おたく命名者問題


オタク世代区分の変遷問題 オタク世代区分の変遷問題その2


2014/1/18
■アナログプログラマーツルタって、誰?

 ウィキをよく見てみた所、大変な記述をイマサラ発見。歴史を根底から覆す大発見がソースも醤油も無しにサラリと書かれていますが一体どうしましょうかねぇ…。数年前なら「ウィキをそのまま信じる方がおかしい」という言葉も通用しましたが、もはやそんな時代は終わっている様です(という訳でフツーに論文にウィキの誤記が…前頁参照)。そして凄まじい拡散度はまさに「ウソも100回言えば真実」となる恐ろしさ…しかし拡散できるのがウィキだけなら、それを止められるのもまた、ウィキしかありません。

おたく - Wikipedia
おたく族
人間類型を指す語としておたくが最初に使用されたのは、ログイン編集部員の“アナログプログラマーツルタ”こと鶴田明雄が、その類の人物を「おたく」と命名したことに始まるとされる(いつの話かは未詳)。
(中略)
編集部に出入りしていたエディター野々村フミヒロにより、コラムニスト中森明夫、文化人類学者の中沢新一らに伝わり、彼らの著書に掲載されるようになったことから新人類ブームの中、蔓延した、ともする。
(中略)
その後、『漫画ブリッコ』で1983年に中森が連載した『「おたく」の研究』の中で、

 えっ中森明夫じゃなかったの?鶴田明雄なんて初めて聞きますけど…。「いつの話かは未詳」なのにどうしてブリッコ以前だと断定しているのかも謎です。なお、過去の版ではちゃんと[要出典]タグが付けられていましたが現在はナシ…あれって出典提示なしに勝手に消してもいい物なんですかねぇ?

中森明夫 - Wikipedia
1983年に『漫画ブリッコ』誌上で1983年6月号から9月にかけて『東京おとなクラブ』出張版として「『おたく』の研究」を連載した[4]。この中で、ガンダムファンやカリオストロファンなどの「異様さ」をあげつらい、「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達」を「おたく」と命名。

 こちらは全く問題なし。

ログイン (雑誌) - Wikipedia
また、「おたく」の語が一般に広まるより前、編集部内でパソコン、アニメ好きな少年を「お宅」と呼んでおり、本誌は「おたく」の語を一般に広めた一角であった。ただし誌上では『三宅祐司のヤングパラダイス』を起源としている。

 で、どっちがホントの起源なんですか? 当のログインが「三宅祐司のヤンパラ」としているのが正しいなら1984年2月6日以降につき、確実に中森よりも後なのですけど。

1983年〜1989年(あるいはそれ以前)の間で「おたく(表.. - 人力検索はてな
・ニッポン放送・三宅裕司のヤングパラダイスには、1985年頃、「おたく族の実態」という人気コーナーがあった。
・『LOGiN』1985年8月号には「ニッポン放送・三宅裕司のヤングパラダイス潜入レポ・おたく族を探る!!」という記事が掲載された。

戦後ユース・サブカルチャーズをめぐって(4):おたく族と渋谷系
「パソコン雑誌『ロ グ イ ン』八五年八月号に「ニッポン放送・三宅裕司のヤングパラダイス潜入ルポ・おたく族を探る!!」と題する記事が掲載されている。

 1985年頃ですか…という訳で「三宅裕司が起源」は誤りと見て間違いないでしょう。


○ツッコミその1

Wikipediaの「おたく」記事。 SS1の日記 スラッシュドット・ジャパン

○ツッコミその2

【新人類】「オタク」という言葉の歴史【猿の惑星】
10 :名無しは無慈悲な夜の女王:2013/07/30
(略)ただ、ヒトのカテゴライズとして「おたく」という用語を使い、それを公刊したのが、中森氏より古い例があるとするなら、それは歴史を書き換える新発見。

12 :名無しは無慈悲な夜の女王:2013/07/30
> アスキーだかログインだかの編集者が中森氏より1年早かった
そんな事実があれば遠藤諭氏(中森氏らと『東京おとなクラブ』を刊行、その後月刊アスキー編集長)が把握していないはずがない。

39 :名無しは無慈悲な夜の女王:2013/08/06
>>1
ログインがおたくという言葉を広めたのは事実だとは思うが、>>32にあるように おたくを紹介するのはヤングパラダイスでこういうコーナーがあるよという記事の中であって、中森明夫の記事より後のはず。
ただ、中森と東京おとなクラブを出していたエンドウユイチがアスキーに入社したが、 ログインは担当していない。…が、エンドウの知人の野々村文宏はログインのライターだったというから、ログインで最初期からおたくが使われていた可能性がゼロということもないか。
>>23-26
「別冊宝島 おたくの本」に中森明夫が寄稿した「僕がおたくの名付け親になった事情」によれば、宮崎事件をうけておたくがクローズアップされた記事で、「週刊朝日」1989年8月25日号、「週刊読売」1989年9月10日号、「週刊ポスト」1989年9月1日号 で「おたく族」という表現が使われたという。
そして、中森によれば、「おたくの研究」では「おたく族」という言葉を使われて織らず、 中森の記憶では、「おたく族」と「族」がついたのを見かけたのは、1984年の「宝島」の記事、その少し後の鴻上尚史の舞台の台詞、テレビ「ウソップランド」とのこと。同年の中森明夫が登場した雑誌「GS」の筆者紹介欄でも「おたく族」という表記があった。
>>12-13
中森明夫の周辺でおたくという言葉が使われ出したのは、1982年後半から1983年にかけてで、後のアスキー編集長エンドウユイチとともに親しくしていたマンガ編集者と接触するようになってからとのこと。

45 :名無しは無慈悲な夜の女王:2013/09/12
ウィキペディアの「アナログプログラマーツルタ」とかいう記述、 このあいだ消されたと思ったら、また復活しとるぞw

83 :名無しは無慈悲な夜の女王:2013/10/10
岡田の論説について一言(てか、何度かツイートしたが)。かれがオタク論の中で「オタクと言い始めたのは慶応グループだ」というのは間違い。おれたちの上の世代の宮武さんとかが「オタク」っていってた。
https://twitter.com/dadasiko/status/387940936829108224 (略)

85 :名無しは無慈悲な夜の女王:2013/10/12
宮武さん、ていうか、スタジオぬえの人たちが使ってた、と岡田さんが書いたのを、 「慶応グループ」ってだれかが拡大解釈した。『オタク学入門』の元々の文章から、 伝言ゲームが起きている。
で、スタジオぬえで流行ったとすれば、それは自分が原因だろう、というのは高千穂さんが、月刊アスキーの連載コラム「高千穂遙の大混線かかってきなさい」で、 書いている。1996年頃のはず。
そして、中森さんの『「おたく」の研究 』以前に、中森らの身内以外で、 「おたく」というカテゴライズがあった、という説は、時々唱える奴がいるが、 まともに証拠が出たためしがない。

 なるほど、消されても復活するア…もとい天使的存在の様ですね…「天使の証明」も無用なまさに「無敵の記述」。よってこれを覆す事ができるのは、当事者である鶴田氏(もしくはその周辺)のみしかいません。

Twitter kentaro666 中森氏も「訳あって彼らをおたくと呼ぶ」と書いていて、前史があるニュアンスなんですよね。ただ一般的に今の意味でオタクが使われるようになったのは中森コラムからと考えてよいのではないかと思います。

Twitter kentaro666 ログインの記事は未見なので読んでみたい。この問題は森川嘉一郎氏が詳細に調査しているので、本になるのを待ちたいです。
2011年4月28日

 竹熊氏でもわからないのか。氏の戦闘力(3万4千)ならば中森氏(3万1千)に直接聞いても失礼にはならないと思いますが、話題上難しいか…。

Twitter LawofGreen だから、俺にダケじゃ無くて、竹熊さんも含む全員に返信して下さ ....
 ブリッコを国立国会図書館のサイト検索で探した所、一冊もかかりませんでした(関連の『ペパーミント☆ギャラリー ポストカードコレクション』のみヒット)。

「クレヨンしんちゃん研究所掲示板」ファンの方々のご意見および情報提供
Re: クレヨンしんちゃん単行本未収録作品 権兵衛 - 2010/03/05
新書館の「ウンポコ」、白夜書房の「漫画ブリッコ」といったマイナーなものの納本されているようなので

Re: クレヨンしんちゃん単行本未収録作品 チョルス(管理人) - 2010/03/07
どうも雑誌類は検索が限定されているようですね。

 えっ、実はあるの?…雑誌検索が制限されてる?

白取特急検車場【闘病バージョン】 「出版不況」--細く長?く…ではダメか? その6
国立国会図書館では建前上、全ての書籍、ほとんどの雑誌が見られることになっているが、ボコボコの穴だらけだ。特にサブカルチャーやエロの世界はボロボロである。

 一応参考までに。

 という訳でオタクの文化の未来(いや過去か?)はオタク図書館にかかっています、明大の方々と森川先生に期待。
 とはいえ、中森論文なら容易に見つかります、jpgじゃないですけど。
『おたく』の研究 第1回 漫画ブリッコの世界


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