MSの開発期間


ここ掘れワンワ…わお〜〜ん!(遠吠え)


2013/8/19更新


2013/8/17 (8/19追加)
●TV版より

26話 (レビル)「しかもジオンはモビルアーマーというタイプの物も実用テスト中と聞く」 「ガンダム一機が呼び水となった」

37話 (マリガン)「ご自分用のモビルスーツを開発させて、打倒木馬と常日頃おっしゃっておられたようですから、自信があるのでしょう」(8/19追加)

 

●企画書より

「0075 モビルスーツ・ザクの開発に成功」


●オフィシャルズ設定(2001)
名称 開発開始 試作機完成 実戦投入 開発期間
ガンダム 79年3月(RX計画始動) 7月(1号機) 9/18(2号機) 6ヶ月
ガンキャノン 同上   9/23 6ヶ月
ガンタンク 同上   9月 6ヶ月
RX-79[G]、RGM-79[G] 7月生産開始(異説、RX計画採用直後)      
アレックス 79年8月   12/19 4ヶ月
MS-01 71年(異説73年)     2年
ザクT   74年2月(異説75年5月)    
ザクU   77年8月    
グフ     10/6降下   
ドム     11/6受領  
ゲルググ −(5月頃以降、異説2月) 10月(ライフル除く)    
水陸両用MS 76年12月(オ699p)、異説79年2月以降      
ビグロ 不明(3月13日以降)   12月初旬 8ヶ月



名称 開発開始 一番艦就役
パプア   69年10月
チベ   70年6月
マゼラン、サラミス   70年9月
ムサイ   75年7月
ザンジバル   76年6月
チベ級ティベ 78年6月  
ドロス 78年12月  
ドロワ   79年7月進宙
ホワイトベース   79年7月進宙(p781)
9月15日地球出発(p638)
マッド・アングラー   79年10月10日完成

 各データの初出は伸童舎による物と思われる。ところで、ザンジバルの就役が3年程早く書かれているのだが…(筆者の勘違いであろうか?)。


●МG設定(2008)

『MS-14A Ver.2.0 インスト』より
言うまでもなく連邦軍が開発した“ガンダム”を強く意識した機体である。
地球連邦軍に先んじてMSの開発に成功した公国軍が、連邦軍の“RX-78 ガンダム”を超えるべく、その威信を賭けて開発したのがゲルググなのである。

 インスト設定につき「強度」は強い。


●RA35設定(1980)

局地戦用モビルスーツがガンダムに通用しないため、シャア用にゲルググを作った。(p50)

 できれば見なかった事にしたい黒記述である。


●センチュリー設定(1981)

※「センチュリー暦」では開戦日は0079年11月1日とされているため、特殊な暦を持つコロニーで出版された物と思われる(考察のおやくそく)。
※ただし2か月スライドさせたとしても、ジムキャノンの製造数等、多くの点が正史とは矛盾してしまう。

開発時 試作型完成時 生産時 開発期間
ガンダム 80年4月末(1号機は二週間前の4月上旬)、この後に改造  
ガンキャノン 80年5月末  
ガンタンク 77年10月(この後に大改造)  
ジム 80年6月中旬より生産  
ジムキャノン 80年7月より開始、組立て中に終戦  
ボール 80年6月  
MS-01 −(65年以降) −(69年以降) 4年
ザク(ザクT) 75年8月  
ザクU 78年8月  
グフ −(80年1月以降) 3ヶ月
ドム 78年初頭 80年4月中旬 2年4ヶ月
ゴッグ 78年11月発注 80年1月 80年3月より量産 1年2ヶ月
ズゴック 78年11月発注 −(ゴッグよりも後)  
ゲルググ 80年6月末  
ビグロ −(80年7月よりテスト開始)  



●「アウターガダム3部作」(アウター世界線)において

 兵器としてではなく、外惑星作業用の巨大人型マシンの基礎研究が長年地道に続けられており、開戦後にゼファーファントムの開発へとシフト。なお、この研究成果(ミノフスキー効果による自重軽減システム等)が、RX計画にもフィードバックしている事は言うまでもない。


●「開発速度に関する私見」

 一年戦争のМSの開発速度の異常さを、「ジオン脅威の開発速度」と軍事研究家や科学者に揶揄される事は多く、一般的にも、中世期において「ミケーネ帝国」、「鉄面党」他の諸史でも見られたオカルト現象と同一視されている程である。だが現実の所は、ジオン軍の新型機の実戦投入が大戦末期に偶然にも集中していたためにすぎず、それ以上でも以下でもない。 また、ゲルググの開発を一ヶ月程度だとする黒史料だけでなく、この手の記述は発掘次第でそれこそいくらでも発見可能であろうが、これらは無論当時の史料編纂者の独自解釈であるにすぎない。つまり、ジオン軍側はほぼ全て説明が付くのである。

 では、連邦軍側のガンダムの開発期間は如何ほどであるのか。これは大戦開始後の79年春が定説である。しかし、型式番号はVX‐78(後にRX−78-2に変更)であるため、78年の開発開始を意味するという説が古くから存在する。とはいえ公式には異説扱いにすぎないのだが、これには筆者も大いに同意する所である(だだし「75年に開発スタートしたガンタンクは一体何と戦うつもりで、なぜ79年までかかったのか?ガンキャノンもなぜそれほどの時間を費やしたのか?」という多少の疑問がある事は否めない)。

 とはいえ、歴史上から見ても最も問題であるのが「Ζガンダム」である。17歳のエウーゴパイロットが戦闘の合間に設計し、あっという間に完成しているのだ。無論両者ともに信ずるに値しないが、なにしろ史上最大の大賢人「トミノヨシユキー」による記述であるため、これを否定する事は我々旧人類には不可能である。ただし、後年の後付け設定解釈において、「元より存在したΖ計画に変型アイディアを新規に追加」という史実が歴史書に加えられているが、それでも焼け石に水に等しい事には変わりはなく、早い話が全くのお手上げであり、並みいる学者達の懐疑を晴らす事は不可能である。やはり歴史の真実とは、科学の壁の前にはかなく倒れ伏す物でしかないのだろうか…。
(トーボエ・M・ウダナアガキ著『黒歴史の深き闇【宇宙暦編】』より抜粋)



●電波付記1・「ガンパラ妄想世界線における開発時期一覧」
妄想名称 開発開始 試作機完成
ガンボーイ(アウター・ロボット) 70 不明
VX‐75 ガンドッグ 75 76
RB-76 ボールマンV 70 76
VX‐77 ガンキャット 77 78
VX‐77G ガンキャット・リクセンT 78 79‐7
VR‐77G ガンキャット・リクセンU 78 79‐7
VR‐77M ガンキャット・モデファイ(GM) 78 79‐8
VX‐78 ガンダー 78 79-9
VR‐79 ジーム 78 79-10(初期ロットの完成時。試作機は存在しない)
ペガサス 76  
MS‐6 ザクォーレ 75 77
MS‐7 グフォーラ 77 79
MS‐8 ドムーバ 77 79
MS‐11S ゲルグー(旧MS‐11X) 78 79‐12(後回しにされた)
MS‐11A ゲルグー 78(79‐5頃仕様変更) 79-10(YMS‐14Aの24機)
MSM‐3 ゴック 76 78
ユーコン※名称変更予定あり 75(グラナダ※変更不可) 79-3降下、6月再進水
マッドアングラー 76(グラナダ※変更不可) 79-5降下、10月再進水
マギア月面戦車 72  

(※8/19 大幅追加)


●電波付記2・「VX‐78ガンダーの開発期間に関して」

 ガンボーイは名目上は外惑星(アウタープラネッツ)作業用の平和目的のマシンでこそあるものの、研究自体は0070年より完全な秘密裡に行われた(無論、スポンサーは連邦軍である)。77年1月にはその技術を転用したガンキャットの開発がスタートするが、これはあくまで連邦の諜報網がザクォーレの大規模な生産を察知した事による物で、本腰を据えての物ではなかった。開発統括指揮及びソフトウェアは民間で天才プログラマーとして名を馳せていたテム・レイに一任されていたが、彼は翌78年に完成したガンキャット1号機を前に「ダメだ、このМSではザクォーレには勝てない…」と呟いたとされる。
 そして同年、ムンゾ共和国からの複数の亡命者によりザクォーレのハードウェアの一部の情報がもたらされ(亡命者の中にMS用ビーム兵器及びエンジンの技術者がいたとも言われるが定かではない)
、またザクォーレとガンキャットとの小規模な接触が発生し、結果はガンキャットの瞬時の全滅に終わった。連邦はここに至ってようやくザクの能力を認識し、プロジェクトの規模を増大して、ガンキャットの改良及びガンダーの開発に着手した。
 開戦後の79年3月には、鹵獲したザクォーレのソフトウェアの解析でガンダーのプログラム及び設計の問題点が明白となり、
半年に及ぶ改良を経てようやっと、ガンダーはあらゆる面においてザクォーレを上回る性能を持つに至ったのである。

 一般的に、ビーム兵器とエンジンの小型化技術でズィオン側に優っていた事がジームの大きなアドバンテージとなり、大戦終盤における戦局を最も左右した事は良く言われるが、もう一つ重要であったのがプログラムの優秀さである。とはいえ、いかにそれが優れていても79年9月の時点ではまだまだ手を入れる必要があり、ズィオン軍側
が日々繰り出す「対ガンダー戦法」に対抗するための戦闘プログラムのアップデート等も必要である。されども、サイドトアに置かれていた主開発部がザクォーレの襲撃により消失した事が大きな痛手となり、開発を引き継いだ担当者は「これはもはやプログラムというよりアートの領域だよ。我々常人の人海戦術如きでは務まるはずがない…あぁ、プロフェッサーさえいてくれたら…」と漏らしたと言われる。だが、その難題は実にあっけなく解決した。何と戦闘中のペガサスより、完璧とも言えるアップデートデータがもたらされたのである。これを見たジームの技術者は皆一様に驚愕したとされるが、ペガサスの乗員名簿にはそれらしきプログラマーの名を発見する事はできず、今や誰もが知るその名がようやっと公表されたのは「シャアの反乱」の後の事であった。
(※8/19 文章追加)



2013/8/19 (8/20増補)
●電波付記3・「MS‐11A(旧型ゲルグー)の配備時期問題等について」

 結論から述べると、「ゲルグーA型(B、C型含む)は宇宙専用にスペックダウンした機体であり、本来の完全なゲルグーはS型である」。
 ゲルグーのプロトタイプ完成は79年10月(ビーム
兵装除く)とされているが、大きな疑問がある。

37話 (マリガン)「ゲルググの装備は終わっています。プロトタイプですので完全とはいえませんが」

 テキサスにおいてシャアはプロトタイプに搭乗し、その不調ぶりに難儀している(ビームライフルの不調ではない)。という事は、ロクなテストはなされておらず、すなわちこの時点で量産が順調に進行しているとは考え難い。しかし、確たる量産の事実は次のセリフが立証している。

42話 (キシリア)「しかし、ゲルググ、ドムの動きが目立たないのはどういう訳だ?」

 わずか一週間足らずで量産型が配備…何という脅威の生産力。いやそれとも、宇宙歴では時間の流れが通常の3倍だというのか…などという事はマンガですらありえない。となると、考えられる結論は必然的に一つである。シャアのゲルグーが「新型の試作機」であり、ABQに配備されていたゲルグーは「旧型(初期生産型、簡易型)」だと思われる。両者の外見上の差異は無いため、「生産性向上のために不要な地上用機能をオミットしたのがA型であり、当初の仕様通りに作られた物がS型((旧MS-11X)」であると考えて間違いないだろう。よってA型のプロトタイプ(ジオニック社内コード・YMS-14A)は定説通り10月に完成して航宙テストは10月〜11月に行われ、S型は地球戦線での敗退により完成が後回しにされ、12月下旬にようやっと重力下テストがシャアによってなされた…というのか実情であると思われる(もはや地上戦投入の可能性は無いとしても、本土決戦においてアイランド内での戦闘が想定されるためデータは無駄にならない)。

 余談ではあるが、MS-11(戦後MS‐14に変更)の大戦中の生産数は派生種含み738機が定説であるが、「ズィオン軍ミリタリーファイル」における製造予定数は二百機にも満たぬ物であり、筆者はこちらの方がはるかに信用に値すると考えている。

『ジオン軍ミリタリーファイル』
(B1-01) 公国軍総司令部の試算資料によると、今年度段階でゲルググの生産機数の予定が180機。量産に関しては、ブロック生産方式の特性を生かして国内の一般工場においても大型部品の生産を行う。
 来年4月までにMS-14の生産ラインをフル回転させて800機程度を実戦配備する予定であり、地球攻撃軍のモビルスーツもMS-14へと転換することになっている。

 ちなみに、ゲルグーの機種別の生産数は「先行量産型25機、A型82機、B型67機、C型15機、G型8機、J型不明、M型30機以上」とされており、計227(+α)(但し改造型が重複してカウントされている事がオフィシャルズにより判明しているため、実際はこれよりも少ない)である事も、738機という数値のありえなさを裏付けている。よってこれを事実と受け取るなら、ABQ攻略戦時に実戦参加していた機体はその約半数強で、振り分けは本国に半分、ABQに半分という所であろうと推測される。

 この738という数値に関しては、終戦時に生産ラインに乗っていた数か、もしくは戦後に作られた数を含んだ物が誤って記された物と考えられるが、公式記録である事から確実に後者であろう。二月に締結したグラナダ条約において共和国防衛軍のMS保有数が制限された事により、ザクォーレやドムーバは接収/廃棄を余儀なくされたはずであるが、ゲルグーは「新型ゲルグー」(正確には完全型)として、終戦時より停止していた生産ラインを再稼働させて完成させるのが
常識的な判断である。
 なおG型に関してであるが、そもそもあの時期の地球戦線にゲルググがわざわざ投入された説自体が眉唾ではあるものの、事実ならば宇宙用の機体をムリヤリ降ろした後、現地改造で対応(型式番号もG型へと変更)させた物と推測される。

 また、良く言われるのであるが「10月に完成していたはずのゲルグーの活躍が全く見られないのはなぜか?」という問題がある。G・バズとヒート剣でもそれなりの戦果を上げる事はできたはずであり、これに関しては一般的に「機体の移行をパイロットの多くが拒んだため」というのが定説であり、筆者の考えも同様てある。まず、シャアが慣熟訓練に難儀した事から、A型等においても初期不良が多く、チューニング(&エージング)にも時間がかかる機体であったのは間違いない。
 次に、MSの操縦訓練には多大な時間を要するのが常であるとも良く言われるが、これについては筆者は否定的である。現実にシャアが未完成のMS-16ゴングを難なく完全に乗りこなしているため、MS自体の乗り換えはそう困難ではない事がわかるのだ。よって考えられる事はただ一つ、「操縦が難しかった」以外にはありえない(だからこそシャアはガンダーに敗退したのだ)。

 とはいえ、現実に新兵が搭乗している事から、新兵にとってはむしろ今までよりも数段優しいシステムであるはずである。しかし、ベテランパイロットにとってはそうではなかった…という事はすなわち、本機の操縦システム自体が変更されたと考えて間違いないだろう。技術者にとっては改良であれど、前のバージョンに親しんだユーザー…もといパイロットにとってはバージョンアップが改悪であった例は枚挙にいとまがない。おそらくはパイロットの間では、「一体いつになったらマトモに動くのかねぇ…MS-GOS Ver.7は使いにくい上にバグだらけ、ビーム
兵装も完成しないし、いくらカッコイイ新型だからってもうやってらんないよ」とのグチが日々つぶやかれたのは間違いないだろう。
 結局の所、操縦性の問題はMS-10との模擬戦闘では露呈しなかった欠点であり、そのツケが「実戦参加に実に二ヶ月も要する」という形で表れてしまったのであろう(なお、競作機であるMS-10は素人でも操作可能な更に進化したシステムであったはずだが、パイロットの不足も深刻につき、案外こちらを採用した方が戦局を好転できたのかもしれない)。まあいずれにせよ、ゲルグーが完成後も二か月間使われた形跡がないという事は、すなわち本機の事実上の完成時は、79年10月ではなく12月であると言える。


(8/20追加)
「学徒動員兵に関して」
 ここで話は逸れるのだが、果たして実際にゲルグーに乗ったのは学徒(MSパイロット養成学校の生徒) だったのだろうか?

42話 
(キシリア) 「しかし、ゲルググ、ドムの動きが目立たないのはどういう訳だ?トワニング」
(トワニング) 「は、が、学徒動員のパイロットが多いようですから」
 〜中略〜
(ジオン兵) 「ああっ、ひ、火が…母さん!」

 トワニングのセリフの後に爆死する若い新兵(明らかに学徒であろう)はザクに搭乗していたが、これは何を意味するのか。言葉通りに受け取るなら,「ゲルグー、ドム、ザク」の全てに学徒が搭乗していたという事になる。だが、キシリアの疑問と学徒動員が実際に直結しない可能性も充分にありうるだろう。つまり、トワニングには「学徒バイロットが多い」という情報のみが伝えられており、現実には学徒はザクのみに乗せられ、ベテランパイロットはゲルグーもしくはドムに乗り換えていたが、単に良くは動けなかった」とも考えられる(つまりザクの動きもそれら以上に悪かったのだが、ザクは本来悪いのが当たり前なのでキシリアは気に留めなかったのだ)。もしそうだとするならば、これまでの定説は根底から崩される事となるが、無論歴史の真実はABQの崩壊と共に光芒の中にかき消え、我々の手には「機動兵士ガンダー」というわずかな断片だけがあるのみである。


●電波付記4・「リクセン問題、GMの配備時期と生産数について」

 リクセン問題、すなわちG_リクセンとGMリクセンの配備時期のあまりの早さについて、頭を抱えた事の無い黒歴史研究者は誰一人としていないだろう。一般書においても「宇宙暦の7不思議の一つ」とされる事も多い。またもう一つの問題として、GMの生産数が黒資料によって330〜3800と誤差という範囲をはるかに越えた開きがある事も、研究者の頭を悩ませ続けている定番の謎である

 だが、筆者が独自のルートで入手した黒歴史書「北々文献」によれば、リクセンはガンダーの後に作られたVX-79などではなく、VR-77の派生種である事が判明している。VR--77の量産は78年に開始されていたが、欠陥の発覚により実戦配備がほとんどなされずに温存された(レビル将軍の判断であったと言われる)。その間、ズィオンの進撃に耐え忍びつつも「対ザクォーレ仕様」への改修を進め、再度完成したその姿はガンダーの量産機であるVR-79に酷似していた。つまり、一般的にジムと呼ばれる機体はVR-77M(GM)とVR-79ジームの二種類が存在しており、前者が後者をはるかに上回る数が生産されているのである。ロールアウトの時期は、GMが79年8月、ジームが79年11月〜12月であるが、VR-77自体の生産は大戦開始以前の78年より行われている。

 なお、VR-77が量産されていながらも実戦投入が遅れた理由は、機体の欠陥の他に「連邦軍の頭の堅さ」もあげられる。MSの運用は、単に戦闘車両のそれと置き換えればいいという単純な物ではなく、軍事システム全体の大改変が要求される。よって、VR-77のC型(中距離支援用)が戦車の代替物として使われる事はあれど、МSの本懐である使用法への対応は一朝一夕にできる物ではなかったのだ。だが、もし実戦に投入されてたとしても、ザクォーレの恰好の餌食となっていたであろう事は間違いない。よって結果的には温存されていた事が幸いし、雌伏の時を経て大戦末期の怒涛の反撃へと繋がったのである。また、無論それだけではなく、
MSを運用するための古きドクトリンに縛られない柔軟な思考による戦略/戦術面における改革が(ズィオンのマネではあるが)同時に行われていた事も、勝因の一つであるのは言うまでもない。

 ここで話は多少逸れるが、VR-79は地上用と宇宙用の二種が存在すると考えて間違いない。330機とはいえ、ごく短期間でそれだけもの数が生産されているのであるから、製造スピードを上げる工夫は限界までなされているはずだからだ。なお、MSの生産はVR-77MとVR-79が同時進行しており、生産ラインの数はVR-77Mの方が数倍上回っていたと思われる。VR-77Mのラインの多くがVR-79に切り替えられなかった理由は、ラインの製造その物に多くの時間がかかる事と、比較的枯れた技術も多く用いられたVR-77Mとは異なり、VR-79には当時最高レベルの技術を必要とした事、すなわち「工場を選ぶ」ためであろう。


●電波付記5・「ズィオン軍潜水艦の配備の遅れについて」

 一般的に連邦軍潜水艦鹵獲説がまことしやかに言われるものの、筆者の恩師であるモクーバ・オウマスキー教授が一笑に付して取り合わなかったため、それに倣う事とする。
 ユーコン級は連邦のZ型潜水艦、マッドアングラー艦はロックウッド級潜水揚陸艦のコピーとして、0076年よりグラナダで建造が行われた(ただしコピーとは言っても、МSの格納機構及び大気圏突入能力が追加されている)。開戦時にはユーコン24隻、マッドアングラー級8隻がほぼ完成しており耐圧試験もクリアーしていたが、79年の3月より降下したユーコン級に数々の問題が発覚する。大気圏突入/着水時に予想外のダメージを受けていた事の他に、思いもしなかったトラブルが続出し、キャリフォルニア・ベースの艦船工廠に引き揚げて改修がなされた(同時に兵員の再訓練も行われた)。この報告を受けて、マッドアングラー級はグラナダで全隻二ヶ月の改修がなされた後、5月より順次に7隻が降下したものの、結局陸揚げして再改修する羽目となり、実戦投入に至ったのはようやっと79年の10月1日からである(ユーコン級よりも改修に時間を要した理由は、艦の設計の特殊さによる)。

 ズィオン軍潜水艦は「MSMキャリアー」としての活躍は見せたが、あくまでそれ以上の働きをする事はなく、いずれにせよ本来期待されていた能力を出し切っていたとは言い難い。よって本国では、終戦後「もしズィオンの潜水艦が完全に運用されていれば、連邦軍の反撃は半年遅れていただろう」と言われる事も多いのだが、これは元より無理な話である。
 ズィオンの諜報部は連邦軍潜水艦の完全な設計図及び運用マニュアル等を入手し、数名の亡命技術者も確保していた。しかし、文書では伝えられない「現場のノウハウ」の重要性を無視した付け焼き刃の計画のツケが、回るべくして回ってきたというだけににすぎない。よって、船体の改修と兵の再訓練に時間がかかり実戦配備がああも遅れてしまったのは当然の帰結であり、むしろ沈没せずにそこそこ運用できた事が奇跡
的幸運であったと言えるかもしれない。



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