一のキモガノタなのでして、あー全くキモキモ、るりあ先生のおっしゃるとおりで・・・あ、「全方位キモオタ」っていい語感だな、流行るかも!(←んなわけナイ)
だめだ、昨日の文章のオチが付いてない・・・結局「失った物」って何なんだ? 単純に「取り戻せない過去=若さ」なら、そんなのはお地蔵様にでも願(以下略)。ちなみに私にとっての「こなかった未来」とは、ハルマゲドン後の廃墟世界で、暗黒魔術結社に超能力前世戦士が・・・まではいかずとも、副都心は荒廃してスラム化が当然デフォ(水没も可)。もうアイタタすぎですが、まあ所詮夢は夢、実現させようなどしたらオウムになっちゃいますし。
しかし「来る時代、拒まず」と言っていたはずのオタキングがなぜアジる必要があったのか? いや、ぶっちゃけそもそも「オタク学入門」の定義自体が嘘で、あんなエリートオタクなんて何処にいるんだよ?俺の周りにはヌルオタしか見えねーぞと当時ギャンギャン言われてたっけな・・・と言ってしまうと一言で終わってしまうのですが・・・・・あ、今終わっちゃったよ!
続ドクバリニッキ - オタクの定義化 |
うーん、わかりやすい。結局の所、「定義、分類」を行う資格を有するのは「外部」なのです。前にも言いましたが、ゴキブリが「ゴキブリじゃ嫌だ、改名しろ!」とか言い出したら学問は成り立ちませんから。
おたくの旅路 自称オタクと他称オタク |
「ガイナックスはオタクの会社です」と紹介しても別に問題ありませんが、「サンライズはオタクの会社です」と言うと失礼にあたります。岡田氏は「オタクの王様」でも、手塚氏や宮崎監督が「オタクの神様」と呼ばれる事はありません。ただし、手塚先生は映画オタクでして・・・や、監督は実はミリタリーオタクで・・・というのはオッケーですが。本業ではなく趣味にうつつをぬかすというネガティブな行為に対してのみ、マスコミはオタクという蔑称を与える事ができます。
よってプロであれば、それが本業でさえあれば、社会から「オタクの蔑称」を受けることを免除されます。まあ「名誉白人」みたいなモノですかね・・・。いや、一般的区分というだけでなく、本質的にオタクではなく「あっち側」の存在なのかもしれません。王様は御存知ないかもしれませんが、オタクな飲み会、オフ界等で定番の様に出てくる愚痴があります。
「面接官が開口一番、ウチにオタクはいりません、ってさ」
「あー俺も言われたよ、業界関係受けにいくと決まって出てきたよな、それ」
自らの本質(オタク)を他人に隠して生き続けるか、カミングアウトして後ろ指を差され続けるしかない者、つまり負け組オタク(の年寄り)は、「奴隷」の様な物です・・・奴隷の気持ちは、奴隷にしかわからず。
かつて、ヤマトのプロデューサー、小学館、コナミ、そして認天堂の社長はオタクではないどころか「同人の敵」として立ち塞がり、サンライズもガンダムサイトの敵となりました(警告例はない様ですが)。つまりここで、ガイナックスが、そして岡田氏がオタクである理由を「そう自称しているから」だけではなく、決定的に違う部分はどこにあるのかと考えると、以下の答えが得られます。
オタク=アマチュア(精神)
つまり、プロは社会的にはオタクじゃないのですね! でも、商業誌の連載を落として同人誌を出すとオタクへと堕ちてしまいます。つまり、連載がああもわざと落ちるのは再びオタクに戻るための意思表明であり、神聖なる儀式だからなのです(←そーか?)
なおオタク的には、オタクは心が広いので自称すれば無論「こっち側」です。このオタク的境界線では、アマもプロもありません(なお、オタクは同族を一瞬で嗅ぎ分けるため、「あの先生はオタクだろうか?」などと悩む事はありません)。
しかし、そもそもプロとアマの間には「越えられない壁(大きな違い)」があります。よって「俺も所詮みんなと同じプチなんだよ」と言われた所で、「副業だけで食える者とは、プロクリを更に超えし超存在ではないのか?」との疑念は拭えません。岡田氏自身は「プチクリ」ではなく、「プロマルチクリ」と呼ぶ方がふさわしい気がします。
アマゾンのレビュー |
結局、「お金」こそが「社会的蔑称を免除されるか否か」を大きく隔てる勝ち組オタクと負け組オタクの違いであり、これぞまさに「オタク格差社会」です。所詮ダメオタ何をやってもダメであり、そして一生一人きり・・・
・・・と愚痴ってはみたものの、やはり定義自体が「蔑称」から「二次萌へ」へと変わっていくに一票。
では、そろそろここいらで最後の締めを。
『ロケットで天高く昇る事にロマンがあった時代を生きた老人が嘆き、バベルの塔の建設が止まる。神は去り、言語は混乱して、人々はバラバラに散っていく。人は天の高みにはもう登れないけれど、建設の苦役からは開放された。もう、皆が一つにならずとも我々は生きていけるのだ。夢は終わってしまった、Otaku is dead. おしまい。』
オタク・イズ・デッドと、多分ワンセット。オタク・イズ〜を、「オタクが死んだんじゃなくて、単に裾野が広がったせいで見えにくくなっただけでしょ。大体王様って言ってもゲーム王でも萌え王でもないし、オタク学入門も今では通用しないし、要は時代に付いていけなくなった老人が僻んでるだけだよ」・・・でこのまま終わらせてしまうのは勿体ないと思う方は、以下の駄文におつきあい下さい。
オカノ通信 |
うーん、結局「アニメ新世紀」って来なかったよねえ(じみじみ)・・・という感じでしょうか。「我々がガンダムにあれほど熱狂したのは、ガンダムが来たるべきアニメのプロトタイプだったからだ」と誰かが言ってたのを思い出しました。しかし、やってきたのは新たな時代では無く、王立は不入りで庵野氏絶望、そして結局「メカと美少女」(見てるだけの戦争とセックス、つまり快楽)だけが残った訳で・・・。
ところで、オカノ通信の「今、そこにあるオタクの危機」が実は「プレ・オタク・イズ〜」だという事に言及してる人を見かけないのは何でだろ?・・・(当時の掲示板にはオタキング本人が良くきてたそうな)。
岡田斗司夫のプチクリ日記 「オトナ帝国の逆襲」について |
うーん、エリートオタクが思い描いていた未来像が今と異なるというのがオタク・イズ〜の本質かもしれないと乱暴に考えると、この「失われた未来像」の存在が大本の原因なんでしょうかねえ・・・どんな物なのかは良くわかりませんが。この喪失感が個人的にピンとこないのは、私のものごころついた頃の70年代は、既に公害と石油ショックがありオカルト(終末予言)が跋扈していたためでしょう。よって「希望の未来が失われた衝撃(トラウマ)」はないのですが、それでも「最初のコロニーができるのは1990年頃云々」とかいう予測(ヨタ話)を信じていたので「ああ裏切られたなあ」という多少の怨念は持っています。
プチクリとオタク・イズ〜は、多分(略。何故プチクリがオタクに受け入れられず、私が「ダメクリ」と自称するのか、説明不足があるので補足します。私はプチクリが「正しい」と言いました。確かに正しいのですが、例外があります。それは正しいモノである故に、間違ったモノに対しては適用できません。すなわち「間違っている者(無論私がそうです、ゆんゆん)」、「間違っている状況の中に居ざるを得ない者(この世の中の方がおかしいんだ!電波ゆんゆん)」の場合です。まあ後者はおいといて、この「間違った者」とは、
「コミケとネット(のファンサイト)が消滅したらアイデンティティーが崩壊する人間」
の事です。
日々、自分の職業に誇りを持って働く人・・・会社員、主婦、漫才師・・・ならばそんな事はありませんから、プチクリ(趣味、副業のススメ)は何の問題もありません(この「職業」に「同人専業作家」は含みませんので念のため)。普通の人にとっては、コミケやネットが消えた所で、単に空いた時間に趣味に没頭すればいいだけの話です。ちゃんとした本業があり、自らを「クリエーターだとは思っておらず、別になろうとも思わない一般人」にとってのみ、プチクリのコペルニクス的転換が意味を持ちます。そういえば小林よしのりが以前「プロ意識」だったかそんな事を言ってましたが、それも同様で「間違った人間」には適用できませんから、「甘えるな、まず日々まじめに働いてプロ(正社員)になれ、話はそれからだ」とお説教をするしかありません。
ええと要は、王様が、貧困にあえぐ庶民や奴隷や乞食に「みんな一家のプチ王様なんだ、小さな幸せを見つけよう!」と言った所で彼らの耳には入らない様に、自ら「ダメ道」に堕ちし存在に「君は既にプチクリエーターなんだ、夢を実現してるんだよ」と言った所で、救いにはなりません。まあせいぜい「よかった、ダメプロクリよりも実はマシじゃん」と気休めになる程度です(あ、でもそれだけでもこのまま何も救われないよりはマシかもしれない・・・)。
なおついでなのですが、昔の「オタク学入門」の「クリエーター至上主義の否定」をオタクはしっかり覚えてますので、「今更クリエーターだなどど持ち上げられても困る」という部分もあると思います。ちなみに、この本の執筆時は「セラムソにクリエーターなんてどこにいるのさ、同人万歳!」という状況でしたが、「じゃあエヴァはどうなのよ、個人の作家性はやっぱり大事だよ」といきなりツバがつきました。しかし、「クリエーターよりも読者、視聴者の方が偉い!金を出して鑑賞してあれこれと分析する側こそが上なのだ!」というコペルニクス的転換が、インターネットや掲示板コミュニケーションに目覚めた(プチ評論家と化した)人々の耳には至極甘美に響いた事はあえて言うまでもありません。なお余談ですが、この考え方だと「実は階層の頂点にいるのは編集者(と評論家)」という事になるため、それに気づいた人の憎しみが更に科せられて・・・(以下略)。
コミケ三日目の大晦日の朝は、電車がよりにもよって生きとし者の迷惑などお構いなしの時を選らばぬ恒例行事で停止。人が電車に勝つ事など未来永劫ありはしないのに、やれやれ・・・(訳/オカズが買えねーじゃねーかよ地獄に堕ちろボケが!)・・・と全く見ず知らずのオタクに呪われるのも、人生。オタク祭りの最後に、数十万人から黙祷を捧げられるのも、また人生。
(←冊数が少ないのは厳選して並べたためです)
さて戦果報告ですが、「創作(少年)」にて、ピコグラフのUHO本ゲト後にフラフラしていたらお宝発見、何とR-AREAのΖプラス本が!(種ネタは一切無し)。ただ、バイクサークルで委託されていたので(つまりサークルカットがバイク)、入手し損ねたガノタは多いはず。よって、ガノタの皆様に深読みされて「今回某所で委託されなかったのはきっとお前のせいだ、ちくしょう恨んでやる!」と黒電波を送られそうな感も若干・・・。当サイトの例のコンテンツの世間的影響力は「被リンクがいまだゼロ」である通り皆無にすぎませんが、ごく些細なレベルではゼロではない訳でしてムニャムニャ・・・(妄想私信/えーと、「転載」と「引用」は似て異なる物なので、要注意です念のため)。
評論系の本は、以下に引用大会開始(←どこが引用なんだ?
「オタクとデザイン 第一号」 P53 伸童舎インタビューより引用 |
業界人のお約束台詞、キタ〜〜〜〜〜〜〜!!
「月刊岡田斗司夫 3号」 P2 |
オタキング恒例のネタバラシ。そーか、そーだったのか、実はそーじゃないかと僕も思ってましたよ!・・・と言ってしまうと「卑怯な後だしジャンケン野郎」と言われそうですが、一応「最近のオタクは和田秀樹氏の言うシゾフレ人間が云々」とか無い知恵絞って色々考えてはいました(過去ログ参照)。ただ結論は出ず保留中ですが、オタク論から日本人論へと向かったサイトは見かけなかったので、最初にやればヒーローに・・・ってネタバラシ以後にやっても意味無いか。
「富士ん口論社 特別発行 追悼 米沢嘉博氏」より引用 |
・・・か、神だ・・・(←今頃気づいたか、このたわけが!
Mega Silo |
※サイト内のあちこちにガンダム、ヤマトネタがありました(占い等電波もあるのは御愛嬌)。
で、例によっていつものお遊び・・・
アニオタは「アニメ」を介したコミュニケーションだから、「アニメ」が無くなれば共通のテーマも無くなる。
アニメ=文化があってコミュニケーションが生まれるのではなく、コミュニケーションのネタとしてアニメ=文化があるという考え方は、画期的だ。
設定ガノタは「史料」を介したコミュニケーションだから、「本」が無くなれば共通のテーマも無くなる。
本=ガノタ文化があってコミュニケーションが生まれるのではなく、コミュニケーションのネタとして本=ガノタ文化があるという考え方は、画期的だ。
物を「集め、そして捨てられない(←ここ重要)」種族=かつての旧オタクは、コレクションを、知識を競いました。そもそも「おたく」という言葉自体が、人間自体ではなく背後の「物」を指す言葉でした。そして「浸透と拡散」により旧オタクが少数派となった(死んだ)後にやってくるのは、新オタクとなったイマドキの若者(シゾフレ人間)によって作られるコミュニケーション絶対社会です。貴重なのは本やグッズの数ではなく、メルトモや友達リンクの数であり、「濃さ(オタクスキル)」よりも「関係性(人間関係調整力)」が重視されます。そしてその他者重視社会では必然的に「自らの目で情報を判断する能力」は消えうせ、それにより画像掲示板とブックオフ(他人の判断を一度通過した物)の地位が上昇し、供給元たる新刊書店と出版社と個人ホームページは寂れて消え去るのが悲しき時代の運命であるとでも言うのか、ララァ・・・。
http://www.nishiz.com/blog/archives/diary/post_19.html |
上の文の「デザイナー」の箇所は、「イラストレーター、アーティスト、ライター、サイトオーナー」等、様々に置き換えられると思いますが、とりあえず今後のデザイナーの優劣は「友達の多さ」でケテーイですかねえ。未来の履歴書にはもしかしたら、「友達の数を書く欄」があったりして・・・。
でも、だが、しかーし、そおゆうオイラはそんな未来に背を向けし「オタク-2.0」なのです実は。ちなみにマイナス2.0の定義とは、たった一人きりである事。死ぬまで。
「真の連帯性は孤独な人間の間にしか存在しない」ホセ・ベルガミン
矛盾、難解、意味不明。そして最後に行き着く先は、静かな地蔵。死して屍拾うオタ無し。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20061217/p1 |
狂気・・・それは「誰もがヒーローになれる世界では誰もがヒーローになれないの法則」の呪縛を断つ唯一のアイテム、しかし素人にはおすすめできない諸刃の剣。ユートピアがどこにも無いならば脳内で妄想王国建設、だけど居住人員は自分1人が限度。結局は一人で生きて一人で逝くしかない、それが草たる者の運命なのだから・・・。
どうやら地獄界の底では、先月30日に中東からやってきた新住人の話題に花が咲いている様です・・・。
ところで、2006年の漢字は「命」でしたが、ちょっと違う感じがするので変えてください住職さん安部首相!(←バカ言うな
ええと、カウンターも一昨年初め1000、昨年初頭6000、今年14000と順調に伸びたのもひとえに(中略)でございますが、停滞の続くネガティブ雑記を回復させる予定は相変わらずありません。なお、11〜12月は「玉砕、絶滅、死、死、飛び込み、オタク学校倒産、散財(葬式)、追悼」との明るいネタを続けましたが、苦情の声も別段聞こえなかったので今年も同じくサワヤカ路線で楽しく逝きたいと思います、ハイ。